特に政治の世界をみていると、主張がかみあわずにいる状態がまるで当然であるかのようにみえる。
どんなに話し合ったとしても、わかりあえることはないと思えるほどに、まるで違う場面がある。
当然によき方向へと合意できそうなのに、あえてそうしない。足を引っ張り邪魔をすることだけに専念しているかのようだ。
民主党政権の時の、石原幹事長はその典型例だった。決めさせない、ことを主眼に行動する。邪魔をする。こういう場面を延々続けられると、もはや政治不信をすぎて、人間不信になったとしても不思議ではない。
そして、安倍政権では、力のあるものに逆らえばどうなるか、を徹底してみせた。とりわけ官僚の人事権を官邸主導としたことで、政権に逆らう官僚はいなくなり、震えあがり、政権首脳の意向をさぐり、忖度するまでになった。
検察、裁判までおかしくなり、安倍政権は一強時代を実現した。もう誰も怖くないという状態となった。
社会のシステムは、こうなると生き生きしなくなる。儲けるものは際限なく儲け、貧乏人は、その境遇から抜け出すことはできない。非正規雇用で、低賃金にあえぎ、企業の都合で簡単に職を失い、社会保険にもはいれない人々が多数生じ、若者は結婚もできない。
将来どうなるのか、老後の年金もままならない。そしてこういう状況を是正しようという動きは政権にはない。黙っていればこの状態が続くということを意味する。
今の状況がこれでいいのか、改善すべきなのではないか、その認識がない。現状でいいではないか、と思っている人びとがいる。他者、弱者に対する視線が、冷たいということだ。
コロナ禍で、社会の現状、政治家の姿勢、資本の論理、弱者の状況、これらが白日のもとにさらされることになった。社会をどうしていくのか、権力争いの手練手管はあっても、現実の困難をどうしていくのか、さらには、人間社会を見る目、どうしていくのか、実際的な政治の在り方が問われている。
無能力がわかれば、躊躇なく、政権交代をしなければならない。野党が何を目指し、主張しているか、マスコミだけをみていてはわからない。積極的に、どんな動きをしているのか、自ら動きださなければならない。
そこから、何がどうなっているのか、誰がウソをついているか、何をやろうとしているのか、見抜かなくてはならない。