世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

敢えてリスクを冒してでも挑戦する理由(わけ)

2011年05月16日 | 人生
今のままでいい。


あくせくする必要もない。


充分食っていける。



不自由なく

無難に過ごせている。




幸せを感じている。






だからといって

満足してしまったら




はい、そこまで。




自分の

「限界」 に挑戦。




何が限界か。


どこまでが限界なのか。



挑戦しようと思った時点で


もうそれは限界ではなくなっている。




「叶う夢だから、思いつく」


といわれる。



脳裏に浮かんだことは

必ず実現できること、といえる。





苦労して

憧れの山に登って



あれほど感動した景色も


居続けると、飽きてくる。




そうか


現状に飽きが来たのか。



いや


そうではない。



物足りなくなったのだろうか。




登った山の先に


さらなる高い山を見つけてしまった。



もっともっと


美しい頂があるのを知ったから。







いずれにせよ


次なる山を目指すには


一度今いる山を降りなければならない。




あるいは

尾根伝いに行くこともできそうだ。


だが

険しい断崖絶壁が在るやも。




それでも敢えて次の山に挑もうとするのは何故か。




「好奇心」 のなせる技かもしれない。


「欲」 かもしれない。


あるいは


「使命感」 なのか。






「雉も鳴かずば撃たれまい」


というが


本当だろうか。




子孫を残す本能から


彼らは命をかけて、敢えて鳴く。



むしろ

鳴かずに打たれる雉は


哀れである。




双方ともいずれ死は訪れる。




座して死を待つより


好奇心や使命感から



遭難覚悟で


次の頂を目指す姿に似ているような気がする。



例え命取りになると分かっていても

勇気を振り絞って。





【感じたこと】



夢を実現するより


夢を見つけることの方が


数倍難しい。




一旦、夢を見つけてしまえば

あとは



それに向かってまっしぐらに進めばいいのだから。

合コンパーティ in FREE TALK

2011年05月15日 | 仕事
『FREE TALK』 初の


合コンパーティを開いた。
                



ボクにとっては

未知の世界だっただけに




心が高鳴った。




最初は足りなかった女性の方が



結局は多くて


男性はモテモテ状態だった。


盛り上がるテラス席



補充役で

ボクもオブザーバーとして参戦。





結果は


惨敗。




この日に合わせて


取り付けたばかりの


ビアジョッキサーバーも大活躍で




ただただしこたま飲んで、食べての


満足な一日でした。

                   






ところで


カップルは出来たのかな?

