舛添氏のような存在があって、始めて、健全な考え方、スタイルのことがよくわかる。身近には、頭がよくて、よくななくて、魅力に溢れる人というのは、そん簡単にはいないような気がするが、それでも、ガリガリ亡者の金儲け主義の人も、そう簡単には、お目にかかれない。
総じて、金持ちは、金にシビアであり、貧乏人は、金に執着しないような気がする。案外、金持ちは、金に関してケチであったり、あるいは、放漫であったり、健康的な理想的な使い方というのは、できないようだ。
そこへくると、貧乏人は、余裕なく、細々と節約を余儀なくされ、悲しい思いをさせられることが多い。それは、おおかれすくなかれ、システムだったり、生存環境の不公平からくる。富裕層の家にうまれれば、貧乏人にはなりにくい。
貧乏人の家から、富裕層になろうとすれば、それなりの苦労はどうしてもいるということになる。そして、誰もが、富裕層にはなれない。
だが、人間社会の揉め事、悲惨な出来事というのは、日々のくらしのなかにある。だれもが、生をうけて喜びに満ち溢れるということが可能かどうか、そのように目指すかどうかである。格差を是認し、それが拡大しようが意に介さないというより、そこへ目が行っているということが重要である。
舛添氏の功績は、そんな人間社会の現実を実例としてみせてくれたことである。舛添氏こそ反面教師の典型例である。
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