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EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

鹿児島市電に乗る~九州遠征9~

2011年05月12日 | 乗り鉄

110430kagoshimaskagoshima 鹿児島駅前にて顔を並べる7000形ユートラム2

110430kagoshimastenmonkan  4月30日土曜日。JR日豊線で鹿児島に到着。留置線にあった485系レッドエクスプレスを障害物の合間から撮影して改札を出た。ここからJRとはしばし別れて鹿児島市電の旅を楽しむ。九州満喫きっぷは鹿児島市電にも乗れるのでJRだけでなく私鉄の乗り潰しをする人には非常に有効な切符である。鹿児島市電も以前に乗り潰しているが、夕方にとりあえず乗っただけだったので、今回は乗り直しである。とりあえず停まっていたユートラム2の郡元行きに乗車する。鹿児島中央駅を経由しない電車と思って乗ったが、鹿児島中央を経由したので少々驚いた。少し計画が狂ったが、終始電車は空き加減のまま終点の郡元に着いた。鹿児島の中心地は言わずと知れた天文館だが、鹿児島駅前からはともかく鹿児島中央からは逆方向になるのでそれほど電車は混雑しなかったものと思われる。鹿児島駅前からは電車が2系統あり頻発しているので、混雑は少なかったのだろう。

110430kagoshimas2121低床車のユートラムとMADE IN JR九州の2120形

110430kagoshimastaniyama 郡元にてしばし撮影。同停留所で折り返す電車も多く、3方向から電車が集まってくるので見ていて面白い。路面電車に乗ると古い電車が多い路線が多いが、鹿児島市電は比較的新しい車両が集まっている感がある。ユートラムと呼ばれる低床車も徐々に数を増やしてきているようでよく目にした。郡元からは路面を離れて俗に言う鉄道線を走り谷山を目指す。谷山行きも都会から郊外へ向かう電車にしては結構乗っていた。終点の谷山まで乗り通す人も多く、JRに対して運行本数、運賃で市電が優位に立っていることがよくわかる。最もそれ以上に道路交通が幅を利かしていることは言うまでもない。

 谷山は以前来た時は陽が落ちた後で、JR谷山まで結構歩いた記憶があるが、陽のある中で見ると鹿児島駅前同様ドーム型の停留所で、その横をJR指宿枕崎線が走るシチュエーションになっていることに気づく。以前はJRの線路とは反対の道路を歩いてJR谷山に向かったので遠く感じたのかもしれない。また、近くてもJRの運転本数が少ないので、次の列車を逃してはえらいことになると思いながら歩いたからかもしれない。

110430kagoshimas1015 谷山からは次の電車で折り返す。今度は郡元から交通局前を経由する系統を選んで乗ったので誤乗はない。谷山から結構な乗りで、途中利用者をどんどん増やしていき、郡元に着く頃には立ち客がたくさん出ていた。郡 元での乗り換えは意外に少なく、逆に利用者を増やして出発する。やはり遠方からの人にはメジャーであっても地元民には鹿児島中央駅はまだまだ中心地とは言えないところなのだろう。高見馬場で先ほど乗ってきた路線と合流する。ここで下車する。ほとんどの人がこの先の天文館まで向かうため降りるのに苦労する。高見馬場からは歩いて鹿児島中央駅を目指す。12時57分のさくらまで十分時間があるので、市電撮影をしながら鹿児島中央へ向かうことにしたのである。途中大久保利通の銅像があったので、敬意を払い撮影。市電撮影をしながらのつもりだったが、なかなか電車が来ずに高見馬場付近で撮った以外は2~3枚程度しかない。エアポケットにはまったようだ。鹿児島中央駅前でお決まりの観覧車バックの画を1枚撮って、鹿児島市電のミニトリップを終了した。列車まで時間があるのに急いで鹿児島中央駅へ向かった。田舎者なので、長距離移動の際は余裕がなければ気が済まない質なのである。しかし、それが仇になって一つ重大なことを忘れてしまった。鹿児島の土産物を買って、意気揚々の新幹線ホームに上がり、シコタマ新幹線の画を撮りまくっていたが、前日に撮り損ねた指宿のたまて箱の撮影をすっかり忘れていたのである。この日のホテルに入ってから気づいたのだから余計に質が悪い。逆に思いださなければよかったとさえ思うほど悔んでいる。こうなれば西大山再訪とくま川鉄道乗り直しとセットで鹿児島を再訪するしかない…と都合のよい決意を表明して鹿児島の旅を締めくくる。~以降熊本編に続く~110430kagoshimasookubo