恋の灯

2011年05月14日 | 
今思えば

それは

ほのかに宿った


恋の灯だったのかもしれない。






電話の向こうの声は


どこか渇いて聞こえた。




「母とお付き合いされているそうですが


母は真剣にパートナーを探しています」




お付き合い。

パートナー。


微妙な言葉だ。



娘の日本語も

まだたどたどしさが残っている。



それだけに

その真意を計りかねていた。




娘は

ボクのプライベートなことや


彼女(母)への想いを



歯に衣を着せない勢いで

根掘り葉掘りと聞いてくる。




「チョッ、チョッと待って下さい」


ボクは焦って答えた。




「あの、お母さんとはまだ2回ほどしかお話していないですし

それも、ほとんど筆談でして・・・



お互いまだよく知らない訳ですしィ・・・

これから・・・」




娘は

ボクが彼女をたぶらかしているのだと


感じているらしい。




そんな気はさらさらないが

自分でも言い逃れしているようで


うろたえている自分が

情けない気分に陥った。





「母はもうすぐ中国に帰ります。


今度日本に来るとしても、

半年後になるかどうか分かりません」



ボクには

冷酷な言葉に響いた。


激怒している表情が想像できた。





時に意識していない感情が


周りの言葉で

激しく掻きたてられることがある。




娘を思う母心。


親を思う娘心。



彼女(母)にとって

娘はかけがえのない一人っ子だ。



中国の一人っ子政策が

ここにも影を落としているように


ボクには思えた。







その日


いつもは夕刻に姿を見せるむかえのテラスに


人影はなかった。




ボクは

コーヒーを片手に


陽が落ちるまでテラスに佇んでいた。



カーテンが閉められ

中の様子も窺い知れない。




その朝触れた彼女の柔らかい唇の感触が


かすかに残っている。




冷めたコーヒーを

想いとともに一気に飲み込んだ。




そしてまた


恋の灯が消えた。

アバンチュールの顛末は

2011年05月13日 | 
朝、ドアーの呼びベルが鳴った。


まだ寝ていた。



眠い目をこすりながらドアーを開ける。


彼女だった。


昨夜の中国人の。



パンツにT-シャツ姿で迎えた。



コーヒーを淹れながら


しばらくソファーに並んで話す。




筆談を交えて。





しばらくすると


彼女は

自分の部屋で朝食を食べないかと誘う。



娘夫婦は、仕事に出ていないという。





二つ返事で


向いのマンションへ。



もちろんズボンをはいて。





部屋では

なんとなく


微妙な雰囲気になった。


(当然?)




だが


朝っぱらから

変な気にはならない。


(なるけど、


必死で抑える)




もっとも

仕事前で、そんな時間はないし。






とはいえ

帰り際に




軽くキスをした。




このへんは


外国人の特権みたいなものだ。



挨拶程度で

あまり深い意味はなかった、



はずだった。








午後になって


彼女から電話がかかってきた。




勢い勇んで出る。




言葉、分かんないのに


どうすんだ?

ッて思いながら。






ところが


なんと









ナント・・・



























電話口に出たのは













彼女の娘さんだった。











アバンチュールな夜

2011年05月12日 | 
道を挟んで、向かい側のマション。



お互い

時々テラスに出て挨拶するようになった。




しばらくして

その女性が


店にお客さんとしてきてくれた。




ところが


なんと





中国人。



しかも



日本語も英語も全くダメ。




幸いここには


英語の流暢な中国人のスタッフがいる。



彼を介しての会話が弾む。








数日後


彼女は


ここへきて中華料理を作ってくれた。




ウマい!


なかなか手際良く料理が上手だ。



良い奥さんなんだろうな。





聞けば


未亡人だという。


それになかなかの美人。



チョッと、


危ない予感、






それから

毎日のようにテラス越しに手を振るようになった。




彼女は

そのマンションに

娘夫婦と同居している。







スタッフたちが帰ったその晩、


テラスでビールを飲んでいると



夜遅くにもかかわらず

珍しく彼女がテラスに現れた。




何やら


身ぶり手ぶりで

これからこっちに来ると言っている。




Okサインを出すと


一分もたたずに

彼女がボクのところにやってきた。





自ずと


期待は膨らむ。





ところが

いかんせん



日本語も英語もまったく通じず


彼女は中国語でまくし立てる。





台湾や中国に行って便利なのは


こんな場合、

筆談ができることだ。




漢字の意味からして

ある程度、分かる。






彼女は何を言ったか?






「もうすぐ中国に帰ります」


「それは寂しくなるね」


「あなたとゆっくり話したい」


「フムフム、それはイイねー」


「だけど、

娘の旦那がもうすぐ仕事から帰ってくるから


部屋に戻らなければならない」



「フムフム・・・」



という訳で


彼女は

向かいのマンションに足早に戻って行った。






彼女が中国に帰るまでに


まだ数日ある。





さて


どういう展開になるのか。




進展はあるのか?




