韓国の現状は、とても理解しがたい。なんでそうなるのか。日本がとてつもなく憎い、恨みに思っているということは、伝わってくる。
なんでそんなに憎まれなければならないのか。もちろん、今、現在の日本国民が、彼らの心情に影響する、うらまれなければならない当事者でないことは明らかなのであるが、韓国の教育は、日本そのものについて、恨みの感情が途切れることのないように、継続している教育の存在がある。
日本がいかに、残酷な仕打ちをしてきたか、世代から世代へと、そのやられてきた実態を子々孫々に伝えてきている。どんなことがあっても、この恨みを忘れてはならないという教育である。
はたして、その全部が事実であるのかどうか、疑わしいけれども、博物館で、人形を使い、その状況を再現すれば、それは、過去の事実として、後代に受け継がれていくことだろう。
それが、事実であったにしろ、現実の世代の人間にとって、どういう意味をもつだろうか。安倍首相にしてからが、戦後生まれであり、もちろん、韓国人がいう加害者ではありえない。
彼の、頭のなかが、過去の日本の栄光を目指しているとしても、韓国を再び植民地化しようとはしていないはずである。そんな可能性はない。
では、なぜに、そんな攻撃を加えるのか。国と国との協定を、なかったことのようにする、理不尽な卓袱台返しを平気でするのか。はっきりいって、韓国の政府のすることは、信頼できない部分がある。論理的とは思えない理不尽さが目立つ。
日本には、過去の事情について、本当に総括できているかと言えば、はっきりしないうらみがあることは事実である。日本がなぜ戦争しなければならなかったのか、そこに、やむを得ない事情があったのか、世界情勢ともかかわって、その事情が必ずしも明らかとはいえず、歴史について、ふりかえる必要があることは事実である。
しかしながら、その問題をあれこれするとしても、結局は、今後の問題であって、今現在日本がどのように、世界とつきあっていくのか、そこが大事であって、隙あらば、世界制覇に向かうとか、他国を侵略支配しようとしているのかどうかが問題である。
それぞれの国家が、それなりに、他国と協力しあいながら、共存していく姿勢ならば、なにを非難しあう必要があるだろうか。そんなことは徒労である。
無意味な対立を煽る行動は、必要がないし、お互いの利益にもならない。