美術館の外は、人家が近くにはなく、隣は陸上競技場である。そこにも、ブロンズの彫刻がある。その足元の台の上に、カメラを置いて、二人で記念写真を撮った。背景には、美術館の和風近代建築の、神社を思わせるような、建物の屋根が見える。子供がなく、泰吉の両親とともに、新婚時代の1年ほどと、転勤していた1年半を除いて、生活してきた。朋子にとっては、思うにまかせない暮らしであった。ストレスで、円形禿げが頭一面に広がったこともあった。今もまだ時折出てくる。T市の医師に聞いて、灸が効くというので、何箇所も、これをやる。一時はカツラを考えたが、この灸が効いて、小康状態を保っている。人が、一緒に暮らすのは、すれ違う考え方があり、とりわけ策略的といってもいいような、変な言動癖のある母のために、みんな振り回されてきた。その根源は、自己中心的な、自己顕示欲の強さにある。やるべきことはやる。しかし、それは自らが批判をされないため、あるいは、評価をうけるためにしていることであって、他者のためではない。結果的に他者のためになっているとしても、それは、本意ではない。したがって、その言動によって、泰吉夫婦にとっても、当惑する場面がいくつも登場することとなった。そして、波紋は、そこでとどまらなかった。
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