事をすすめるにあたって、準備や、段取りが必要となってくる。生きていくということは、何事かを為しながら、また、為さず行動していくのだが、そのときの心構えとしては、誠心誠意で臨むことしかないと思う。
間違えることもあるかもしれない。思わぬモレがあるかもしれない。それでも、誠心誠意であれば、それは仕方がないとしたい。少なくとも、当事者個人としてのとるべき態度として、そうするより他はないと思う。
国会の論議などをみていると、どうだろうか。何を大事としているか、価値観の根拠となっている信条は、どこにあるのだろうか。多様で、真っ向から対立する価値観が交錯する。それぞれに、誠心誠意の立場を貫徹しているのだろうか。
いうべきことを言わず、反省すべきを反省せず、議論のための議論というか、自分たちの方針にのって、うまい具合に言いくるめるような、そんな議論が横行しているようにみえる。
そこには本音が提示されていない。加工されて、あるいは、企まれたものになっている。本音は、あまりに汚くて、表に出せないのかもしれない。あまりにきれいすぎて、言えないのかもしれない。本音のトークとよくいわれるが、それは、なかなか困難である。
つまりは、よく考えて、自然体でいくことか。それが、誠心誠意であればいうことなし。