自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★総理退陣で政治空白の懸念 能登復興に遅れをもたらさないか

2024年08月15日 | ⇒ドキュメント回廊

       また「回転ドア内閣」が始まるのか。岸田総理がきのう14日、9月の自民党総裁選に立候補しないと表明した。直近のNHKの世論調査(8月2-4日)によると、内閣支持率は25%、不支持率は55%と低迷している。広島でG7サミットを開催した去年5月の調査では支持率が46%と盛り上がったが、その後は政治資金の裏金問題などで続落していた。

  冒頭で述べたように、回転ドアのように内閣がころころと変わる政治状況がときにある。小泉内閣以降の2005年から短命政権が続き「7年間で7人の首相が誕生する」状況だった。総理の名前を覚える間もないほど交代劇が続き、日本のガバナンスや国際評価の足を政治が引っ張っていた。その政治状況に終止符を打ったが安倍内閣で、7年8ヵ月続いた。その後の菅内閣は1年余りだった。岸田内閣は3年足らずだが、政権運営という意味では「そこそこ頑張った内閣」ではないだろうか。問題は、岸田総理の後継者に本命がいないことだ。また短命政権の政治が到来するのか。

  話は変わる。今月8日に宮崎県日向灘でマグニチュード7.1の地震が発生し、気象庁は南海トラフ地震の「巨大地震注意」を発表していた。きょうで1週間となり、注意の呼びかけは午後5時に終わった。そして、能登半島地震の被災状況も徐々にではあるが、変化している。

  石川県危機対策課のまとめ(8月13日付)によると、被害が大きかった奥能登の穴水町では地元にある1次避難所がすべて閉鎖された。同町ではピーク時に54ヵ所で3991人が1次避難をしていたが、被災者から要望のあった仮設住宅532戸が全て完成し、鍵の受け渡しも完了したことから、今月12日に1次避難所を閉鎖した。

  現時点での他の市町での1次避難所の状況は、珠洲市は18ヵ所で223人、輪島市は13ヵ所で155人、志賀町は5ヵ所で70人、七尾市は1ヵ所で43人、能登町は1ヵ所で5人と合せて496人が避難所生活を続けている。県が借り上げた金沢などの旅館やホテルなどの2次避難所では63ヵ所で365人、そのほか8ヵ所で58人となっている。1次から2次避難所の被災者を合わせると919人となり、1月31日時点の1万4632人に比べると随分と減ったことになる。

  話は冒頭に戻る。岸田総理はこれまで3度、能登の被災地に足を運んでいる。今回の退陣表明の中で、「総理総裁として能登半島地震からの復旧復興、南海トラフ地震や台風などへの災害対策をはじめ、最後の一日まで政策実行に一意専心あたってまります」と語った(地元メディア各社の報道)。被災者とすれば心強い言葉だが、一方で総理や大臣が交代することで一時的かもしれないが、復旧復興への時間的な空白が生まれないか、復興対策に遅れが生じるのではないか。被災者はそんなことも懸念しているに違いない。

⇒15日(木)夜・金沢の天気    はれ

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☆松に寄り添う一輪のタカサゴユリ 好かれ嫌われ「旅する花」

2024年08月14日 | ⇒ドキュメント回廊

  自宅庭の五葉松に寄り添うようにタカサゴユリの花が一輪咲いていた=写真=。例年ならば旧盆が過ぎたころに咲く花だが、早咲きのようだ。この時節は花の少ない季節なので目立つ花でもある。ヤマユリのような高貴な香りはないが、「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合(ユリ)の花」の言葉のように、花は白く美しく、人目をひく。この時節には茶花として床の間に飾る花でもある。

  漢字名は「高砂百合」。名前の通り、日本による台湾の統治時代の1924年ごろに園芸用として待ち込まれたようだ(Wikipedia「タカサゴユリ」)。いまだったら、「外来種」として持ち込みに批判が出たかもしれない。国立研究開発法人「国立環境研究所」の公式サイトには、「侵入生物データベース」にリストアップされている。「日当たりの良い法面や道路わき、空き地などに侵入する」と。持ち込まれた当時は外来種という概念もなく、花の少ない季節に咲くユリの花ということで日本で受け入れられたのだろう。

  侵入生物データベースの「備考」欄には、「全国的に分布を広げている種であり、自然植生に対して悪影響が及ばないよう、適宜管理を行う必要がある」と記されている。「適宜管理」とは伐採して根ごと処分するという意味なのだろうか。とすると、こうしてブログで画像をアップすることも罪深いということだろうか。

