EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR東北新幹線

2007年08月09日 | 東北

070721tohokuse3  JR東北新幹線には03年8月13日に初乗車を果たしている。北海道遠征の途上に乗車したのだが、それまで一度も乗っていなかったので、東北新幹線の初代顔である200系を飛び越してE2系はやてに乗って八戸まで乗り通している。当初日本海を使うルートを考えていたが、日本海は発売即売り切れとなり、次にながらを使うルートも検討したが、こちらもながらが満席ということで、空いていた銀河で東上することにした。サンライズののびのびの線もあったのだが、乗り継ぎが厳しいということでパスした。はやてに乗ったはいいが、お盆期間のため指定が取れても通路側ということで、駅弁を食した以外は後は眠りに就くだけの道中だった。

 2度目の東北新幹線は04年1月1日の東北遠征で、正月パスを利用して、仙台から朝一のこまちに乗って秋田新幹線乗り潰しをして、秋田から快速~山形新幹線を乗り継いで、福島から東北新幹線に入って東京へ戻るルートを組んで乗車している。朝一のこまちはさすがに空いており、盛岡まで各停で走るものの空席が目立つ状況だった。東京対東北各都市の東北新幹線から東京を抜くとまったくのローカル新幹線に落ちぶれてしまうということを実感した形だった。山形新幹線は新庄からほぼ満席状態で、山形からは自由席では立ち客が出るような乗り具合だった。元旦の上りでこの混雑というのは異常とも言えるのではないか?と思ったものだ。それだけ新幹線が東京~山形間の輸送を牛耳っているということなのだろう。

 04年の盆休みには東北乗り潰し旅行に出ており、04年8月13日の夜に山田線を乗り潰した後、時間の関係で盛岡~八戸間ではやてに乗っている。盆休みとはいえ、末端部の夜の利用だけに利用者はほとんど降り立っており、車内は閑散とした面持ちだった。この遠征では東北を訪れた割にこの1回しか新幹線には乗っていない。

 05年7月16日には再び東北・北海道遠征をしており、この時も日本海縦貫経由で行くつもりが、仕事が片付かず日本海に乗り遅れ、急遽ムーンライトながらに変更して東上して、大船でスーパーレールカーゴを下手くそな流し撮りで撮って、睡眠を取るために空いているやまびこに盛岡まで乗っている。やまびこといっても200系ではなくE2系なので、はやてに乗るのと何ら差のない乗り心地だった。盛岡からはIGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道の初乗りをしている。この年には8月に再度東北・北海道遠征をしており、北海道完全制覇と東北もほぼ手中に収めるという状態にまで持って行けた。7月と同じように銀河で登場して03年の北海道行き同様東京から八戸まではやてに乗っている。03年と違うのははやての窓側を取れていたことぐらいで、時間帯等は同じ列車だった。八戸で少しブレイクタイムして、ホタテなどを賞味して、485系つがるに乗り込み、浅虫温泉まで行き、同駅隣接の道の駅にある温泉で一風呂浴びて、スーパー白鳥に乗って青函トンネルを抜けて渡道している。北海道の鉄を乗り尽くして、急行はまなすで青森まで戻り、青森から奥羽線で大館へ出て同駅から花輪線の乗り潰しをして盛岡まで出た。ここまでは順調に行程を消化してきたのだが、盛岡駅前の松屋で遅い朝飯と昼飯を兼用した食事をしている時に宮城県で大地震が発生した。盛岡でもかなり揺れたが、この程度なら新幹線もすぐ動くだろうと最初はタカをくくっていたが、駅の待合室のニュースで宮城県ではかなりひどいことになっており、東北新幹線は復旧の見通しが立たないというニュースを見てがく然とした。とりあえず乗車する列車の発車時間に近かったのでホームに入ってみたが、すぐに復旧する見通しではなかった。居場所もないし、いつ復旧するかもわからないので、とりあえずホームで本などを読んでしばらく待ってみたが、いつまで経っても復旧しそうにないので、その日の帰阪は諦めて、盛岡でホテルを取ることにした。何とか駅近くのホテルに泊まることができたが、新幹線の指定券を取っていたため、夜になってから東北及び東京から先の東海道新幹線の指定をキャンセルしに盛岡駅まで出向いた。私と同じように切符の変更や払い戻しをする人でみどりの窓口は大混雑していた。改札付近にはその日のうちに復旧することを期待して列車を待つ人で溢れ返っており普段は静かと思われる盛岡駅もその日に限ってはてんやわんやの状態だった。ホテルに戻ってニュースを見るととりあえず深夜に全線で運転を再開したということだったが、途中徐行運転などを行うため明日以降もダイヤは大幅に乱れる見通しということだった。これは朝から動かないことにはまずいことになると思い、早起きして盛岡駅へ向かい、時刻表でとりあえずの目星をつけて自由席があるやまびこに乗ろうと思いホームに上がった。しかし、やまびこの運転はなく、はやてを全車自由席扱いということで運転する旨の放送があった。八戸方面はあまり地震の影響がなかったはずだが、車両の遣り繰りがつかないのかダイヤは大幅に乱れており、はやては30分ぐらい遅れて盛岡に到着した。盛岡からは当然ながら立ちん坊で、乗れただけでも幸せという状態だったが、仙台に近づくにつれて列車の速度は落ち、途中何度も停止を繰り返して仙台には1時間以上の遅れで到着した。仙台からはMAXやまびこの運転もあったようだが、ここからははやても回復運転とまではいかないでも通常の走りはするだろうと思った。現に大宮までは先行列車に当たって何度かスピードを緩めながらも快調に走っていた。しかし、大宮から先は列車がつかえているため、大宮から東京方面へは在来線をご利用くださいという案内があった。大宮では2時間遅れというのが微妙な時間だったので、これは東京まで乗り通さねばと思い、東京まではやてに乗って特急料金の払い戻しを受けようと思った。しかし、これがとんだ間違いで、大宮からはそれこそ在来線よりも遅い速度で走るというより長時間信号待ちのため各所で停車するという状態で大宮から上野まで1時間ほどかかってしまった。上野到着で既に特急料金の払い戻し云々の状態を越えていたので、上野ではやてに見切りをつけて、上野駅のみどりの窓口で払い戻しを受けて、山手線で東京へ出て、漸くの思いでのぞみに乗って帰阪した。東北新幹線にはこのような苦い思い出があり、ある意味においては忘れられない新幹線となっている。

