自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆続・岩城氏の「運命の輪」

2005年12月21日 | ⇒トピック往来

  このブログ「自在コラム」では、指揮者・岩城宏之さんのことを何度か取り上げた。ことし5月14日付の「岩城流ネオ・ジャパネスク」では、日本からクラシックを繰り出す岩城さんの発信力を、また、6月10日と12日の「マエストロ岩城の視線」「続・マエストロ岩城の視線」では指揮者のすごみを岩城さんから感じた、と述べた。プロの音楽家でもない我々がマエストロ=巨匠の「運命の輪」に引き込まれるのはなぜか…。

  何しろ本人は「ステージ上で倒れるかもしれない。でも、それがベートーベンだったら本望だ」と言い切っている。73歳にして、9時間半もの「振るマラソン」にことしも挑戦するのである。去年3月ごろだったか、岩城さんの口からこの話が出たとき、「山本直純(故人)だったら派手にやったかもしれないが、何も岩城さんがやらなくても…」とちょっと冷ややかに見る向きもあった。ところが、やり遂げると海外からの高い評価もあって、賞賛の嵐となった。本来なら、この記録を一回打ち立てれば、それで十分だろう、と私を含め周囲は見ていた。ところが、上記の言葉通り、「ことしもやる」のである。

   しかも、それをやり遂げるため、ことし10月、自らつくり育てた所属事務所「東京コンサーツ」から、作曲家の三枝成彰氏の事務所「メイ・コーポレーション」に移籍した。金沢で岩城さんにお会いして、「なぜ」と聞いたら、その言葉が振るっていた。「あと10年、周囲は何回も手術をしたのだから無理せず穏やかにと言う。これでは面白くないと思ってね、三枝さんの所で暴れることにしたんだ」「大いに暴れるよ」と。私は呆気にとられた。「オレは指揮者だ、病院のベッドで死ねるか、ステージで死ぬんだ」と言っているように聞こえた。

   12年前の春、岩城さんを初めて取材したとき、あいさつで「岩城先生」と呼んだら、「私は指揮者です。医者や政治家ではありません」と酷くしかられた。それ以来、「岩城さん」あるいは「マエストロ」と呼ばせていただいている。こうした岩城さんを気難しいと見るか、違いが分かる人と見るかは、評する人の人間性だろう。私は後者で見ている。だからクラシックの門外漢でありながらも「運命の輪」に入って岩城さんの生き様を見させてもらっている。そして人生の大先輩として尊敬もしている。<次回に続く> <前編を読む>

⇒21日(水)午後   金沢の天気  ゆき

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