もめそうなところはすべてもめている。お互い相容れない事情がある。どうもそういうことらしい。簡単に片づけるわけにはいかないようなのである。
だが、韓国サイドとしては、自分がやられてきたわけだから、なにもかも面白くないのはわかる。話をすりかえても、自分側が少しは、優位に立っていたことにしたいし、日本の言うままに、韓国の成り立ちに、日本のおかげなんて口がさけてもいいたくはない。
いくら謝まれたとしても、その傷はいえることなく、世代を超えて、この恨みだけは引き継いでいくという強い意志がある。
なにかことがあれば、韓国人は、血相変えて、抗議してくる印象がある。文大統領の振る舞いは、まさにそうだった。こんな国とはつきあうべきではないと思うほかない印象であった。
基本的にそれは変わらないが、意見の合わないところは、あわないということで、それ以上どうしようもないから、そこから先の話をすべきだろうと思う。
さかのぼると、話がつかないし、無用ないざこざを続けるほかなくなる。
相手がどうしても納得できず、論理をねじまげていないのならば、論議はするけれども、どうしようもないことを双方が認め合うしかないのではないか。
まさにすんだことはすんだことであり、今頃、過去の清算がすんでないなどと言い合うことは、言いがかりとしか思えない。といえば、そこから引っかかるのだろうなあ。
といって、戦争が終わって、もう75年もたつのに、清算ができていないのは、なんでかということになる。話は分かりやすくしなければならない。
おもえば、世界各地で、清算なしに推移していることは山ほどあって、うやむやにきているような気がする。
アフリカの黒人奴隷のことや、日本の原爆にしても、キチンと論理づけられているのだろうか。人道的に許されない行為がなされて、それは、放置されたままである。