 なお、苦い思い出以降も東北遠征が何度かあり、05年年末の東北遠征では仙台空港から東北に入り、大船渡線に乗るために仙台~一ノ関まで東北新幹線に乗っている。この時乗ったのは各駅停車のやまびこだったが、間合い運用なのかE3系+E2系のこまちはやて編成を使用した列車だった。古川では正規列車のこまち・はやてに追い抜かれ、一瞬ではあるがE3系同士の追い抜き劇を見ることができた。この遠征では北東北の天候が荒れており、北上線を乗り潰して秋田方面へ出て男鹿線を乗り潰して秋田空港からバースデー割引で帰阪する予定にしていたが、低気圧の影響で大雪及び突風が吹き荒れる秋天候となり、秋田方面への遠征を断念して北上の宿で色々策を講じて、東北新幹線で仙台へ出て、仙台から常磐線の乗り潰しをすることにした。E2系やまびこで仙台へ出て意気揚揚と仙台駅に降り立ち、バースデー割引のキャンセルは痛いなと思いながらもとりあえず安全策を講じたということで、開放的に仙台駅で撮影に興じて常磐線に乗り込もうと思ったところで携帯電話をやまびこの車内に忘れたことに気づいた。仙台駅の忘れ物センターで問い合わせてもらい、とりあえず見つかり次第連絡を頂く(もう一台携帯を持っていて助かった)という手筈で、常磐線に乗り込み、途中で車内で携帯が見つかったという連絡を貰い、東京駅の忘れ物センターで受け取るということで段取りがついた。東北へ行くと忘れ物をするというジンクスがあり、山形ではマフラーを忘れて、着払いの宅急便で自宅へ送ってもらったことがある。苦い思い出は地震だけではなく携帯を忘れたという苦い思い出もある…そういったことも含めるとあまりいい思い出がない新幹線と言える。

 いい思い出がない新幹線の割に、その年の正月には再度東北新幹線に乗っており、正月パスを利用して秋田からわざわざ在来線で盛岡まで出て、盛岡から指定が取れたはやてに大宮まで乗っている。東京までの指定を取っていたが、大宮で撮影をしようということで大宮で途中下車している。大宮からは上越新幹線に乗り換えてガーラ湯沢への乗り潰しをしてJR全線乗り潰しを達成している。その後は東北とは縁が切れた形になっていたが、私鉄で乗り残していた福島交通、山形鉄道、仙台空港鉄道に乗るために07年7月21日に遠征した時に、東京から福島までMAXやまびこに乗っている。3列非リクライニングシートの自由席に乗ったのは初めてと思われるが、狭苦しく堅苦しい車内だが、2階建てからの景色はよく、1時間ほどの乗車なら苦にはならんかなと思った。


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