何かこの世にいいことをして死にたいとすれば、どうするか。理不尽な世の中に、どうにかして、いいことのきっかけとなることを成し遂げたい。そんなのぞみを持つ人がいたとすれば、その人はどんなことをするだろうか。
昔の特攻隊は、自発的にその任務についたとされている。だが、そうだろうか。そこには、誘導はなかったろうか。一瞬の決断によって、その運命は決まったのではなかったか。「お前たち、命が惜しいのか!」こう言われれば、反射的に、どう応えるだろうか。
どれだけ多くの若者たちの命が、失われたことか。どんな思いで、その命を投げ出したのか。戦争が、いかに多くの国民に苦しみをもたらしてきたことか。
しかしながら、為政者は、憲法9条を変えて、自衛隊が誇をもって活躍できるようにと主張する。自信をもって、戦場へ行けるようにするというのだろうか。
憲法9条は、はっきりと戦争をしないと言っている。どうしても戦争できないようにしている。自衛隊でも、違憲と言われれば、否定できない。だが、自衛隊は存在している。
国家として、軍隊のない国家形態など考えられないから、自衛隊の存在を否定する動きは今や皆無といってよい。だからといって、憲法を変えて普通の国の軍隊となったとき、なんで戦場に行かないかと言われれば、言い訳はできない。
君たちはアメリカの同盟軍ではないのか。ショウザフラッグ!と言われれば、戦場にいかざるを得なくなる。どうして、殺しあいの戦場に行かなければならないなか。政治家の作り出した、事情にのり、命をかけて戦場にいく。
そんな馬鹿なことをして、喜ぶのは軍需産業資本ばかりである。相手国の兵隊にも家庭があり、家族がいる。いかに、共生していけるか、そこに焦点を絞って、考えなければならない。
国民に階層をもうけて、いるのではないか。同じ事故を起こしたとしても、違う扱いをする。そんな事件が起きた。滅多にないことだが、あきらかに、そんな事故が明らかとなった。おそらくは、アクセルとブレーキの踏み間違いによる事故とみられる事件で、当事者は高級公務員だったということで逮捕されていない。
この種の事故で逮捕というのは、そもそも変なことであるが、通常は逮捕されて、そういう扱いをうける。警察はそうしてきたはずである。にもかかわらず、池袋の事故はそうしていない。なぜか。
これが、どのように処理されていくか、庶民たる国民はよく見ておかねばならない。そこに違いがあるとすれば、その背景になにがあるのか、よくよく見ておかなければならない。
士農工商といい、貴族、華族といい、皇族といい、財閥といい、国民の間には、いつの間にか高級国民がいることを、知った。扱いが違うのである。
大したことではないと、思いたければそう思えばいい。公務員でも、下っ端の、木っ端役人は、高級公務員からみれば、虫けら同然であり、歯牙にもかけない存在である。それを知らないだけである。階層ははっきりと存在するのである。この差別、区別は、地球上どこにでも存在する。日本は特に。これがあるかぎり、事件は途切れることがない。
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