否が応でも


期待が高まる、よネ。

英語共育論

2011年05月11日 | 英語
英会話は一人で取り組んではいけない。


というのが

ボクの経験論だ。



少なくとも


効率が悪い





とくに


家では


家族ぐるみで取り組むことをお勧めする。




英会話の文章は


黙(目)読より音読のほうが数倍効果がある。



さらには


ジェスチャーを入れると

なおさら効果的だ。





だが

これを一人でやっていると



完全に浮いた存在になり


変人扱いにもされかねない。





家で


テレビ一つ見るのでも


ニュース番組や映画を


副音声の英語バージョンで見るか否かで


その効果には雲泥の差が出る。





家族みんなが


英語に興味があると

同意を得られやすいが



関心がなければ


非難されるのが落ちだろう。





家族みんなに興味を持たせるには



家族海外旅行が最適ではないだろうか。





繰り返すたびに


英会話が共通の話題となってくるだろう。




家族同士で教え合ったり、



競争意識も働く。



同時に


連帯感も増し、


家族の絆を深めることにもつながってくる。





なにより英会話上達の近道にもなる。

ニーズとウォンツの狭間で ビジネスの本質とは

2011年05月10日 | 仕事
ニーズがあれば


ビジネスが成り立つかと言えば



必ずしもそうはいかないところが


ビジネスの厳しさと面白さだ。





人間の行動原理の基本は


たった2つだ。





つまり





「痛みを避けて

快楽を求める」



それだけのことだ。




だから


ビジネスの本質も



「痛みを避けてあげる」





「快楽を与えれ」 ばイイ。




もしくは


そのいずれをも兼ねる。






翻って

具体的問題は


『FREE TALK』 だ。



英語ができればイイなー、



と思っている人は



8から9割方いる


だろうと、踏んだ。



だから


ニーズはある、と。





だけど


これは

「ニーズNeeds」 ではなく


「ウォンツWants」 なのだ。





「ウォンツ」 の段階では


ビジネスにはならない。




ここを履き違えるから


失敗する。






英語が喋れると



いろいろ楽しいらしい。


なんだか可能性も広がりそうだ。


かっこいいし、もてそう。


海外だってすぐ行けそうだし


外国人の友達も作れるかも、などなど。




こういった感覚は

殆どの人たちは否定しないだろう。






現実はどうか。




だけど、


難しそうだし


もともと英語苦手だし


何回か挑戦したけど

一向にうまくならなかったしィ。




お金も時間もかかって

めんどくさそう。




それに


英語出来なくっても

生きていけるわけだし。



大変な思いして


やる必要、ナシ!






それでも、


やろう!

と思う人は


1割にも満たないのかも。




つまり

「ニーズ」 は、

1割止まり。




出来たらイイなー(ウォンツ)





出来なきゃいけない(ニーズ)


に引き上げなければならない。




大変そうという 「痛み」 を取り除き


出来てよかったという 「快楽」 を与えること





考えなければならない。



そして

実行に移す。




さて


早速始めよう!



The time is running out.

人の人生を背負うということ

2011年05月09日 | 苦境
一カ月の節目のミーティングを行った。



目標の半分にも届かなかった


厳しい現状を伝える。




具体的数字を明らかにしながら。




反省と同時に


今後の方針、


対策も同時に提案する。




彼らの意見も取り入れる。





彼らはよくやってくれている。


人柄も良く

仕事もできる。





これ以上にない


環境に恵まれている。




感謝の一語に尽きる。





だが


気持ちと裏腹に


現実の数字は冷酷だ。





当然のことながら


彼らは提示した給料を当てに


仕事をし、

生活設計をしている。





だが

売り上げによる利益だけでは


賄いきれない。





現状は現実としても


彼らの家族のことを考えると




何としてでも


どうにかした気持ちで一杯になる。





最後は団体交渉の体を様した。






彼らの熱意は痛いほど伝わった。







方向性は決して間違ってはいない。


そう言いきる自信はある。




やり方の問題なのだ。



工夫が足りないのだ。





良いと思ったことは


すべてやる。




即行動に移す。



常にフィードバックして


動きを止めてはならない。





そして


決して諦めない。




それだけは


肝に銘じた夜だった。







遅まきながら分かったこと;




従業員は


経営者のために働くのではない。





経営者(リーダー)は


従業員のために


身を粉にして働かなければならない。




もちろん



従業員も経営者も



「顧客(社会)のため」 という


同方向を向いていなければならないことは


言うまでもない。





「滅私奉公」 とは


経営者(リーダー)に向けられた言葉だ。




さて


自分に


その資格ありや。



【教訓】


日々勉強。


日々努力。


日々精進。


日々修業。


そして


日々成長。




怠るなかれ。

タブーを破る

2011年05月08日 | 仕事
広告をしない。


人を使わない。



つまり

広告費、人件費ゼロであること。




これが


今までボクがやってきた事業の


経営方針だった。






そのためのいくつかの手法がある。




1.オリジナルで売る。


今までにないもので

これからも人が真似しにくいモノ。





2.人のこないところで店を開く。

       (わざわざお店)


勢い


田舎の

しかも


今まで誰も来たことがない

辺鄙なところばかりだった。





3.手作り


看板は手作り。



あるものを活用する。




4.店をいたずらに広げない。

    (支店を作ったり大規模展開をしない)



加えて


リゾート地の宿泊業は

シーズン性があり、


予約制である。





だから

自由時間が持てることが何よりだった。




苦しい時は

自分(家族)が辛抱すれば凌げた。






そんなんで売れるの?