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京とれいんに乗る

2011年04月27日 | 乗り鉄

110424hky6354  4月24日日曜日。前日の雨の影響か、晴れているものの雲が多く、いまいちパッとしない天気。宝塚線 110424hkysojiji_2 でつるやオープンの臨時などを撮影して、日生エクスプレスで十三まで戻ってきました。ここから本日のメインイベント。京とれいん乗車です。桜が終わり嵐山観光もひと段落したと思われるので、京とれいんの初乗りをすることにしました。十三からの乗車となるので、着席は諦めて、前面でかぶりつきをすることに…。前を走る9300系特急も十三出発時点でもある程度車内に余裕がある状態で出て行きました。2分後にゆっくりと6354F京とれいんが入線。6両編成ながらも立ち客はいるが、それほど混雑はしていませんでした。運転席直後はファンで賑わっていましたが…。十三を定時に出発、淡路に停車して、初乗りファンなどを少々降ろして、少々の乗車もあり発車。ここから京阪間ノンストップ運転が復活!…と思っていたら正雀まで普通の後追いで徐行運転。車内巡回に来た車掌に、“ゆっくり走りすぎちゃうん”と言うクレームを付ける一般の利用者まで出る始末で、車掌氏は“特急の後を追っかけて、準急や普通を追い抜きながらなんで速く走れないんですわ。すいません”と説明。“快速”特急でなおかつかつての京阪間ノンストップを彷彿させるダイヤ設定だけに利用者もそれなりの走りを期待しているようですが、そこは臨時。定期ダイヤを最大限傷めないようにダイヤが組まれています。なおかつ梅田~高槻市間では定期で毎時18本もの列車が運転されており、これに臨時の入るスジでは21本となるため、線路容量がかつかつと言うより、夕方ラッシュ時よりもむしろ厳しい列車本数となっているため、度重なる徐行運転もやむなしと言ったところです。

 正雀で普通を抜いて息を吹き返したかに思えたものの、茨木市を過ぎてから再び徐行運転。ここでも先行の普通がつっかえます。富田にてその普通を追い抜き、高槻市を全速力で通過。しかし、またしても先行の準急に頭を押えられます。全盛期の6300系を期待したファンや利用者には申し訳ない走りとも言えるが、実際のところ現役時代も先行列車の頭打ちはひどかったので、ある意味その時代を体感した(とりわけ20分サイクル時代)ということは言えるのではなかろうか?大山崎~長岡天神間で新駅建設現場をゆっくりと通過し、長岡天神手前から速度を取り戻し、ここで普通を追い抜き、漸く110㎞/h運転を開始。高架工事のため仮線となっている洛西口を通過し、速度を緩めて、桂手前で嵐山線ホームへと転線します。C号線には嵐山から来た河原町行き快速特急が同時到着。対面ホームでの乗り継ぎで河原町へのアクセスも確保しているところは芸が細かい。桂での乗降も多く、とりわけ乗車が多かった。直通の宣伝が行き届いていないのか、あるいは快速特急や直通特急が無視する中間駅からの利用が多いのか。快速特急や直通特急は所要時分こそ遅いものの、大阪梅田や神戸線、宝塚線からの利便性を追求した列車と言える。それだけに京都線の中間駅からの利用は特急と棲み分けしているはずだが、特急からの利用者が桂で快速特急や直通特急に流れてくるのはあまり好ましくない。単線の嵐山線の線路容量を考えれば、嵐山方面へは快速特急や直通特急も活用せざるを得ないのも仕方がない。しかし、観光列車と言える京とれいんなどはなるべく極端な混雑にならないように工夫する必要があるように思う。

 嵐山線内は各駅に停まり、各駅で降車していく人が多かった。上桂は通常の生活路線としての活用、松尾は嵐山と同じく行楽利用が多い感じだ。終点の嵐山に到着。京とれいんは折り返し普通として桂に折り返す。京とれいん同様リニューアルした嵐山駅を外から撮影して、そそくさを改札内に戻り、京とれいん折り返し列車でじっくりと車内の観察をする。

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関東遠征8~成田スカイアクセス~

2010年10月19日 | 乗り鉄

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 10月10日。京成金町線で京成高砂に到着。駅構内を撮影して、上野方のホームでしばらくスカイライナーなどを撮影した。ダイヤの詳細はわからないが、快速などの種別が見られ、急行と言う種別は消滅したのか姿を見なかった。一般特急は本線特急とアクセス特急で、アクセス特急は40分毎の運転なので、遭遇率はあまり高くなかった。スカイライナー2本を撮って、アクセス特急に乗って、成田スカイアクセスの初乗りに向かう。来た電車はアクセス特急用の京成3000系。向かいには京急1000系を使用したアクセス特急が到着していた。京急車による運用もあるのかと思いながら京成車の先頭車両に乗り込む。もちろんかぶりつきだ。北総線は以前乗り潰しており、撮り潰しも完成している。前回乗ったときには既に改良工事が行われていた。待避線などがスカイアクセス開業とともに稼動しており、北総線も普通のみが走る郊外路線から、すっかり空港アクセス鉄道へと変貌していた。しかし、利用者の方は空港へ向かう利用者はそれほど多くなく、初乗りの鉄道ファンの姿も見られ、北総線内で降りていく人も結構見られた。一説によると高い運賃のスカイアクセスは敬遠されがちだそうだ。北総線内も120km/hでかっ飛ばすが、先行する普通がある場合は徐行運転する場面も見られ、速いイメージが台無しとなるところもある。

 印旛日本医大からは新線へと入る。ここからはスカイライナーが160km/hで走る準新幹線といった路線で、アクセス特急も120km/hで走る。成田湯川では後続のスカイライナーの待避があった。特急なのに特急に追い抜かれるのは癪に触るが、相手が在来線最高速度で走るスカイライナーでは仕方ない。成田湯川からは意外にも単線となる。よくよく考えてみれば、途中からは成田新幹線の路盤を走るので、JRと並行して走るのだから単線になるのも当たり前だ。途中行き違いのため信号所にて停車する。対向列車が発車後もしばらく動かず4分も同所にて停車するとのこと。その間に上下の成田エクスプレスが横を通り抜けて行った。速いスカイアクセスにとってはあまり客には見せたくない光景が展開されていたが、ダイヤ上ここでJRに抜かれるのは気分的にあまりよくない。線路を共有する関空でのJRと南海ではまずない光景だが、JRが狭軌、京成が標準軌では現在の線路体系にならざるを得ないので、ダイヤ次第ではこういった光景はいくらでも出てくるだろう。