  タカサゴユリには意外な特性もある。同じ場所に何年も生育すると、土壌に球根を弱める特定のバクテリア(病原菌)が繁殖して枯死してしまう。連作障害だ。このため、種子を多く付け、種子は新たな原野を求めて風に乗って各地に拡がる。種子がたどり着いたその地が伐採などで一時的に明るくなると生育して勢力を拡げ、ときに群生して大きな花を咲かせるも、数年経つとまた他の地へ旅立つように去ってゆく(Wikipedia「タカサゴユリ」)。ひととき白く輝く花を咲かせ、やがて別の場所に飛び立っていく。「旅するユリ」とも称される。

⇒14日(水)午前・金沢の天気     はれ

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★旧盆墓参り 奥能登で目立つ「ブルーシート墓」

2024年08月13日 | ⇒ドキュメント回廊

  パリオリンピックが終わり、少々気が抜けたような気分になっている。これまで、目覚めるとスマホで日本の金メダルの数をチェックすると心が沸いた。そして、派手な見出しと写真で彩られた新聞紙面を眺め、競技実況で点が入るごとにアナウンサーが絶叫を連発するテレビ画面を視る日々だった。それが日常に戻った。心に残るシーンを一つだけ挙げるとすれば、柔道女子52キロ級の2回戦でまさかの敗退を喫し、大会2連覇を逃した阿部詩選手のあの号泣する姿だ。試合会場に響き渡るようなあの泣き声は耳に残る。 

  話は変わる。能登には「一村一墓」という言葉が残っている。半島の尖端・珠洲市三崎町の大屋地区での言い伝えだ。江戸時代の「天保の飢饉」で人口が急減した。能登も例外ではなく、食い扶持(ぶち)を探して、大勢の若者が離村し人口が著しく減少した。大屋村のまとめ役が「この集落はもはやこれまで」と一村一墓、つまり集落の墓をすべて集め一つにした。そして、ムラの最後の一人が墓参りをすることで「村じまい」とした。その後、村は残った。江戸時代に造られた共同墓は今もあり、共同納骨堂とともに一村一墓は地域の絆(きずな)として今も続いている。

  きのう旧盆の墓参りで奥能登の墓地を訪れた。多くの墓石にはブルーシートが被せてあった。元日の能登半島地震の影響で墓が損壊し、骨壺を納める場所(納骨室)がむき出しになったのだろう。この墓地は山の斜面地に造られている。墓石の修繕は進むのだろうかと気がかりになった。道が細くて機械が入れないところもある。道路に面したフラットな地形の墓地の場合は、小型クレーン車などを使って墓石を吊り上げて元の位置に戻すことで作業が進むだろう。が、細道や斜面地の場合は小型クレーン車などが入れないので、現場で柱を三又に組んでチェーンブロックを取り付け、墓石を一つ一つ上げ下げして修復することになる。とても手間暇がかかる。

  「令和の一村一墓」という言葉を頭の中で描いた。この際、共同墓と共同納骨堂の構想を描いてはどうか、と。余計なことを勝手に言っては、地元の人に失礼にあたるので言葉を慎む。

(※写真・上は、ブルーシートが被せられた墓石=輪島市の墓地で。写真・下は、墓の塔の部分に当たる竿石が石段を転げ落ちた墓石=能登町の墓地で)

⇒13日(火)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

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☆「もしトラフ」なら 金沢の森本・富樫断層への影響は

2024年08月11日 | ⇒ドキュメント回廊

  宮崎県日向灘沖で8日に発生した地震を受け、気象庁は南海トラフ地震の臨時情報「巨大地震注意」を発表、きょうで3日目となる。会見では「地震発生から1週間程度、特に2、3日は大きな地震が発生することが多いということで注意が必要」と述べていた。実際に2011年の東日本大震災の時も、3月9日にマグニチュード7.3の地震が発生し、その2日後にマグニチュード9.0の巨大地震が起きている。

  気象庁公式サイトで南海トラフ地震の各地で想定される最大震度をチェックすると、石川県内は、加賀市などで5強、金沢市など5弱、輪島など能登が4となっている。金沢の5弱はまさに元日の能登半島地震だ。当時は金沢市海側の平地の西念地区などが5強、山手の寺町台などが5弱だった。その地震で、金沢の山手の住宅街でがけ崩れがあり、民家4軒が道路ごと崩れ落ちた。また、民家の庭にある石灯篭などが数多く倒れた。