やっていけるの?



という疑問を



心配してくれる

ややもすれば、おせっかいな人たちから

いつもぶつけられた。








基本的には


経営戦略は変わらないが





今回


大きく違うのは



人を使うという面だ。





だから今回は


敢えて繁華街に拘った。





当然のことながら



テナント料に加え


人件費が大きな負担として乗りかかってくる





それはそのはずである。


自分のためではなく


スタッフのための事業なのだから。




もちろん


ゲストあってのものであることは言うまでもない。




だから


社会的に意味のあるものでなければならない。





今回の事業には


ボクの壮大な夢が隠されている。



一つは


熊本市を 「国際都市」 にすること。



具体的には


市民の半数以上の人が

英語が話せるようになること。




つまり


英語を日本語(熊本弁)の次の


第二言語に据えることだ。






次に


熊本市を



日本一


外国人が住みよい街にすること。




国際公用語である


英語が喋れれば



自ずと国際感覚が身につくものである


とボクは思っている。





逆に


国際感覚のない人に

英語はしゃべれない、ともいえる。






移民を受け入れ


留学生を増やし




気持ちよく国際交流のできる街。




そこに新たな


文化と産業が勃興する。





宗教的にも


仏教とキリスト教とイスラム教が


見事に融和した街。




これがボクの目指す


「国際都市」 なのだ。





今回の事業が



単なる


英会話スクールや


喫茶店に留まらないのは



そういう意味を含んでいるからに他ならない。





だから

「社会起業」 というのは


そういうことなのだ。





さて



綺麗ごとに聞こえるかもしれない

「理念」 はさておいて




今日でオープンからちょうど一カ月目。




最初の給料日が迫っている。





はたして


お給料は払えるのか?




これが


現実的、喫緊の課題だ。




営業時間が終わると


ミーティングが待っている。




同時に

決断が迫られる。






【自己感想】


『守破離』



起業は自分のためにあらず。



人生は面白すぎる。



だから


人生は辞められない。

今年のゴールデンウィークの意味

2011年05月07日 | 人生
いつもと違う。



自粛ムードの中で始まった

今年のゴールデンウィーク。



だが

ふたを開ければ


例年よりにぎわいを見せた。





2009のりーマンショック以来


ずっと低迷が続いていた。




そして


わずかに上向きかけてきたところに


3月のこの大震災である。






相変わらずの青息吐息で経営を続け




ヒマを逆手にとり


ボランティア活動をしていた先に



今回の 『FREE TALK』 の企画があった。






準備段階から


オープン、



そして


運営と


張り付きっぱなしで


突っ走ってきた。






そんな中


ゴールデンウィークを迎えたのだ。



まあ


4~5日のことだと


高をくくっていたが




結局8日間ブッとうしでお客様を迎えることとなった。





ニ足のわらじをはくと


気迫も違ってくる。



慣れに任せて漫然としていた

お客様に対する姿勢も自ずと違ってくる。






スタッフにまかせっきりになった


『FREE TALK』 のことが


このゴールデンウィークのさ中


新聞に掲載された。

                      