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山陽遠征2

2010年09月10日 | 乗り鉄

100905hiroden806  山陽遠征2日目。9月5日。この日は広電巡りがメイン。いずれも乗り潰し済みの路線のため、恒例の撮り潰しとなる。と言うように軽く書いているが、実際には体調不良と前日の酷暑での徒歩がたたり、予定をキャンセルしたくなるほど疲れ果てていた。予定では6時ごろにチェックアウトするといういつも通りの早朝チェックアウトを考えていたが、それもままならず、チェックアウトしたのは8時前。この時点では行けるところまで行って残った路線は今回撮りつぶせない呉線とセットでという思いでチェックアウトした。しかし、いざ乗り出すと鉄魂が燃えたぎり疲れと暑さを忘れてどんどんと予定を消化させてくれる。広電は本線系はある程度乗り撮りしてきたが、広島港方面や江波線などは雨にたたられてあまり記憶に残っていないので、じっくり乗りたいと思っていた。まずは比治山経由の広島港行きに広島駅から乗り込む。1日乗車券を購入しているので、当然ながら乗り放題だ。比治山経由は本数が少ないからか電車は満員で途中の広大附属学校前あたりまで混雑が続いた。久々の広島港に到着したものの、電車を降りると昨日以上かと思えるほどの猛暑。酷暑はまだまだ終わりなく続いていく。電車を降りるとたまらんので、再び電車に乗る。次は西広島行き。これに乗れば、紙屋町で西へ抜けるので、当初白島線を先に乗るつもりにしていたが、江波線へ向かうことにして土橋までこの電車を乗り通す。土橋からは夜の雨の中しか乗っていなかった江波線に乗車。江波車庫などを見物して、ここでも酷暑を感じてすぐい折り返し電車に乗り込む。土橋で再び下車して、続いて宮島線に入る。それまでグリーンムーバーMAXを何度も見かけたが、グリーンムーバーが来たので、それに乗り込む。運用がどうなっているのか分からないが、MAXは広島港の系統に入る傾向が強いのだろうか?グリーンムーバーは宮島線で見かけることが多かった。この日の傾向なのか、いつもの傾向なのか、機会があれば調べてみたい。宮島方面は結構観光客で混雑しており、席にありつけないので、最後部で立ちながら撮り潰しを行う。宮島線は軌道から通常の電車線を走るが、ホームが高床式になっているところがあり、時代を感じさせてくれる。今はグリーンムーバーを筆頭に低床車が圧倒的に多いものと思われる。宮島に着くといつもなら速攻アナゴ飯を食らいに行くところだが、前日からの腹痛が続いており、食欲は全くないので、宮島口からJRに乗り、可部線とアストラムラインの撮り潰しへと向かった。

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九州遠征4

2010年08月11日 | 乗り鉄

100808kumashiko1204  熊本に泊まり、早朝からスーパーホテルの天然温泉で疲れを取り(早朝に起きている時点で既に疲れているかも)、早速早朝から撮り潰しに取り掛かります。8/9(日)は熊本市電を起点に撮り潰しを再開。まずは河原町から田崎橋を目指します。熊本市電も既に乗り潰しは完了しています。熊本駅付近もかなり変わっている様子は前日腹痛を抱えながらホテルに向かったときに既に感じていましたが、夜が明けてみてみると以前の駅前の造りよりもすっきりした感があります。だいぶ前に駅前にあったホテルに泊まったことがありますが、既にその姿はなく更地になっていました。また、新しいホテルでも建つんでしょうか。熊本駅前から田崎橋までの市電も改良されていて、田崎橋の電停はかなり小奇麗な電停に生まれ変わっていました。田崎橋からは折り返し健軍町を目指します。前日に祭りがあったせいか朝から結構利用者が多いです。朝日を浴びる熊本城の姿が印象的で、ここをバックにした市電の撮影を戻りにはしようと思いながら健軍町へ向かいます。健軍町の方は前回乗車した時と様子はあまり変わってませんでした。健軍町から続いて上熊本を目指します。後行程が少々無理な行程を組んでいたので、市電撮影は断念して、撮り潰しに専念して上熊本へと向かいました。上熊本も新幹線高架が出来上がり、以前とは違った様相ですが、新幹線の駅ができるわけでもないのに、未だに仮駅舎のようなみすぼらしい駅舎のままでした。熊電の上熊本もみすぼらしいものの、JRも負けず劣らずと言ったところで、一番立派なのは市電の上熊本駅と言っても過言ではないでしょう。100808kumashiko1355

 次行程を考えると上熊本から北上する電車に直で乗るのが一番楽な方法でしたが、熊本駅をじっくり撮れてなかったので、一旦熊本へ出て、熊本から北上の旅を進めることにしました。予定の電車に乗るため、慌ただしい撮影となりましたが、新生熊本駅をしっかり押え、次は新幹線ができてからと心に誓い、熊本を離れました。100808kagoshimakumamoto