  金沢に住んでいるとやはり気になるのは、森本・富樫断層のことだ。国の地震調査研究推進本部は毎年、社会的に影響が大きい「主要活断層」を公表していて、そのうち切迫度が最も高い「Sランク」は全国で31あり、その一つが森本・富樫断層だ。断層は全長26㌔におよび、今後30年以内の地震発生確率が2%から8%とされる。

  金沢市の公式サイトに掲載されている「平成24年度(2012)被害想定調査結果」によると、この森本・富樫断層帯で市内中心部の直下地震が起きた場合、マグニチュード 7.2、最大で震度7と想定され、死傷者数1万4000人、避難者数19万3000人、建物被害は3万1700棟との予測だ。

  適切な表現ではないが、能登半島で震度7の地震があり、さらに南海トラフ地震が起きると、上下に挟まれた位置にある森本・富樫断層帯へどのような影響を及ぼすのか。発生する確率が高くなるのか。

⇒11日(日)夜・金沢の天気    はれ

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★アメリカ発祥のブレイキン ロス五輪でなぜ競技から外すのか

2024年08月10日 | ⇒ドキュメント回廊

  ストリートダンスがオリンピック競技になっているとはきょうようやく知った。メディア各社の報道によると、パリオリンピックで唯一の新競技「ブレイキン」の女子決勝が9日、コンコルド広場で行われ、日本の湯浅亜美選手がリトアニアの選手を破り、栄えある初代金メダリストに輝いた。

  そこでブレイキンについてネットで調べてみる。自由度の高いダンスパフォーマンスを特徴としている。ダンスに合わせる音楽は、選手たちに事前に知らされていない。DJがその場で選択した音楽に選手たちが即興で得意とするムーブで踊っていく競技。初めて知った。ブレイキンはアメリカのニューヨークが発祥の地でもあるものの、2028年のロサンゼルスオリンピックでは競技から外されている。なぜか。さらに調べてみる。

  ブレイキンは、別名「ブレイクダンス」として知られ、1970年代のニューヨーク市のブロンクス地区で始まった。当時は「ヒップポップ(hip hop)」と呼ばれ、黒人の若者たちが音楽やダンス、ファッションを通じて発した白人社会への抵抗の文化だった。(※写真は、パリ五輪で日本人選手の金メダル獲得を報じる10日付の夕刊各紙)

  一方で、ブロンクスはマファイの抗争の地でもあった。ロバート・デ・ニーロ監督の映画『ブロンクス物語』(1993年制作)はマフィアのボスと一人の少年の物語として知られる。ブロンクスはニューヨークヤンキースの本拠地であるスタジアムがある場所としても知られるが、ギャングの抗争など治安の悪さはいまも続いている。

  本来ならば、ヒップホップ文化で生まれた競技スポーツがパリオリンピックの競技に選定されれば、それはそれでアメリカとしては栄誉なことではないだろうかと単純に考える。ところが、ロス五輪大会組織委員会は去年10月の段階で、ブレイキンを追加競技候補から外す決定を下している。ブレイキンを競技スポーツと扱うことにアメリカ国内では違和感を持つ人が多いということだろうか。アメリカ社会の複雑な断面をあらためて知った思いだった。

⇒10日(土)夜・金沢の天気    はれ

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☆5・5、1・1、8・8「ゾロ目」地震が続く 能登の被災地に「変化の光景」

2024年08月09日 | ⇒ドキュメント回廊

  昨夜は眠れなかった人たちが大勢いたのではないだろうか。気象庁はきのう8日、九州・日向灘で起きた地震を受け、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を初めて発表した。同地震の想定震源域では甚大な被害が想定されている。今後1週間は平時より発生の可能性が高いとされるので、防災・減災が最優先すると日常生活もままならない。それにしても不気味だ。去年能登の震度6強は5月5日、元旦の能登の震度7は1月1日、そして日向灘の震度6弱は8月8日だった。

  きのう、元日の能登半島地震の被災地をめぐった。その中でみつけた「新たな変化」をいくつか。珠洲市で7月にオープンしたホテルのレストランで、ココナッツをベースとした薬膳カレーを注文し、夏のカレーを楽しんだ。ホテルとレストランの支配人の男性は札幌市出身で去年7月に珠洲市に移住。震災直後から、焚き出しや高齢者の避難所への送り、被災地の支援で訪れた人たちに自宅を開放するなどのボランティア活動に取り組んできた。