忙しいさなか



問い合わせの電話も

かなりかかってきたらしい。






むしろ


一週間任せっぱなしにしたことで



スタッフたちも



緊張とやりがいを感じながら


運営感覚を掴んでくれたようだ。





まだまだ

軌道に乗るには程遠いが



上昇気流を掴みながらなんとか飛行しているといった状態だ。






いろんな意味で


今年のゴールデンウィークは

一味違った傾向を見せたが




これから夏場に向け


いよいよ正念場を迎えることになる。




まだまだ


へたばるわけにはいかない。

いい人には気をつけろ

2011年05月06日 | 人生
魅力的な人には


当然のように

いろんな人が寄ってくる。



いわゆる

「引き寄せの法則」 が働く。



だが


殆どの人は


下心を持っている。




これも至極当然なことだ。


最初から無私無欲の人など

ほとんどいないに等しいのではないだろうか。



むしろ

最初から

「いい話」 を持ちかける人は

気をつけたほうがいい。



本当にいい人の、いい話なのか


悪い人の、いい話なのか。


見極める必要があるが

これがなかなか難しい。




ときに


善意と打算が共存している場合があるからだ。




殆どのいい話には

裏がある、



と思った方がいい。




しかし

警戒しすぎて

すべてを疑うと



ホントにいい話さえ逃がしてしまう。



つまり


「幸運には後ろ髪がない」 例えだ。





ボクは基本的に

「来る人は拒まない」 主義だ。



だから

話には一旦乗ることにしている。



乗りかかった船には

まず乗ってみる。



ただし


救命胴衣や浮輪、

救命ボートの確認をしておく。





ボクは

個人的にビジネスを一緒にやる人とは



必ず、「同意書」 を作成してサインをもらう。



お互いの協力関係を明らかにして


利益配分をきちんと明記する。




少なくともこれをやらないと


後で必ずもめる。


(同意書をとったからといっても

100%安心ではない)





必ず問題は起きる

と思っていた方がいい。






だが

高い志と理想を掲げているなら


神は、あるいは天は


「救いの使い」 を送ってくれる。



それは

いろんな姿、形をしていて


一見しただけでは

どれが 「天使」 なのか分からない。




形すらない場合もある。



ある程度、

深く付き合う(係わる)必要がある。



媚びず、諂(へつら)わず

毅然かつ真摯に対応していれば



悪魔の使いなら

そのうち向こうから消えていく。



よく

成功哲学的な書物に

「成功者と付き合え」

とか

「自分より優れている人と付き合え」

などと書かれているが



ボクは

むしろ


云わば 「落ちこぼれ」 た人とよく接してきた。




確かに

一文の得にもならない、ようだ。


むしろ負担を強いられることが多い。




だけど

相手は


かなり得している時があるように見受けられる。



それでいい。


相手が得することをする。




自分が得をしようとすると、


騙されたり

失敗することになる。





相手にとって

ボクが都合のいい人間になってあげることこそ


インパクトの大きい道を歩くことができるのではないだろうか。




見返りを求めないこと。





縁があって

出会った人なのだから



どんなひとでも

必ず相互に意味のある人なのだ。




出会った人


一人ひとりを大切に。




騙そうとする人も


こちらに欲がないと


騙しがいがないから


去っていく。




去る者は


深追いせず、

引き留めず。




戻るべき人は

必ずまた戻ってくるのだから。


(「腐れ縁」 という)

男も女も。





結論を言えば



ビジネスに係わらず

人生は



「金」 次第ではない。



いや


「金」 次第の面は否定しないが


それ以前に


「人間関係」 次第。



今まさに


「コミュニケーション能力」 が求められるのはそのためだ。




なぜなら

お金は、


人間に付着しているものだから。




「人間関係」 は


「出会い」 で決まる。




そして


すべての出会いは


自分自身を映し出している。





自分を磨けば


自ずといい出会いが待っている。





そして


いい人間関係を築けば


お金は回るようになっていく。




「金は天下の回りもの」 といわれる所以だろう。





お金だけを必要以上にため込む人は


人の憎悪や邪気をも一緒にため込んでいる。






すべての事象は


自分単独では決まらない。




そこには


良い悪いに拘わらず


「人と人とのかかわり」 が必ず存在する。



それだけに

人を見る目を養うことが重要になってくる。





基本的に

悪い人間はいない。



逆に


最初から

いい人間も、

そうはいないものだ。







まずは


今日出会う人を虚心坦懐に受け入れてみよう。




自分から心を開こう。




そして云おう、


「私は、あなたのために何ができますか?」 と。


心底から、そしてにこやかに。

それでもやっぱりお金!?

2011年05月05日 | 人生
何をやるにも

先立つものは



やっぱり


お金か?