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和歌山へ

2010年05月03日 | 乗り鉄

100430nankai10006 天下茶屋から南海本線に入り、3DAYチケットを活かして和歌山へ目指します。和歌山へは特急サザンが便利…というよりサザンしか直通列車がないので、仕方なくサザンに乗る。早朝から活動してひと眠りしたかったので、ゴージャスに指定を取り、和歌山市まで爆睡する。車内はかなり空いていて、私が乗った1号車は他に2人いただけだった。平日昼間とは言え、連休に入っている人も多いだろうに、利用者の少なさは気になるところだ。100430wakayama 和歌山市に着いて、続いてJR和歌山駅を目指す。目的は和歌山電鉄に乗ること。3度目の訪問になるが、今回はたま電を撮ることとたまの見物である。紀勢線で和歌山駅へ…と行きたいところだが、本数が少なく、待ち時間が長いためぶらぶらと市内を歩いていくことにした。和歌山城周辺をぐるぐる回り、わかやまラーメンが食べられる店はないかと物色しているうちに和歌山駅前に出て、駅前の商店街にあるラーメン屋に入り少し早い昼食を取る。わかやまラーメンはあっさりしていて美味しかった。前に食べた時にも感じたのか、なんとなく出汁に酸味があるのは気のせいだろうか?隠し味に梅干しでも入っているのだろうか…[E:happy02]腹ごしらえを完了して駅南側に出て和歌山電鉄の改札で、1日乗車券を購入していざ貴志へと向かう。電車はたま電ではなく、ふつーの2200系だった。駅でたま電などの時刻が書いた時刻表を入手して見てみると次の電車にたま電が充当されるようだ。これなら貴志からの折り返しに乗れるということで、ふつーの2200系でまたまた睡眠を貪りながら貴志へと向かった。100430wakayama2272

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北陸遠征

2008年07月27日 | 乗り鉄

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080727hokurikuef8145nihon2  昨日に引き続き、今日も北陸遠征。遠征というか昨日高岡に泊まったので、必然的に今日も北陸というだけで、今日はほとんど18で帰阪する日程だった。早朝から高岡駅前のホテルを抜け出し、徒歩にて高岡~西高岡間の撮影ポイントへ。前日にPCに付属しているナビでルートを確認していたが、しっかり記憶しているわけでもなく、適当に歩き、適当に迷い、間に合わぬかと思ったところで目の前の視界が広がり、田園地帯に半ば漂着のように到着。目的の陸橋にはかなり距離があったが、そこは以前にも撮影したところなので、今回は田圃の畦道から撮影を試みる。時間がないので、そそくさとポイントを探っていると怪しい人々が集まっているところがあり、とりあえずその近くで撮影することに。広角で狙いを定め、あのバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発[E:baseball]を彷彿させる?日本海、北陸、能登の3連発を何とか撮影。出来はともかく無事撮影できてよかったよかった…と引き上げる時に080727hokuriku489h3noto2 雨がポツリと降ってきた。朝から遠くで雷鳴が轟いていたが、雷鳴もどんどん大きくなってきており、雨脚も急速に強まっていた。[E:rain][E:thunder]傘を持参すべきか少々迷ったが、短時間だからいらんと判断してホテルに置いてきたのが間違いだった。雷雨の中、来た道をおぼろげながら、ここで間違えたのか!!と気づきながらずぶ濡れになって這う這うの体でホテルに帰着。早速服を交換して、シャワーを浴びて一息つく。それからの予定はJR氷見線を往復して後は帰るだけ。本当は美川近辺で雷鳥の撮影でもと思っていたが、天気がおもわしくないし、昨日野町から金沢駅まで歩いて暑さに参ってしまっていたこともあり、早く帰りたい一心もあった。高岡から延々と普通を乗り継ぎ、途中金沢でホリデーライナーなどを撮影して、金沢から福井まで419系に乗り、なんとなく乗り心地の悪いロングシートでうたた寝。福井からは北陸路とは思えない521系に乗車。車内だけ見ると223系とほぼ同じなので、もう関西に帰ったと勘違いしそうだ。実際には福井から敦賀まで小1時間程度かかり、敦賀からは新快速といえど、1時間以上かかるので、まだまだ家に帰ったというレベルではない。福井で熱心に列車を撮影している鉄子さんを発見。CANONの高級デジ一に高価そうなレンズを付けて写真を撮りまくっている。プロなのかもしれないが、たとえプロでも駅名版(上の521系の隣に見える方がそれ)や521系のナンバープレートを撮影しているあたりは仕事だけではない趣味も兼ねている様子だ。名ばかりと思っていた鉄子もここまで来る時代になったかと感慨深いものがある…。

080727hokurikutsuruga 敦賀では新快速の遅延により、1時間遅れでの出発となった。福井県内は雷雨で物凄かったが、定時で走ってきていたのに新快が遅れるとは…お得意の踏切障害かと思ったが、アナウンスによると湖西線内での悪天候による徐行のため遅れたとのこと。敦賀での待ち時間に敦賀港線貨物を見たり、撮ったり、駅前にあるぽっぽという施設の名前が妙に気に入りカメラに収めてしまった。ちょうど521系の車内で鼠先生の歌を聴いていたので、ぽっぽという言葉に反応してしまったのである[E:karaoke]敦賀から1時間遅れの新快速に乗って、高槻で降りて、高槻から快速で我が家のある茨木まで乗り、あとは徒歩で無事に帰宅。先週は首都圏で乗りまくって疲れもあったが、充実感が非常にあったが、今回は乗り潰した路線が1路線、乗り直しが2路線、さらにメインで撮影した夜行列車3連発の出来がいま一つということもあって、なんとなく消化不良な感じがした北陸遠征であった。来週は懲りもせずにSLが引っ張るサロンカーなにわの撮影に遠征する予定です。

