自分の都合のいいように、人に対する。その言動は、自分が人にどうみられるかについて神経質に思えるぐらいに考えている。はっきりした嘘もつく。言ったことを言っていないということもある。
そして、自分が一番「たよりにしている人」を、むしろ貶めようとする。やってもらっていることを過小に評価し、自分でやったことにする、なんでも自分でやったかの様に装う、そして、真実、自分がしていると、思い込んでいたようだ。
自分で本当にしたことは、なにより高く評価し、宣伝し、人にほこることを忘れない。してもらって、感謝すべきところは、無視ないしは過小評価をする。すなおに感謝することはできない。
悪意という他ない。いつからそうなったのかは不明である。人により、対応を変え、言う内容が異なる。まともに信用できない。そして、そのように、気付き、観察すると、さまざまに見えてきた。
経緯があって、簡単に切り捨てたり、真相をそのまま出すわけにもいかない。そう簡単には、理解してもらえない。今後も、よくよく観察を続けるしかない。
たまにしか会えないというか、相手からすれば、もうあまり関わりがない人に対して、「大泣きをしてみせた」という。よくやってくれている、と、だが、当事者としては、それは、多分に芝居じみている、と感じる。とても、そういう風に考えている、感じているとは、日常の対応では、思えないのである。
普通は、「そうするのだろう」と考えて、そうしている、とみえるのである。要するに「格好をつけている」ようにしか思えない。だが、そのように言うわけにはいかない。疲れるネ、まったく。
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