  レストランから少し離れた場所で、新たに建築中の建物があった。支配人に「あれは何ですか」と尋ねると、「3Dプリンターの住宅ですよ」と。兵庫県西宮市の建築会社が施工している建物で、ホテルのオーナーがホテルの一室として活用するために発注したようだ。2人暮らし向け平屋タイプで、ダイニングや寝室、バスルームなどがあり、9月早々には完成の見込み=写真・上=。石川県では初めての「3D住宅」だとか。どのような家なのか。また珠洲市を訪れる楽しみができた。

  その後、6月21日付のこのブログでも紹介した、建築家・坂茂(ばん・しげる)氏が手掛けた木造2階建ての仮設住宅を訪れた。木の板に棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を使用している。DLT材を積み上げ、箱形のユニットを形成する。石川県産のスギを使い、木のぬくもりが活かされた内装となっている。外装の色合いも周囲の松の木と妙にマッチしていて、まるで軽井沢の別荘地のような雰囲気を醸し出している=写真・中=。

  この後、輪島市で焼け野原状態になった朝市通りを訪れた。通行規制などがかかっていて、現地への立ち入りも許されなかった。そこで遠目で見渡して分かったのは、焼けたビルなどはまだ残ってはいるものの、散乱していたガレキはかなり片付いているということだった=写真・下=。

       まったく変化が見られないところもある。平家の子孫とされる輪島市町野町の「上時国家」は国の重要文化財に指定されているが、地震で全壊した。また、能登で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されている輪島市門前町黒島のシンボル、「角海家」も倒壊しそのままだった。輪島市は重伝建保存対策事業費として3億4000万円の予算を組んでいる。「国の遺産」をいつまで手つかずの状態にしておくのか。

⇒9日(金)夜・金沢の天気    はれ

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★屋内でも熱中症になる 「暑熱順化」を社会教育のテーマに

2024年08月07日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登には伝統的な特徴ある住家がある。黒瓦と白壁、そして「九六の意地」と呼ばれる間口9間(約16㍍)奥行き6間(約11㍍)の大きな家だ。「意地」というのも、家を建てるなら大きな家を建ててこそ甲斐性(かいしょう)がある、とされるからだ。10年ほど前だが、実際に九六の家を訪ねると、畳にして32畳の広い座敷があった。能登では結婚式や葬儀を自宅で行う。家の主に「エアコンを使わないのですか」と尋ねると、「夏は風が通るし、冬は石油ストーブがあればそれで十分」とのことだった。このとき、能登の大きな家ではエアコンは必要ないのだろうと思った。

  きょう(7日付)地元紙・北陸中日新聞が、「奥能登 相次ぐ熱中症搬送」の見出しで記事を掲載している。以下引用する。能登半島地震で大きな被害があった奥能登2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)で、7月に熱中症の疑いで24人が救急搬送された。24人のうち、住宅内で症状を訴えたのは9人。1人は仮設住宅にいた70代の男性でエアコンはあったが、使っていなかった。さらに、4人は住宅内のエアコンのない部屋にいた。ほか4人に関しては住宅内でどのような状況で熱中症に罹ったのかについて詳細は分かっていない。

  このほか、仕事場や学校など住宅以外での屋内にいたのは5人、農地や道路といった屋外は7人、車内は3人だった。熱中症で搬送された24人のうち、半数超えの13人が65歳以上だった。熱中症というと、炎天下の屋外で起きるというイメージを持っていたが、上記の記事を読んで分かることは、屋内でも、屋外でも発生するということだ。7月下旬になってからほぼ毎日の最高気温が30度を超えていて、この期間で13人が搬送された。

  屋内であっても熱中症になる。ではどうすれば熱中症を防げるのか。ネットで調べると、「暑熱順化」という言葉が出て来る。本格的に暑くなる前から、徐々に体を暑さに慣れさせるとの意味。さらに医学系ネットの解説では、暑さに対して適切な体温調整ができるように、発汗機能を高めること、とある。身体は発汗によって体温を調節するが、熱中症は暑さによって発汗機能が乱れて体温が上昇することで起こる。こうなる前に、適度な運動を習慣化することで発汗機能を高めることや、半身浴によって意図的に汗をかくようにすることなどが有効のようだ。

