当たり前のようで、あたりまえではない。桜がさくためには、さまざまな条件が必要で、条件が欠ければ、桜は咲かない。だが、よほどのことがない限りは、季節が来れば桜は咲く。世の中の森羅万象は、すべてがからみあって、なるべくしてなっている。
勝手な都合で、無理矢理条件をかえたり、作ったりして暴利を貪ったりしても、いつかは、そのとばっちりを受けたりする。だが、そんなとばっちりをうけることもなく、ゆうゆうと人生を過ごす人もいる。
結構不合理だったり、不公正だったりする。万事が理屈通りには進まない。しかしながら、ひどいことをし続ければ、それなりの報いがあってもいいのではないか。なんにもお咎めがないからといって、そのままで済んでしまうとすれば、それこそ人類社会は、はたして存在していていいのだろうかと思わされる。
ロシアの振る舞いをみていて、ただちに、これを懲らしめる決定的な動きというのが、どうみても遅い。この間、多くの犠牲者が生まれ、今も死に続けている。ロシアの報復を恐れてか、ウクライナへの各国の援助は抑制的であり、気合の入ったものとは言えない。
だからといって、本気で全力を挙げて、各国がこの問題に取り組むことになれば、ロシアが消滅しないかぎり、この戦争は終わらない。プーチンだけが、この戦争を維持する原動力ではないにしろ、プーチンの価値観がこれほど非難もされず、戦争を維持しているのをみるのは、おそるべきことである。
プーチン的な考え方がそれなりに、ロシアの国民のなかで力をもっているとするならば、このことこそが問題である。徹底的な敗北を与えて、根本的な反省を促す以外に、戦争を終わらせることはできないのかもしれない。
けったいな考え方をすれば、どうなるのか、そういう帰結をはっきりと人類社会は示さなければならない。できるだけ早くそういう事態が来るようにのぞむばかりである。