誠実であるかどうかは、すぐに分かることではないだろうか。いくら、真面目そうにしても、口でいくら「丁寧に説明する」といっても、説明しなければ、説明してないじゃないか、となる。誠実ではないのである。すぐわかる、そう指摘されるのは、あたりまえである。
肝腎なことになると、おこたえできない、とくる。こんなやりとりが政治家間でやりとりされ、記者会見などでも連発される。政治に関心をもたなくさせる陰謀かとも思ってしまう。政権側は、あまり関心などもってもらいたくはない。ふんわりと、現政権を認めてくれればいいことであって、深く理解なんてしてもらう必要などないのである。
今日の菅首相の記者会見もそうだった。予定の質問に対して、まちがいのないように、緊張しながら答えていた。学術会議の人事を、学術会議側の、推薦どおりに、しなかったことについて質問があったが、国家公務員の人事のことだからとして、明確なこたえはしなかった。
しかし、彼の本音は、認めなかったのは、政府政権の政策に異を唱える学者だからとはっきりしているのだが、それを言わない。その本音が多様な意見の存在をみとめ、健全な世の中であるための条件を奪う危険な行為であることに、気付かないようにふるまう。知っているからこそ、排除の論理を貫き、支配体制を維持するための方策と考えているのである。
それにしても、このような、記者会見をやりたがらない理由は分かるような気がする。就任以来初めての記者会見である。
尻尾をつかまれないように、核心に触れる質問には、これをはぐらかさなければならないから、一言一句注意に注意を重ねているのである。堅苦しいことこの上ないだろう。
おそらくは、記者からの質問は事前にすべて知っていたかもしれない。実際のところ、驚くような、突発的な質問などなく、核心に触れた答弁を求められた場合は、今まで通り、こたえずにスルーするだけだが、それでも神経は使うだろう。
そこには、彼から見れば、国民一般は、信頼できない国民であり、どう黙らせるかの存在であるにすぎず、気楽な相手ではないのである。
本当に国民の暮らしについて心配し、心を砕いているとするならば、それは態度物腰に表れてくるはずである。もっと親しく、もっと楽に、なれるはずである。それでも菅首相が、生きた表情を見せた場面があった。
それはワクチンができたら打つのか、という質問に対して、順番がきたら打つ、と言った場面である。だれもが、不安を持たざるを得ないワクチンであることの実状を反映した表情であった。だが、うたないというわけにはいかない、この間の事情をきっちりと薄笑いのなかに表現していた。これが、本音というものであろう。
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