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大阪市交御堂筋線

2007年02月13日 | 乗り鉄

051127midosuji11132  御堂筋線の初乗りは正直いつだったかは覚えていない。幼少の頃は天王寺動物園以外はミナミへあまり足を運んだ記憶がないので名古屋からの帰りにビスタカーに難波まで乗せてもらって梅田へ出るのに乗ったのが初めてだったのかもしれない。小学校の遠足で長居公園へ行くのに御堂筋線に乗ったはずだが、おそらく動物園前乗り換えだったはずだから、幼少の頃~小学校さらには電車にあまり乗ってない中学校時代には御堂筋線にはほとんど乗っていないはずだ。高校時代に何度か乗って、御堂筋線はかなり混んでいるという印象を植え付けられた記憶がある。ラッシュを前にした15時台ごろに本町から梅田まで乗って阪急のラッシュ以上に混んでいた記憶がある。その頃はまだ9両編成だったので輸送力も今よりも小さかったはずだが、それよりも並みの輸送量ではなかったのは確かだ。今でも御堂筋線は大阪一混雑する電車ではあるが、昔に比べるとかなり翳りが見える。阪神大震災以降関西の地盤沈下がかなり進行した感があるが、御堂筋線の翳りはその煽りを諸に受けている感じがする。輸送力改善も進み、過去のような大混雑はあまり見られなくなっているが、関西で唯一首都圏の混雑を味わえる御堂筋線の再来を期待したい?

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大阪市交堺筋線

2007年02月12日 | 乗り鉄

060502sakaisuji66615  大阪市交堺筋線の初乗りはご多分に洩れず幼少の頃に天王寺動物園へ行く際である。当時は天王寺動物園への最寄り駅動物園前が終点で、動物園前行き普通が京都線高槻市、千里線北千里から運転されていた。阪急沿線で育った私は写真のような天神橋筋六丁目発着の普通よりも高槻市発着の普通に馴染みを感じているので、天六発着の普通を初めて見たときには少々感動した。堺筋線には天王寺動物園へ行く度に何度もお世話になっているが、私の幼少の頃の堺筋線と言えば、市交は60系、阪急は堺筋急行に5300系が運用される以外は全て3300系が運用されており、あまり面白みに欠ける路線だった。堺筋線の車両運用が変わったのは阪急京都線にとって未だエポックメイキング的なダイヤ改正として語り継がれている平成元年12月のダイヤ改正ごろからだったと思う。当時中学生だった私はあまり阪急に興味がなかったが、高校になってもう一度阪急に興味を持ち出し、阪急のダイヤなどにも興味を持ち出すようになって堺筋線の変化などに驚いた記憶がある。新車の66系が投入され、大半の列車が8連化されて阪急車は当時8連で運転されていた急行に使用される6300系以外の全車種が使われるようになっていた。5300系のみならず7300系や8300系までが使用されていたのには正直驚いた。その後に天下茶屋まで延伸されて、しばらく乗る機会もなかったが、関空が開業して南海の天下茶屋駅が整備されてから、南海方面へ鉄活動をする時などに天下茶屋ルートをよく利用するようになった。

 高校時代に駆け出しの頃の川島令三氏の本に阪急京都線はデータイムに堺筋線直通の快速急行を設定してJRに対抗すべきみたいなことが書かれていたのを読んで、このおっさんはアホかと思ったことがある。氏の考えでは堺筋線を活用してミナミや天王寺からのアクセスを改善して京阪間の輸送改善を行うというものであったが、よくこんな内容を書いて本が売れるものだと思った。氏の提案はころころと変わり、時には堺筋線内でも通過運転を行う特急の設定なども提案していたと思うが、相変わらずアホくさっと思いながら読んでいたりする。とは言いつつも堺筋特急や快速急行などの京阪間対抗案はともかく、現行ダイヤで遊休化している急行を目先を変えて堺筋急行にしてはどうかという考えは持っていたので川島氏の案に真っ向から反対するわけでもなかったのかなと思う。私のデータイム堺筋急行案も川島氏の堺筋快急案も実現することもなく今春のダイヤ改正で特急の淡路停車で堺筋問題には決着が付いた感じがする。ラッシュ時の堺筋急行と堺筋快急は堺筋準急へと格下げとなり、伝統の堺筋急行は姿を消す。緑の幕の準急が走るのはファンとしては楽しみだが、堺筋急行がなくなるのはやはり寂しいものだ。061214hky3324

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近鉄大阪線

2007年02月11日 | 乗り鉄

050514kin21000urbanliner5  近鉄大阪線に初めて乗ったのは七五三で熱田神宮に参拝した帰りにビスタカーに乗せて貰ったときだ。ビスタカー3がデビューした直後で、行きは生まれて初めて新幹線に乗せてもらい、名古屋では名鉄のパノラマカーに・・・乗せてもらうこともなくこちらは見ただけで終わったが、鉄三昧の七五三の締めにビスタカーに乗せてもらった。2階席を指定したのか、それとも当時の名阪特急は空いていたので、楽に席が取れたのかよくわからないが、2階建て車両初体験は新鮮だった。この時の印象が強かったので、後に鉄道模型を買ってもらう時に阪急6300系か近鉄30000系のどちらを買うかで非常に迷った記憶がある。結局阪急を買ってもらったが、今から考えるとどちらもそんなに好きでもない車両だったのに・・・他の選択肢はなかったのかなと思う。