  厚生労働省公式サイトの「熱中症による死亡数の年次推移」によると、2018年以降は国内で毎年のように1千人以上が命を落としている。ことしはすでに40度を超える暑さが各地で観測されている。暑さが生命に被害を及ぼす時代だ。各家庭でのエアコン設置の義務化や、行政や教育機関による「暑熱順化」の教育が必要な新たな段階に入った。

⇒7日(水)夜・金沢の天気     はれ時々くもり

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☆緑に浮かぶ能登キリコ祭り 埼玉・行田市が田んぼアートで復興応援

2024年08月06日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登のキリコ祭りが埼玉県行田市の「田んぼアート」で描かれ、2.8㌶にもおよぶダイナミックなデザインが話題になっている。このブログでこれまでキリコ祭りを取り上げているので、掲載を思い立ち行田市の田んぼアート担当者にメールを送り、画像の使用許可をお願いした。すると、担当者からOKの返信が来て、画像も添付されていた(※写真・上)。

  行田市の田んぼアートは行政とJAが企画し、2008年から毎年実施されている。タテ180㍍余り、ヨコ150㍍余りの田んぼには、色の異なる4種類の稲(緑は「彩のかがやき」、白は「ゆきあそび」、赤は「べにあそび」、黒は「ムラサキ905」)が植えられる。この世界最大級の田んぼアートは2015年にギネス世界記録に認定されている。

  6月上旬に行われた田植えには、市長の行田邦子氏はじめ、子どもたちほか916人が参加した。ことしのテーマは『がんばろう!能登 日本遺産 キリコ祭り』。田んぼアートを通じ、世界に向けて能登復興を発信したいとの思いから、日本遺産「灯り舞う半島 能登~熱狂のキリコ祭り~」のキリコ祭りを図柄に選んだ。苗が成長し、7月下旬から見頃を迎えている。花火の下でキリコが3基舞い、キリコを担ぐ人々の姿などが緑の中に浮かび上がる。デザインの中の「能登」「復興祈願」「がんばろう!」の文字は、石川県立能登高校の書道部員の作品を使用している。(※写真・下は、毎年9月に開催される珠洲市正院のキリコ祭り)

  現地には、田んぼアートを見渡すことができる「古代蓮会館」という施設の展望台があり、稲刈りが始まる10月中旬まで楽しめる。入館料は大人400円、小中学生200円。うち10円が震災復興の義援金として石川県に寄付されることになっている。

  壮大なスケールで、しかもデザインや文字にこだわりがある。田んぼアートに込めた復興への願いが強烈に伝わって来る。石川県民の一人として感謝したい。

⇒6日(火)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

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★奥能登芸術祭の破損作品を再生し 復興のシンボルに

2024年08月05日 | ⇒ドキュメント回廊

  株式相場が荒れまくっている。先週末の終値より一時4600円以上値下がりした。岸田内閣は、「貯蓄から投資へ」というスローガンを掲げ、ことしから「新NISA(少額投資非課税制度)」を始めるなど資産運用を奨励してきたので、この制度を活用して株式投資を始めた人も多かっただろう。また、円安でドル建て外債を購入した人も多かった。ところが、株式市場の暴落と急激な円高だ。もちろん、投資は自己責任なのだが、「政府や日銀が余計なことをするからだ」といまさら嘆いている人も多いのではないか。詰まるところ、個人消費が一段と冷え込み、景気全体が腰折れするのではないか。

  話は変わる。去年秋、能登半島の尖端の珠洲市で奥能登国際芸術祭が開催されたとき、「奇跡の作品」と称された作品があった。その年の5月5日に同市北部を震源とするマグニチュード6.5、震度6強の地震が発生し、市内だけでも住宅被害が690棟余りに及んだ。その強烈な揺れにもビクともしなかった作品が、金沢在住のアーティスト・山本基氏の作品『記憶への回廊』(2021年制作)だった。

  写真・上は、去年5月の震災後の8月23日に金沢市内の学生たちとスタディ・ツアーで、作品の展示会場を訪れたときのもの。スカイブルーの室内で、白い塩の作品。高さ2.8㍍の塩の階段だ。床と階段で7㌧の塩を使っている。作品の階段の中ほどと頂上付近で崩れたように見える部分があるが、これは2021年の制作のときとまったく変わっていない。

