空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

最後の猫とのわかれ

2019年05月20日 16時46分03秒 | 思考試行

 ついに最後の猫が死んだ。今朝6時。昨夜からほとんど動けない状態だったが、時折悲しげな弱弱しい声をあげる。頭をさすると、こすりつけるかのように反応する。まよこになって寝ているのだが、頭をこちらへ向けて、ジットこちらと目を合わせている。目の色からは、結構意志の力のようなものが感じられる。

 昨日から、どうみても回復は不可能と思われる状況になって、こちらは看取りの態勢にはいっていた。家内は、ほぼ徹夜するつもりのようだった。ふたりの寝床の間に、猫をねかせた。体をさすったり、肉球の温度を感じたり、痩せに痩せた骨だらけの体をそっとなで回していた。

 時々あげる声は、死への不安なのか、あわれであるが、声かけをすると、反応がわずかにある。目はしっかりと、こちらをみているが、涙ともみえるうるおいがある。寝たままの姿勢でいつまでも見ている。

 こちらはいつの間にか、寝入ってしまったところもあるが、猫は寝入った様子がない、が、苦しむ様子もなく、本当に楽になっていくという実感がある。

 妻が、息をしていないみたい、と声をかけてきて、目が覚めた。安堵感のようなものがわいてくる。これで終わったという感慨。

 思えば長い猫との生活があった。入れ替わり立ち替わり猫がやってきて、飼おうというこちらの意志には関わりなく、猫との生活が続いてきた。

 そのなかで、生命一般に対する認識が変わった。親の介護など、結局4人共に深い関係性があったのは、地理的な条件ももちろんあったが、それよりも命との関わり合いということで、極く自然にとった行動だったし、それほど無理でもなく、そして今、後悔はもちろんない。

 これらを可能にしたのは、猫との生活の中で培われた、ありがたい、われわれ夫婦に与えられた感性であったと思う。

 親を。ケアし、キチンと送れたという実感。誰にも言わないけれども、夫婦ふたりの誇りである。

 その当時の兄弟達のふるまいや、その後の事態から、自分たちの身の振り方についても真剣に考える動機を与えてもらった。

 猫を飼うことの、意味は大きかったのだなと実感する。

 


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