051203kin300002  30000系ビスタカーに乗った以降は近鉄に乗ることもなく、乗り鉄をするようになっても予算の都合で近鉄まで足を延ばすことはなかったが、学生になってなんでか毎日乗る羽目になってしまった。なんで毎日乗ることになったかは書けないが、久しぶりに近鉄に乗って驚いたのは鶴橋の駅の匂い・・・なんで朝から焼肉の匂いが・・・ビスタカーに乗った時は鶴橋で降りず難波まで直行したので、鶴橋初体験は学生になってからということになった。こんな駅阪急にはないというのがまず第1印象で、鶴橋で大阪線と難波線(奈良線)の電車の相互接続が行われていないのにもまた驚いた。驚きの連続はそれだけに終わらず休日には大阪線普通が真昼から布施で3本待避を食らうというのもあった。ラッシュ時じゃあるまいし、おまけに回送の待避を行う普通まであり、近鉄大阪線は特急が最優先という言葉を実体験により実感することができた。

 驚いたと言えば“鮮魚列車”の存在にも度肝を抜かれた。阪急にはまずあり得ない列車で、予備知識もなく実物を見てしまったので、マルーン一色で塗られた車体を見て、近鉄にもまだ古い塗色の電車が残ってるんやなと思ってしまった。しかし、鶴橋などで車内を見ると大きな発泡スチロールなどが積み込まれ、行商のおばちゃんという感じの人しか乗っていないのを見てやっと専用列車であることに気づいた。阪急はおろか全国的にも珍しい専用電車であることを後になって知る。予備知識がないと新鮮な思いもできるが、間違った方向で物事を考えてしまうこともあるので、後で裏づけを取ることが重要だということも学んだ。これはインターネットの掲示板が隆盛を極める時代では一番重要なことでもある。いい加減な私はそれを怠りがちだ(^^;)

 近鉄に毎日乗っているといっても乗る区間は知れたもので、山間部などへ本格的に乗車したと言えるのは学生時代に3・3・3フリーきっぷを使って名古屋を訪れた時ぐらいだろうか。以降撮影などで大阪線を訪れることも多いが、乗車回数は知れている。名阪ノンストップ特急アーバンライナーに乗った時は、ビスタカーに乗った時よりも感動したが、アーバンライナーも昔の勢いはない。アーバンライナーNEXTにも乗車したが、名阪特急復権というにはインパクトに欠ける印象だ。新幹線が隆盛を極め、近鉄特急の失速感が否めないが、近鉄はなんといっても特急が看板なんだから、起死回生の一発を放つ21000系のような車両の登場に期待したい。個人的にはビスタカー4の登場を心から期待したい。

050514kin27822 

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京阪本線

2007年02月09日 | 乗り鉄

060408kei8008  京阪は沿線住民ではなかったので、そんなに頻繁に乗ることはなかったが、親が香里園で商売をしていた関係で、枚方市まで京阪バスに乗って、枚方市から香里園まで京阪電車に乗ることは多かった。しかし、それ以外の区間に乗ることはまずなく、乗ったとしても区間内の枚方公園などで降りるぐらいしかなかった。ただ、子鉄だった私はそれでは飽き足らず親にせがんで香里園から淀屋橋経由で茨木市まで遠回りして帰ってもらったことがある。これが淀屋橋までの初乗りとなったが、それだけでなく京橋でわざわざ特急に乗り換えて3000系特急に乗せてもらったのをよく覚えている。淀屋橋駅をゆっくり見ることはできなかったが、やたらホームが長い印象のみが残っていた。特急で入線した為名物の縦列停車は見られなかったので、阪急の河原町と同程度という印象しか残っていなかったのだ。縦列停車を見るのは8000系の試し乗りをした高校時代が初めてとなった。

 京阪本線を完乗したのは先述した高校時代の8000系試し乗りの時となった。8000系先頭車のかぶりつき席を堪能したものだが、その時後ろの席の学生風の人が、腹痛を起し、車掌にトイレはないかと訴え、トイレはないので臨時停車しないといけないというやり取りをしていた。臨時停車すると救急車を呼ぶ必要があるとか言われていたが、電車は臨時停車することなく七条から京橋までノンストップで走り抜けた。その腹痛客は途中車掌にどこかへ連れて行かれたが、どう処置をしたのかはよくわからない。ごみ袋がどうのこうのという会話が聞こえていたが・・・。

031026kei22172  乗り潰し達成後も京阪はよく乗りに行った。とりわけ撮影をするようになってからは大和田を中心によく撮影に出かけているし、競馬をするようになってから枚方市あるいは淀屋橋、または四条など色々なルートを通って淀の京都競馬場へ足を運ぶようにもなって、京阪に乗る機会も増えた。競馬開催時の淀には急行が臨時停車するのが常だったが、10分サイクル化により、行きに関してはその処置もほとんどなくなってしまったし、競馬ファンもナリタブライアンの引退以降ぐらいから減少の一途を辿っているので、臨時停車、臨時列車の運転もかなり減っている。帰り便はかつてのダイヤでは臨時急行が頻発していたが、これも10分サイクル化でかなり減少している。臨時急行もノロノロと停まっていくため、阪神の甲子園ノンストップ特急のようにもっと大阪方面へ高速で走る臨時列車が欲しかったが、その設定もなく競馬輸送自体が落ち込むようになって10分サイクル化によってそれが顕著になってきている。ディープインパクトが無敗(無配でもあった!!)の3冠馬に輝いた菊花賞では淀に10万人以上の観客が訪れ、特急が臨時停車する事態にもなったそうだが、競馬ブームでも来ない限りそんな事態はもはやないだろう・・・今年オーシャンエイプスが3冠を取ればそれぐらいの混雑になるか?

