自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★能登のお寺とアジア

2009年10月03日 | ⇒キャンパス見聞
 アジア太平洋諸国の教育、文化等の分野の学者、専門家を招へいする財団法人ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)のプロジェクトが9月30日から10月2日にかけて金沢と能登で実施され3日間同行した。ASEANを中心とするアジアの5カ国(インドネシア、タイ、マレーシア、フィリピン、パキスタン)から9人を招いて、日本の専門家を交え環境教育に関する研究交流を行った。移動をともなうツアーでもあるので、受け入れ側の大学では通訳、司会、ロジスティック(設営・支援)などそれぞれが分担して対した。今回ロジを担当して見えてきた「文化の違い」が勉強になった。

 招いた9人のうち女性7人、宗教ではイスラムが多い。それぞれの国の大学や研究機関、シンクタンクの研究者の人たちである。30日午後、金沢大学を訪れた一行はまず学長を訪問した。あいさつは手土産渡しから始まった。彫り物といった民芸品が多いのだが、パキスタンから訪れた女性は綿のマフラーを。しかも、学長の首にまいて差し上げるというのが「決め技」である。手土産としては軽くて旅行バックに収納がしやすく、実に計算されていると感じ入った。この女性は場所を変えるごとに衣装換え、衣装のデザインは自らしたものだという。訪問先への手土産渡しは、アジアの光景である。欧米のプレゼント交換とは違い、なぜか共鳴するシーンではある。ちなみに学長のお返しは輪島塗の写真立て。

 宗教上のこともあり、レセプションの献立には気を使った。イスラム教では牛肉と豚、アルコールはご法度だ。それらを除外した鶏肉、魚介類が中心のメニューだが、手を付けてもらえなかったのがハムサンドだった。仕出し業者にはハムの除外をあらかじめ伝えてあったが、おそらく二次発注の段階で伝わらなかったのだろう。慌てて、その場で取り除くのも不自然だったのでそのままにしておいた。で、案の定、手付かずということになった。ハムのほか、ハンバーグや餃子といった混ぜ物には手を付けない。自分の目で見て、食材が理解できないものは「怪しい」となるのである。この厳格さにはある意味で共感した。宗教上であれ、菜食主義であれ、自分で納得した食材でなければ手を付けない。これは正しい。日本人には食に対する警戒心というものがなさすぎる。得体の知れない冷凍食品や、偽造牛肉が横行していたことが発覚したが、これは一面で食に対する無節操の逆説だ。食の安全性に関しては、「イスラム並み」の厳格さがあってもいい。

 2日目。能登の「古民家レストラン」で昼食を取った。食器は朱塗りの輪島塗なので、興味を示してもらえると思い、あえてこのレストランにしたのだが、読みが浅かった。天婦羅や焼き魚は食してもらえたが、この店自慢の手づくり豆腐が手付かずのまま残っていることに気づいた。そもそも箸は日常的に使わない。さらに器を口に付けて食べるという作法はない。従って、崩れやすい豆腐は食べにくいのである。そこで急きょ、スプーンを用意してもらった。さらに思った。それならここで、「食べにくいのでスプーンを出して」と日本人ならクレームを入れる。ところが、ゲストはそういうたぐいの文句は言わない。ホストに対して礼を失するというわけだ。「声なき客の声」を読むのはホストの役目。これはとてもプレッシャーではある

 3日目。「写真を撮って」と一番人気のスポットは能登のある山のお寺だった。建造物の外観ではない。本堂のきらびやかな仏壇や仏具をバックにしてである。イスラム教徒が多いので、異文化理解に役立てばと思い案内した。古色蒼然とした外観だが、本堂には金箔の耀きがある。このコントラストに一行の目も耀いた=写真=。インドで生まれた仏教が敦煌、朝鮮半島と伝播して、日本の半島の先端でもこうして信仰を集めていると説明をした。写真のフラッシュが飛び交う中、仏教徒のタイの人は静かに手を合わせていた。

⇒3日(土)夜、金沢の天気  はれ
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