  作品は2021年9月16日の震度5弱、2022年6月19日の震度6弱、そして去年5月の震度6強とこれまで3度の大地震に耐えた。しかし、ことし元日の震度7の地震では、珠洲市の関係者から「残念ながら壊れた」との話を耳にしていた。

  どのように壊れたのか一度見てみたいと思い、先日(7月24日)、展示会場を訪ねたが、鍵がかかっていた。きのう、芸術祭の総合ディレクター・北川フラム氏が震災支援を目的に立ち上げた「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」公式サイトをたまたま見つけた。チェックすると、「5月の活動報告」(6月11日付)に壊れた『記憶への回廊』の現状の画像が掲載されていた=写真・下=。塩の塔が無残にも崩れ落ちた姿だ。この画像を見る限りでは、根こそぎ倒壊したように見える。

  公式サイトによると、作品を点検に訪れた山本基氏が「落下した天井板が当たったことにより塩の塔が崩れた」と述べた。また、「今後の修繕も出来る限り現状のものを利用していく考え」と語るなど、作品の復旧に意欲を燃やしているようだ。

  プロジェクト名の「ヤッサープロジェクト」の「ヤッサー」は、珠洲のキリコ祭りの掛け声で、若い衆が力を合わせてキリコや曳山を動かすときに「ヤッサーヤッサー」と声を出して気持ちを一つにする。北川氏は芸術への想い、地域復興への願いを一つに込めて、「ヤッサープロジェクト」と名付たのだろう。この作品『記憶への回廊』の再生が復興のシンボルの一つにならないだろうか。

⇒5日(月)午後・金沢の天気   はれ時々くもり

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☆阿部詩選手と能登の「泣き女」の号泣 威勢よくキリコ巡行

2024年08月04日 | ⇒ドキュメント回廊

  パリオリンピックで柔道女子52キロ級の2回戦でまさかの敗退を喫し、大会2連覇ならず号泣した阿部詩選手の姿が印象的だった。試合会場に響き渡るようなあの泣き声、テレビで視ていて、ふと自身の故郷の奥能登のことを思い出した。小学生のころだから今から50年以上も前のことだ。親戚の葬儀に参列すると、棺(ひつぎ)にしがみつくようにして、ワァッーと号泣する女性がいた。子どもながらにびっくりしたのを覚えている。あのときのイメージと阿部選手の号泣が重なる。

  能登では真言宗の葬儀などで「泣き女(め)」と呼ばれる女性の号泣で死者を弔う儀式がかつてあった。泣き女の泣く姿に周囲の人たちも泣いて弔う。そんな儀式だったと記憶している。それぞれの地域には泣き女役の女性がいた。ただ、いまは見たことも聞いたこともない。すっかり昔の話になった。(※写真・上は、東京五輪女子52㌔級で阿部詩選手が金メダル。史上初の兄妹同日優勝を飾った=JOC公式サイト動画より)

  話は変わる。能登では夏から秋にかけて祭りのシーズンとなる。「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」。能登の集落を回っていてよく聞く言葉だ。能登の祭りは集落や、町内会での単位が多い。それだけ人々が祭りに関わる密度が濃い。子どもたちが笛を吹き、太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らす。大人やお年寄り、女性も神輿やキリコと呼ばれる大きな奉灯を担ぐ。集落を挙げて、町内会を挙げての祭りだ。(※写真・下は、燃え盛る松明をキリコが威勢よくめぐる能登町宇出津の「あばれ祭」=7月5日撮影)

  きのう夜(3日)能登で最大級のキリコが巡行する七尾市の「石崎奉燈祭」が行われた。キリコは高いもので15㍍になり、五階建てのビルの高さに匹敵する。重さ2㌧ほどのキリコを男衆100人が担ぎ上げ、「サッカサイ、サカサッサイ、イヤサカサー」と威勢のよい掛け声で町内を練り歩いた。元日の地震で倒壊した家屋があり、道路も一部で歪んだりしているため、祭りの開催には町内で賛否両論があったようだ(8月4日付・地元メディア各社)。そこで、前夜祭は中止とし、キリコの巡行も道路に傷みが少なかった300㍍に限定して行われた。

  もう一つ、能登でよく聞く言葉。「1年365日は祭りの日のためにある」。震災があっても祭りの伝統は絶やさない。能登の人たちの意地でもある。

⇒4日(日)夜・金沢の天気    はれ時々くもり

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