問題があって、それをどうするのか、手立てが見つからない状態を、悩むと定義するならば、必ず、手立てはあるわけで、悩む必要はない、といいたいが、いくつもの手段、方法があって、どれにするのかという場合も悩むというとすれば、これは、選択の問題である。手立てはあるのだから、解決可能である。
さて、対策があるにも関わらず、知らなければ、ない、に等しい。インターネットでなんでも調べる突破口はあるのだが、それでも、知らないことを、検索するのは、困難である。
思うに、基本が大事であって、さまざまに興味をもち、調べることを、日頃からこころがけていると、対応できる分野が広がり、「悩む」ことは少なくなる。
しかし、悩むということは、解決への第一歩であることも確かなことであり、正常である。悩まないで問題を放置したために、衝動的に絶望したりすれば、悩んでいなかったため、とも言える。
悩むことは、そうみればいいことであって、悪いことではない。放置してはいけないということか。それも、泳がすというか、発酵させるというか、待つというか、あわてて、解決を焦らないということもあるわけで、手順やなにかもあって、一筋縄ではいかない。そこが、また面白い。
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