その通りだと思う。



だが


そのお金をどうするか


どう調達(工面)するか。




または


どのくらい必要なのか、などなど



具体的に考えなければならない。






そこで


企画書の中で


事業計画書


資金計画書なるものは


必要不可欠となってくる。





これはお金のあるなしにかかわらず


誰でもできる作業だ。





ここで注意してほしい点がある。



人に頼まないことだ。


自分でやること。




業者や専門家といわれるところに依頼すると


それだけでお金がかかるし




まず


ろくなものは出来ない。




最初から

お金をドブに捨てるようなものだ。





そうはいっても


そんなの書いたことないし


どう作ればいいのかわからない


という人も多いだろう。






そういう時は


無料のツールを利用することだ。




商工会、銀行、税理士会などや


詳しそうな知り合いに相談するとか、


インターネットで調べてみるとか



いろいろと方法はあるはずだ。





時間と労力はかかる。




その分をお金で済まそうとする考え方もある。




だが


ここが運命の分かれ目になることが多い。





まず



ここで苦しむ事は


あとで深い意味を持つことになるからだ。





最初から楽な道を選ぶと



「お金で済むなら」 と


一見、

安易な方向に流れていく。








ここに


夢を実現するための

重要なヒントが隠されている。





それは




「人に相談する」 という点だ。





誰でもいい。


初対面の人でもいい。




相談するというより


「語る」 のだ。





「夢を語る」




それは



「情熱を語る」 ことになる。







これこそ



まさに

もてる秘訣にもつながる。





夢を語る時、


誰でも輝いて見える。



輝く人は


美しい。





それが人に伝わるのだ。



自分を魅力的に見せるコツなのである。





お金の話が


もてる話になってしまった。





ところが



これが


大いに関係する。




お金は


「魅力的な人」 が、

大好きなのである。




人間的に魅力のある人は



磁石のように


お金をひきつける力がある。




お金だけでなく


物心両面で応援してくれる人を引き付ける。





だがここで


もうひとつ

気をつけなくていいけないことがある。





長くなったので


それは


明日。

も一度世界一周を具体的に考えてみた

2011年05月04日 | 
これで少しはテロの恐怖は収まるのだろうか?



ボクが一度目の世界一周を成し遂げたのは


1995年から1996年だった。



まだテロの心配はほとんどなかった。


インターネットも普及していない時代。


旅先での情報収集に苦労したものだ。




帰国後

立て続けに事件は起こった。



1996年、

ペルー・リマの日本大使館占拠事件、


1997年、

エジプト・ルクソールでの銃撃事件、


そして

2001年、

9・11同時多発テロへと。



いずれも数ヶ月前から数年前にその場所に居たことがあった。


どこで巻き込まれていても不思議ではない。





モロッコのカサブランカでは


暴漢にナイフで襲われ

傷を負ったが九死に一生を得ている。




今ここにこうして生きているのが

むしろ不思議なくらいだ。





それから15年


最近

世界地図を眺めることが多くなった。




こんなときが一番楽しい。



いよいよ2度目の世界一周が


自分の心の中で具体性を帯びてきたようだ。



こうなると


もう止まらない。




妄想癖に拍車がかかり


ドンドンととめどなく膨らんでいく。




15年前とは


時代も、状況も、自分の年齢もまったく違う。



旅の形も当然違ってくる。





まず、


行きたい場所に目星をつける。


ルート付けする。



つまり

点と点を線で結ぶのだ。



それから

それに費やす時間の目安を立てる。



1年か、2年か…?



このとき


費用は一切考えない。



お金のことを考えると


まず

ほとんどの計画は頓挫するからだ。



お金はどうにかなる


と、気楽に構えたほうが夢は叶う。



気遣うのは

むしろ体力と気力だ。





夢が実現する時とは


こんなもんなのだ。




寝ても覚めても


「そのこと」 が頭にこびりついて離れない。




まさに


恋の病、だ。



なりふり構わず猛アタック。






漠然と


できたらいいな~、


的に思っていても


まず夢は実現しない。




夢は



「何を」


「いつ」

「どこで」


「誰と」

「どのように」



そして


「なぜ」 そうしたいのか



明確にしなければ


実現しない。




いわゆる

「5W1H」

の法則である。





旅先で怖いのは


「事件」、「事故」、「病」

の3大禍だ。




世界的に

災害も多発している昨今。




予断は許さないが

まずは

テロの恐怖が緩和されるだけでも有難い。

アメリカが歓喜した夜

2011年05月03日 | 国際
ほんの数日前、


世界は英国のロイヤルウェディングに酔いしれた。



そして

週末の夜

日本は

安藤美姫の華麗なスケーティングに魅了されていた。



そして昨日、

オサマ・ビン・ラディンの死を伝えるニュースが


世界中を駆け巡った。





「正義は成し遂げられた」 と



オバマは


殺人を高らかに世界に宣言する。




戦下において


人殺しは正当化される。


(今回の殺戮に本当に正当性があるかどうかははなはだ疑問だが)




