読書や旅は、日常生活のなかで、異質なものをとりこむチャンスである。それは、新しい感覚、感性をよびおこされるし、世界が広がる。
そして、それが新しい行動をする意欲をかき立ててくれる。それが、できるのも平和でなくてはならない。
国や民族の枠にとらわれずに、地球全体が和やかに暮らせる時代は来るのだろうか。
人間の歴史のなかで、争いは絶えることなく続いている。6カ国会議などみていると、なにをしているのだろか、と思うほど、普通の流れではない。論理の通らないエゴとエゴのぶつかりあいであるが、自分の都合ばかりをいいつのる姿は醜い。
個人の立場では、静かに平和に健康に、暮らせればそれでいいのであって、基本はそこにある。為政者の余分な価値観から、自由でいることが、処世術といえるかもしれない。
「愛国」とか、言い出したら、要注意だ。新聞も信用ならない。彼らは、常に正義とは限らない。現に、宗教団体が政治に口をだし、カリスマ教祖が明らかに、背後で糸をひいて、その影響力を誇示しても、何にも言えない。広告で、おさえこまれ、丸め込まれている。
右向け右の号令にしたがって、ポスターをはりだしている人が多い。彼らは、自分の考えというより、「信仰」のあかしの、所業をしている。恐ろしいことである。
そして、それが新しい行動をする意欲をかき立ててくれる。それが、できるのも平和でなくてはならない。
国や民族の枠にとらわれずに、地球全体が和やかに暮らせる時代は来るのだろうか。
人間の歴史のなかで、争いは絶えることなく続いている。6カ国会議などみていると、なにをしているのだろか、と思うほど、普通の流れではない。論理の通らないエゴとエゴのぶつかりあいであるが、自分の都合ばかりをいいつのる姿は醜い。
個人の立場では、静かに平和に健康に、暮らせればそれでいいのであって、基本はそこにある。為政者の余分な価値観から、自由でいることが、処世術といえるかもしれない。
「愛国」とか、言い出したら、要注意だ。新聞も信用ならない。彼らは、常に正義とは限らない。現に、宗教団体が政治に口をだし、カリスマ教祖が明らかに、背後で糸をひいて、その影響力を誇示しても、何にも言えない。広告で、おさえこまれ、丸め込まれている。
右向け右の号令にしたがって、ポスターをはりだしている人が多い。彼らは、自分の考えというより、「信仰」のあかしの、所業をしている。恐ろしいことである。