4月30日土曜日。九州遠征2日半目。宮崎を6時58分に出る西都城行き普通に乗る。当然のごとく817系2両編成だ。稀に717系が来るが、ほとんどが817系だ。早朝なのに高校生の姿が多い。地方の路線の特徴と言えるが、土曜日だから登校日なのだろうか。部活動にしては皆がバラバラな感じで制服を着ているので、登校日なのかもしれない。南宮崎を過ぎて数駅で田畑が広がり山間部に入って行く。さすがに本線だけあって小気味良い走りをするが、特急が走る路線としては少し物足りないところもある。並行する高速道路も連休中なのに空いている。電車も空いており、大震災の災害の後であり、また宮崎自体が色々な被災地であることを考えても、人口の減少を感じざるを得ない状況だ。地方の疲弊というのは現地に行ってみないとわからないことが多いし、上辺だけ見ていてはわからないことも多い。途中山間の信号所で787系きりしまと行き違い待ちを行った。485系なき後は787系と783系が使用されているようだ。817系はUV96と書かれたUVカットの大きなガラスが側窓に使われており、カーテンレスになっている。223系2000番台も同様にカーテンレスで登場したが、遮光性と熱吸収の問題で客からクレームが多発したのか、のちにカーテンが取り付けられている。817系はカーテンレスのままだが、遮光性は確かに東の車両同様よさそうで、景色が若干暗く見える。熱吸収はどうなんだろうか?暑い九州で耐えられるほどだから今までカーテンレスを続けられているのかもしれない。都城へは7時59分に到着。ここで鹿児島中央行きに乗り換え。8時25分発まで26分待ち。その間に787系特急きりしまが来て時間つぶしをさせてくれた。
8時20分頃西都城方から817系2連が入線。よく見ると先ほど当駅まで乗ってきたV4編成だ。西都城で折り返し回送で都城まで来たらしい。これに乗って再び鹿児島を目指す。宮崎でもすぐに住宅地が途切れて、田畑というより山間部に入って行ったが、都城も同様で、西都城を出るとどんどん山間部へと入って行く。今度は県境を走るだけに山深く入って行く印象で、霧島温泉近辺はよくこんなところに線路を引いたなと思うようなところを走っている。全体的な景色がわからないが、線路の周辺に人家が見当たらないところが多々見られた。ここで災害にでもあったら遭難することは確実だろうと思うようなところがたくさんある。霧島神宮からは一気に山を駆け下りていき、町を回り込むように走って国分に着く。国分はかつては大隅半島を走る大隅線が出ていたが、既にその姿はない。反対側ホームの副本線では415系が休んでいた。霧島神宮から乗車が増えていき、国分から座席がほぼ埋まる状態になり、隼人で立ち客が出た。ここからは鹿児島に近づくにつれて利用者が増えていく。加治木で高校生が下車していったが、その後は増えるばかりで鹿児島手前で超満員になった。鹿児島中央まで行かず、鹿児島で降りるつもりだったので、早目に席を立とうかと思ったが、身動きがとれない状況だった。果たして降りられるかと思っていたが、意外に鹿児島で降りる人が多く、十分に鹿児島で降りることができた。
役目を終えた485系が2編成鹿児島駅の隅に留置されていた。廃車回送待ちか?それともこのまま留置されるのか。