割り切れない遺族の気持ちは


取り残されたままだ。




いずれにせよ

ここまで10年を費やした。







大地震や大津波


はたまた


大洪水や大竜巻が甚大な被害をもたらし


多くの人の命を奪おうが



世界の時間は

お構いなしに流れていく。






ところで


ビン・ラディンのデスマスクを見て


すぐさま脳裏に浮かんだことがある。



同じくアメリカのCIAが追い続けていた容疑者(?)を


ボリビアの山中で射殺した1967年の事件だ。



もうお分かりだろう。


チェ・ゲバラ。




彼のデスマスクも


世界に晒された。






坂本龍馬が日本のヒーローなら、


チェ・ゲバラは


世界のスーパーヒーローだ。




彼の埋葬地(イゲラ村)は


以後、社会主義革命家のメッカになっている。




それに恐れをなしたか


ビン・ラディンは即刻水葬されたという。



彼がヒーローになることはありえない。





『正義 (Justice)』 とは一体何者か。





「9・11」 で


アメリカの価値観が変わったという。



そして

10年。


アメリカは

これで一つの区切りを迎えたことになるのだろうか。



テロの脅威は終息へと向かうのだろうか。





「3・11」 で


日本人の価値観も変わりつつあるように見える。




自然の脅威を克服することはできるのだろうか?



目に見えない


放射能という恐怖を乗り越えることができるのだろうか?





もはや

愚かな人間同士が

いつまでも争っている場合ではない。




自然に逆らう


人間の英知を

このまま追求していっていいのだろうか。





中東にも


非暴力革命の嵐が吹き始め


アメリカ型帝国主義が時代遅れになりつつある中、




堀江貴史に象徴される



利益追求型の資本主義も


時代遅れとみなされようとしている。






民主主義という 


『正義』 の御旗を振りかざし



帝国主義的資本主義を推し進めてきた


アメリカの良き時代は



終焉へと向かうのか。





代わって


中国が台頭してくるのか。






また


自然と立ち向かい


エネルギー論もかまびすしい日本にも




10年後、


はたして何らかの区切りがつく日が来るのだろうか?






ボクには


どうも

そう思えないのだが。




釈然としない気持ちを抱えて


美酒に酔う気にはなれない。

頼もしいスタッフたち

2011年05月02日 | 仕事
新聞に載ったらしい。


興奮気味に


スタッフから電話が入った。




まだ記事は読んでいない。



先日、

『FREE TALK』について

地方紙の取材があったばかりだ。

                

             右から、ロシア、中国、ハイチ、オーストラリア(アルゼンチン)日本、無国籍、フィリピン






ところが

ゴールデンウィークに入り


ボクは阿蘇のホテルに缶詰め状態。


もちろん、仕事でだ。



有難いことに

例年にない予約で忙しい。






だから


オープンしたての 『FREE TALK』 は


スタッフに任せっぱなし。


もともとそのつもりだったので

当然のことなのだが。






電話の問い合わせや


来店されるゲストの反響は上々らしい。



さすがに新聞の影響力は強い。






ゴールデンウィーク後半、


あと4日間はボクはホテル暮らし。

もちろんずっと仕事。





さてその間

スタッフの活躍に期待したい。







彼らを


信頼すること。



任せること。


一切の偏見を持たないこと。






彼らは


生きるということに


必死だ。





そこに国境はない。



いかんなく個性を発揮してくれるだろう。






それは今


日本人に求められること。




「国境を越えた生命力」


「地球市民」


という意識


ではなかろうか。




そのためには


『自主(Independent)』


『自助(Self-help)』



そして


『自律(Self-control)』



の3要素が不可欠だ。






さあ、


ボクはこの連休を


その

『自主』 『自助』 『自律』 の精神で

何とか乗り越えなければ。





そして


連休明け


彼らに会うのが楽しみだ。





心から言いたい。




「ありがとう

みんな」