自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★像の切断を政争の具に使う愚

2017年04月23日 | ⇒メディア時評
メディア各社のニュースによると、きのう22日、台湾の初代総統である蔣介石の座像の頭部が切断される事件が起きたという。今月16日には日本統治時代に烏山頭(うさんとう)ダムの建設を主導した日本人技師、八田與一(はった・よいち)の座像の頭部が切断される事件があったばかり。八田與一の座像と蒋介石の立像の切断事件に関しては、ブログ「座像の切断事件、金沢からの考察」(今月20日付)でも紹介した。

  今回の切断事件があった場所は台北市北部陽明山にある公園で、蔣介石の座像の頭部が切断され、赤いペンキが掛けられていた。壊された座像の台座には「2・28事件の元凶」「殺人魔」などと落書きがされていた。報道では、一連の像の切断事件が報復の応酬のニュアンスで報じられる向きもあるが、前回のブログでも述べたように、八田與一の像と蒋介石の像は成り立ちも異なれば、造った人も違う。つまり、政敵でもなんでもないのだ。

  以下、前回のブログのおさらい。烏山頭ダムが建設を指揮した八田與一はダム建設後、不毛の大地とされた原野を穀倉地帯に変えたとして、内省人と呼ばれた台湾の人たちに評価された。八田は金沢で生まれの水利土木技師で、八田の銅像は当時の地元の農民が感謝を込めて自発的につくったものだ。八田の功績は、戦後日本と台湾の友好の絆も育み、命日の5月8日には金沢からも多くの人が慰霊祭に出かける。日台友好のシンボル行事にもなっている。

  これに対し、初代総統だったは蒋介石の像は権力の象徴として造られた。ところが、1947年に起きた「2・28事件」が70周年に当たることから。蒋介石の功績評価の見直しが起きているようだ。戦後、日本に代わり台湾を統治した国民党だが、その年の2月28日に外省人(大陸から移住してきた中国人)と国民党の支配に反発する本省人が抗議デモを繰り広げ、大規模な流血事件が起きた。2・28の流血事件の責任者は蒋介石だったとして、本省人系の与党民進党が中心となり、学校から蒋介石の銅像を撤去する動きが表面化しているのだ。

  切断事件は上記ような背景で起きた。ことし2月28日、輔仁大学(新北市)のキャンパスの蒋介石の立像の一部が切断され、学生たちが逮捕された。今度は今月16日、八田與一の座像の首切断され、台湾市の元市議を逮捕。そして今回22日の台北市の蒋介石の座像の首切断事件である。

  冒頭でも述べたように、政敵でもなかった二人の座像を切断することに何の意味があるのだろうか。政争ならば国会など政治の場でやればよいだけだ。逆に、こうした破壊行為を政治のシンボリックな行為と同一視して報じるメディアの在り様も問われている。

⇒23日(日)朝・金沢の天気  はれ
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