EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

南海本線

2007年07月18日 | 近畿

051127nankai50506  南海本線には学生時代に授業の関係などで時間が空いた時に何度か乗って、難波~和歌山市間を乗り潰している。学生になる前は南海は全く一度も乗ったことがなかった。南海と言えば私が物心ついた時には既に弱小球団だった南海ホークスかこうや号の印象ぐらいしかなかった。じゃりんこちえにも登場する大阪の下町の電車に乗ったのは華やかに関空が開港してから1年経った95年のことだった。初めて乗った時は関空まで行く料金をケチって手前のりんくうタウンで降りて、帰りはJRの関空快速に乗って帰った記憶がある。確か9000系空港急行に乗ったが、南下するに連れて段々利用者がいなくなっていくのには驚いた。普段乗っている阪急やJR京都線などは都市間輸送を担っているため、両方向へ利用の流れがあるが、南海や近鉄は片側が和歌山や奈良という都市であっても、京都や神戸ほどの規模ではないし、さらにそれらから外れると大阪方面への片輸送が顕著になることを実感した。阪急宝塚線などでも同様のことが言えるが、印象としては南海の方が片輸送の印象が強いように思えた。関空開港後1年経って、輸送が思ったほど振るわなかったという情報を頭に入れて乗っていたところもあるだろうが、それ以後南海が不振を続けていき、現在のような減量ダイヤに陥るとは思ってもみなかった。

051127nankai1003  南海の看板と言えば高野線のこうや号という印象があり、子供の頃に一度だけこうや号を見せてもらうということで難波駅に連れられたことがある。この時は冬場で車両点検のため運休しているということでこうや号を見られなかった。それ以後南海とは何の関わりもなしに過ごしていったが、関空が開港して南海の主役は高野線のこうや号から本線のラピートへと移っていた。従来の鉄道のデザインの殻を打ち破る斬新なデザインで登場したラピートだが、空港景気が過ぎると閑古鳥が鳴くようになっていた。そんなラピートに初めて乗ったのは、96年秋に鉄道の日記念の乗り放題切符をJR西日本が初めて発売した時に、近畿圏の乗り回しにそれを購入して、関空へ初乗入れした時の折り返しに、JRから離れてせっかくだからと大盤振る舞いで南海のラピートに乗って難波まで戻った時だ。当時のラピートは今のように主要駅停車タイプではなく、関空から難波までノンストップのラピートαだった。当時はαとβが交互にそれぞれ60分毎に運転されていたが、今はその面影もなく、αは実質的に消滅した形になっている。ラピートαは難波~関西空港間を29分で走っており、短いトリップだったが、あの時は奮発してデラックスシートに乗って、ドリンクサービスを受けて小さな贅沢をしている。学生時代はアルバイトで稼いだ小銭で小さな贅沢を味わって満足していたことが多い。今では逆にそんな小さな贅沢さえせず、見た目ケチケチな鉄活動をして満足している。鉄活動の内容の濃さとしては昔は薄口で今は濃口の活動をしている。どちらがいいのか何とも言えないが、鉄という観点からは今の方がはるかに充実した活動をしていると言える。

051127nankai100102_1  ラピートに乗ったのはその1度きりで、あとは3DAYチケットを使って南海各線の乗り潰しをした時に和歌山港から特急サザンの指定に乗ったことがあるぐらいで、それ以外で南海の座席指定券が必要な特急には乗っていない。子供の頃憧れだった特急こうや号にも乗っていないので、次は特急こうやに乗ってみたいと思う。また、ラピートはまだ登場から10年ほどしか経っていないが、サザンに関してはそろそろ新型への置き換えも期待したいところだ。1000系の足回りにラピート級の車体を載せた新車を阪和特急再興のために投入して欲しいものだ。

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