自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★南紀白浜、見て歩き

2015年05月03日 | ⇒トピック往来

  2日と3日の両日、ゴールデン・ウイークの連休を利用して南紀白浜を旅行した。特急「くろしお」の車窓からは、コバルトブルーの海とリアス式海岸の絶景が広がる。万葉の時代から、人々を感動させてきた絶景だ。

  「み熊野の浦の浜木綿 百重(ももへ)なす 心は思へど ただに逢はぬかも」は万葉集の歌人、柿本人麻呂が詠んだ歌。海辺を彩る涼しげなハマユウの花が人麻呂の想像をかき立てたのだろう。藤原京に出仕していた時代、気になるのはどのようにして「熊野の浦」にたどり着いたのだろうか。海岸の道を歩き、山を越えるルートは、熊野へ詣でる都人にとってまさしく苦行の旅だったろう。そのときに浜辺のハマユウの白い花がなんともいとおしく思えた、そんな歌だったのだろうか。

  JR白浜駅で下車して、バスで白良浜に向かった。白良浜(しららはま)の石英砂は目にまぶしい。ちょうど夕日が落ちるころだった。北陸の海岸でも、こんなに白い浜は見たことがない。明治から大正にかけてはガラス原料として採取されていたほど豊富だったが、現在は浜が痩せ、オーストラリア産の珪砂が入れられているとか。

  白良浜から徒歩3分、海を望む高台に建つホテルがきょうの宿だ。最上階の露天風呂や貸切風呂からの眺めも格別だ。夕食に赤ワインを飲むと一気に眠気が襲ってきた。ズボンを穿いたままそのまま寝込んでしまった。夜中の11時ごろだったろうか、ふと気が付くとドアをコンコンコンと小刻みにノックをする音がする。スコープのないドアなので、「誰ですか」と問うと、女性の声で「ドアを開けてください」との声がする。私はピンときた。その筋の人だな、と。古い温泉街の夜のビジネスが今でも生きているのだ、と。なので、放っておいた。その後はノックもなく。また、寝込んでしまった。後で思えば、その女性は同じフロアの客で部屋を間違えてノックしたのかもしれない、とも思った。これは自分自身も経験があるからだ。

  翌日(3日)朝、白良浜へ散歩に行くと、人が群れていた。水着になっている子供たちもいる。「海開き」と看板が出ていた。おそらく本州で最も早い海開きではないか。北陸だと7月だ。フラダンスの女性たちもいてなんともにぎやかしそう。その開放感に、さすが、南紀白浜だと実感した。

  バスで「アドベンチャーワールド」に出かけた。動物園と水族館、遊園地がまじりあった混合施設のよう。ここの名物のパンダは行列が長すぎて遠目で見ただけだった。メインイベントが動物たちのパレードだ。ペンギンやラクダが大音響のBGMのもとでエントランスの広場を行進するのだ。子供たちは目を爛々と輝かせながら見つめている。ただ、私には「動物虐待」という四文字が脳裏によぎった。

  夕方、アドベンチャーワールドから路線バスで白浜駅に向かった。車中はほぼ満員だ。出発するとき、運転手がこう説明した。「道路がとても混みあっているので、迂回して、まず白浜駅に行きます」と。このバスは路線バスなのになぜ迂回するのかと不思議に思った。道路運送法の違反だろう、と。ただ、多くの客は白浜駅に降りるので、客とすればその方がありがたいのだ、が。このとき、作家の司馬遼太郎の著書の記述を思い出した。「紀州方言には敬語がない」と。明治初めに紀州や土佐で自由民権運動が起こったのも、ある意味で合理的な考えの持ち主が多かったからだろう、と。

⇒3日(日)朝・大阪の天気  くもり   

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