大事なことをつかんでいるかどうか、どうやって、検証するのか。日本国の総理大臣をもう何年もやっているのに、熱い熱は感じられない。側近がしっかりしているのか、それとも、一旦流れができてしまえば、これに逆らう者は、直ちに合法的に、本人のもっとも嫌う処遇がまっていて、当然のごとく、そうした人事が展開されるとすれば、短い人生を、簡単に棒に振ることとなる。流れにそう生き方となるのだろう。
社会が、解りやすい構造となってしまえば、官僚のとるべき道は、自然と決まる。多少無理であろうと、最高権力者が、その意向を明らかにしているならば、側近は直ちに、動き始める。どうせ、どうにでも決めることが可能なのだから、客観的に、どれが一番とか、それしかないという選択は、それほどないわけであるから、総理大臣がいうことなら、たいていは通ることになる。
生まれ育って、その環境から、あるいは、教育からこうでありたい、という理想なり展望をもてば、かなりそれは実現できるだろうし、世の中に影響を持ち込むことが可能となる。為政者がどう考えるかは、国民に多大な影響を与えるのである。かれらが、どのような価値観をもつのか、重要な意味を持つ。
それにしても、世界中、問題のありそうな指導者が、たくさんいる。本当に人類社会を導ける指導者が、いるのか、それともこれから現れるのか、指導者がすべてを決めるのではなく、必然的にそのような指導者が生み出される土壌が必要である。土壌は国民そのものである。
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