JR山陰本線米子~出雲市間は98年夏に宍道~米子間を制し、残りの宍道~出雲市間は01年末の遠征で制覇している。98年夏は木次線からの直通列車で松江まで行き、松江からキハ58系快速とっとりライナーに乗り、倉吉まで直通している。倉吉からはスーパーはくとの初乗りで帰阪した。この当時はまだ山陰西部も山陰中部も高速化前で、キハ58やキハ181が我が物顔で山陰本線を闊歩していた時代だ。01年末はJR西日本の年末年始のフリーきっぷを利用し、30日夜のだいせんで篠山口まで別途料金を支払って乗車し、日付が変わった篠山口からフリーきっぷを使用して、米子まで乗り、米子からスーパーおきで江津までの乗り残し区間を潰して、江津から折り返しスーパーくにびきに乗って米子まで戻っている。この時は米子にて今はなき寝台特急出雲との並び写真が撮れている。スーパーくにびきも後にスーパーまつかぜに統合されてなくなっているので今となっては貴重な画だ。この後、倉吉まで快速とっとりライナーに乗り、キハ58の走りを堪能して、倉吉からはやはりここでもスーパーはくとに乗っている。
その後山陰には何度か通っているが、03年7月26~28日の遠征では山陰ディスティネーションの企画フリー切符を利用して、境線の乗り直しと一畑電鉄の乗り潰しをしている。このときは山陰西部は高速化後で、キハ187系、キハ126系が米子(キハ187系は鳥取まで)まで顔を出していた。山陰中部は高速化前夜で特急こそキハ187系が中心となっていたが、快速とっとりライナーはキハ58系が使用されていた。山陰中部の車両は塗装が国鉄色になっており、山陰本線はまさに国鉄天国であった。山陰中部の高速化により、キハ58はキハ126などに置き換わったが、キハ47はまだまだ健在だ。
04年8月28日には秋のダイヤ改正で廃止になる急行だいせんの惜別乗車と木次線乗り直し、芸備線備後落合~新見間の乗り潰しを目的に再度山陰本線中部を訪れている。この時は松江でサンライズ出雲、宍道で出雲を撮影している。出雲は引き過ぎてDD51が一部欠けてしまったが、いいお天気の中出雲を撮影できたのは今となってはよかったと言える。この時は山陰本線高速化がすべて完了していたので、米子から倉吉までいったん引き返してキハ126系快速とっとりライナーを初体験している。キハ47系列が残るとはいえ、キハ181系さらにキハ58系が消えた山陰は既に国鉄色が薄れた地域となっている。