060501kei9002  京阪も伝統の15分サイクルが崩れ、京阪間ノンストップの特急も阪急京都線同様徐々に停車駅を増やし、急行並みの停車駅数にまで落ちぶれてしまった。急行の停車駅はそれよりもはるかに多いので、快速急行並みというのが正しいのかもしれない。いずれにしても京阪特急の落ちぶれも底をついた感はあるが、特急車両がダイヤの実態にあっていないという新たな問題も出てきている。今後中之島線が開業する頃には、8000系の後継車両の建造も検討されるだろうが、その車両が8000系のように伝統の2扉、テレビカー、ダブルデッカー車付となるのか、9000系のような汎用車に近い車両になるのかは注目されるところだろう。

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山陽電鉄本線

2007年02月06日 | 乗り鉄

031214san5006  山陽電鉄本線に初めて乗ったのは小学校1年ごろだったと思う。お決まりのように祖父母に連れられて姫路城見物に出かけた際に行きは117系シティーライナー、帰りは山陽+阪神に乗せてもらった。子鉄の私にとっては姫路城よりも行き帰りに電車に乗せてもらえる方が嬉しかったのは言うまでもない。

 この頃は学校で流行っていた牛乳キャップ集めも私の趣味となっており、阪急沿線に住んでいた私には世にも珍しい山陽牛乳なるものを売店で見つけ、コーヒー牛乳を飲んで、おまけに売店のおばちゃんにごみになるはずのキャップを貰ってコレクションの中に入れさせてもらった。

050528sanyohan8241  山陽電車は上の画像のような5000系はまだ走っておらず、今とは違う塗り分けの3000系特急に山陽姫路からなんでか高速長田まで乗った。山陽の印象はあまり残っていないが、短いトンネルがあったのと明石付近がまだ地上で路面電車のような雰囲気があったのは覚えている。なんでか降りた高速長田で阪急に乗り換える予定だったが、私がなんでか阪神に乗りたいといったので阪神特急に乗せてもらって梅田へ出たのを覚えている。さらによく覚えているのは阪神特急よりも先に来た阪急特急・・・その頃は阪急も当然のように須磨浦公園まで乗り入れていた・・・が見事にオーバーランしたことだ。今ではオーバーランと言えばJR西の代名詞・・・のようなものだが、昔は阪急もしていたのだなと懐かしく?思う。

060816sanyo3078_1  初乗り以後山陽に乗ったのはあまり定かではないが、学生時代にJRの乗り潰しがてら姫路を訪れた時まで乗っていないはずだ。それ以降は直通特急運転開始直後に試し乗りをしたり、ホームページを開くようになってからは何度も撮り鉄や乗り鉄のついでに乗っている。乗るたびに明石以東と明石以西での走りの差異に毎度驚かされるが、明石以西でがんばっているのだから、もう少し明石以東の走りもなんとかならんものかと思う。山陽の改善策は評論家などのセミプロをはじめ、ファンの間で出しつくされた感じがするが、どの案も現実的なものであっても、画期的な改善策というものはない。全区間に渡って並行する新快速に対抗するのは並大抵ではない。今のままでは衰退していく一方だ。阪神とうまく連携して、難波延伸線の有効活用、近鉄特急の乗り入れ、近鉄特急を範にとったデラックス特急の導入など何とか知恵を絞って新快速に一泡食わせて欲しいものだ。

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阪急嵐山線

2007年02月04日 | 乗り鉄

051002hky230923  阪急嵐山線の初乗りは大阪の小学生としては定番と言える遠足での乗車となった。嵐山へ遠足に行ったのではなく嵐山から歩いて当時の国鉄嵯峨駅まで歩いて、山陰線で保津峡へ向かうというちょっと凝った遠足だった。保津峡の河原でお弁当を食べて楽しかったこともあるが、それよりも山陰線で滅多に乗れない国鉄のディーゼルカーに乗ったことが嬉しくて今でもよく覚えている。嵐山線は観光シーズンだったのかかなり混雑していたのでそのときの印象はあまりない。その後は嵐山方面へ行く時に乗ったり、鉄活動で京福などに乗ったついでに帰宅するのに乗ることが多かった。

 嵐山線といえば、のちに嵯峨野エクスプレスというこじゃれた名前が付けられた嵐山急行の運転が思い出される。梅田~茨木市間だが、桜やもみじをあしらったヘッドマークを付けた急行に乗った記憶が蘇る。あの頃は2800系が運用の中心だったように思うが、嵯峨野エクスプレスになってからは3300系や5300系を中心に6連の7300系や8300系も運用されていたように思う。2001年のダイヤ改正で土休日も10分サイクル化されてしまい嵯峨野エクスプレスが廃止されてしまったのは嵐山線にとっては残念に思う。本線ダイヤはよくなったものの、行楽シーズンの輸送に関しては今一歩のイメージがある。次回改正では特急へより集中する傾向になるダイヤとなる。今一度嵐山直通の優等の復活を望みたいところだ。

