防災、減災、から「備災」に変更すべきではないか、テレビで、専門家が言っていた。確かに、災害を防ぐことはできず、減災も難しいとすれば、起こる災害に備えるしかない。
できることをやっておくしかない。我が家でも、かなり以前から、水を買い込んで、ガスコンロもあり、非常用の食料も備蓄してきていた。ぼちぼち、入れ替えもしなければな、といっていた段階で今回の地震となった。
実際の被害はなかったが、生理的に恐怖感を味わい、現実に一週間は、要警戒ということで、あらためて、点検をはじめた。当時、何かの指導書のようなものを見てしたのだろう。リュックの中には、細々と、とりそろえてあるが、使い方を熟知しているとは言い難いものもある。
個人の場合は、自分で可能なかぎり、対処できるようにしておくのは当然として、公的なものについても、災害に備える観点から、建物、塀、など厳重な点検が必要だということを痛感する。
そして、大量の帰宅難民の対策など、大阪の場合、不十分であることがはっきりした。道路が機能しているのに、バスの手配であるとか、緊急時の対応が不十分であることに驚いた。
この地震は、災害の備えるために、なにが必要かを明確にした。じん速に対策をするのかどうか、サッカー勝利に浮かれている場合ではない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます