空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

「配慮」できない戦争屋

2008年09月26日 07時58分00秒 | 思考試行
昨日は、医者に診てもらう日で、久しぶりに電車にのった。以前から思っていたが昔は、結構ツメツメにみんな座っていたが、最近は少し間をおいてすわるものだから、座っている本人は、楽でいいだろうが、座りたくともツメテクレナイト座れない人がでてくる。

昼間は、席が空いているから、つめる必要がなく、その習慣があるのと、携帯電話をいじったりするのに忙しく、周りの状況を見ていないということもある。

昨日は、時間帯が、徐々に混み始めるころだったので、席は、満席でかなりの人が立っている状態であった。小生の列は、6人かけていた。向かい側は5人である。小生は、習性として、自分と隣の人の間は、一人分をみて座るようにしている。従って、少なくとも3人は、電車の設計者の思惑通りに、キチント座る状態になる。そうすると、あとの三席も、三人がけの所に、二人というと、間があきすぎるので、三人がすわる確率が高いのではないだろうか。従って、全体が、6人となったのである。

いわば、小生の意向が、反映されたことで、6人がけのシートが、カッコよく満席となったのである。

こういう「配慮」があるとないとでは、人間関係にとっても大きい。自分のことしか見えていない連中は、こういう配慮はできない、とみる。おおむね、楽にきた人は、配慮されてきたが、配慮なんぞしたことない、という連中が多いのかもしれない。「安城や、岡崎だからよかった、・・・」と無神経な発言をする人は、おそらく、配慮ということは、しないのであろう。

一国の首相が、こんなことではねえと思わされる。

戦争になれば、庶民がどんなに苦労することになるのか、環境がどれだけ破壊されるのか、配慮できなければ、国益ばかり主張する「戦争屋」になってしまう。