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阪神本線

2007年02月03日 | 乗り鉄

050327hanshin89012  私が阪神本線を乗り潰したのは阪急各線同様幼少の頃である。阪神だけはいつもの祖母に連れられてというわけではなく、両親に連れられて神戸へ行った時に初めて乗り、梅田~元町間を完乗した。幼稚園か小学校1年の頃で、親が商売をしていたので、休みが平日だったため、学校が終わってから何でか阪神に乗って神戸方面へ行った記憶がある。どこへ行ったかの記憶はなく元町で降りたのは確かなので、食事でもしに行ったのかもしれない。帰りの記憶はないが、おそらく阪急で帰ったと思われる。初めて乗った阪神電車は速いという印象を受けた。地上をはうように走るイメージそのものだったが、今では高架化が進んで昔ほどのスピード感はなくなっている。阪神は阪急と合併してしまったが、阪急神戸線がスピードアップした現在、阪神にも続いて欲しいと思うのは私だけではないはずだ。

070119hans1601  阪神は以後甲子園へ野球観戦をする時に利用するぐらいだったが、姫路へ行った帰りに本来なら阪急に乗るところを阪神に乗りたいと行って阪神にわざわざ乗せてもらったことがある。子供の頃はなんでか阪急よりも阪神の方が好きだったので、滅多に乗れない阪神電車に乗りたかったのだろう。それ以外で甲子園へ行く以外は乗っていないので阪神とはしばらく疎遠になっていた。学生時代は乗り歩きで直通特急の初乗りなどで乗っているが回数は知れていた。社会人になって、会社が阪神沿線にあり、通勤はもとより仕事で利用する機会があり、今では毎日乗る路線となっている。阪神にはタイガースともども愛着があるので、ライバル関係ではなくなってしまったとはいえ阪急に負けないように頑張って欲しいものだ。

040525hanshinkoshien7 今シーズンからタイガースの縦じまのユニフォーム黄色が入るようになった。阪神の新しい赤胴車はオレンジベースになっており、ジャイアンツカラーだとなじられることが多い。黄色地の電車は少ないが、伊勢志摩ライナーなどを見るとおかしくはない。阪神電車を縦じまにしろとは言わないが(優勝したらそんなペイント電車があってもよい!!)、9300系などの塗装は黄色ベースにした方が阪神タイガースファンへの受けもよくなる。阪神電車にとってはタイガースファンは上得意なので、タイガースファンを喜ばせることも考えて欲しいものだ。

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阪急神戸線

2007年02月02日 | 乗り鉄

060816hky82014 私が阪急神戸線に始めて乗ったのは他の阪急の路線同様、幼少の頃である。ご多分に漏れず祖母に連れられて神戸へ行った際に乗せてもらった記憶がある。その当時は今津線のときにも書いたように西宮北口にダイヤモンドクロスが存在していた。はじめて乗ったのが何歳だったか忘れたが、5歳未満であることは確かだろう。先頭にかぶりついていたのを覚えているし、先頭部の側窓がなくワンハンドルマスコンだったので7000系か6000系だったこともほぼ確かだ。三つ子の魂百までではないが、少なくとも30までは覚えていることにはなる。帰りの電車は三宮で増結をしていたので、須磨浦公園始発の特急だったと思われる。肝心なことは忘れるのにこういうことは案外覚えていたりするのは鉄の習性だろうか?

061223hky70022 以後阪急神戸線には遠足などで王子公園・・・かつては西灘と称していた・・・へ行く時に乗ったし、先にも書いたように宝塚線から今津線経由で西北から梅田まで乗ったこともあった。中学時代は一度西宮スタジアムへ行った際に乗った以外は乗った記憶がないが、高校時代は校外学習とは名ばかりの遠足で一度利用して、他に趣味で何度か乗っている。高校あたりまでは阪急神戸線と言えばいつ乗っても混んでいる印象のある路線だったが、学生になり乗り歩きをするようになった頃からは昔ほど混んでない印象が先立つようになった。阪神大震災以降のへこみが主な理由だろうが、JRの攻勢の影響もあるのだろう。2006年10月28日のダイヤ改正からは特急が夙川にも追加停車するようになった。十三、西宮北口しか停まらなかった過去の特急に比べて現在の特急は2駅多く停まるようになり、所要時分は最速だった26分より1分遅くなっただけなので、見かけ上はそれほどへこんでいないようにも思えるが、実際乗ってみると岡本以西からの利用は随分減っていることを感じる。ATSの改良は今まで消極策しか見当たらなかった阪急にとっては、今後に期待を持てそうな施策であったが、時期がもう少し早ければと思えて仕方ない。京都線にしてもそうだが、JRとの競合に対して後手を踏んでいる印象がかなり多い。特急の夙川停車は事前の策だったと言えるが、防戦いっぽうの印象は拭えない。そろそろJRとの競合からは切り離した阪急独自の施策を見せて欲しいものだ。神戸市交との直通計画はその一案と言える。色々クリアしなければならない問題もあるだろうが、阪急神戸線の発展のために是非とも実現して欲しいプロジェクトだ。

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