世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

今はもう恋?

2018年10月23日 | 100の力
それはハートに住み付き

激しくビートする。


恋のトキメキ。

PEAのせいだ。


今回は少し違う。


ときめかないわけではない。


トキメキと同時に、

静かな安らぎを感じる。

同時にセロトニンが出ているのだろう。


今回のそれは、

松果体に住み付いたのかもしれない。


安心感というか、安堵感というか。




彼女の側にいると、

穏やかな風が吹いている。


今まで味わったことのない、

不思議な感覚。

それはどこから来るのか。


恋というより、

愛なのかもしれない。


だから、

恋愛。


どこが違うのか。


愛とは、

博愛や子への愛などに広く及ぶが、

恋は特定の範囲を指し、

性的欲求を伴うといってもいいだろう。


恋は下心、

愛は中心(なかごころ)といわれる所以かもしれない。


奪う恋より、

与える、愛。

慈しみ、つまり、慈愛。


傷つけたくない、

守ってあげたい、

という意識が強く働く。



離れてみて分かることもある。


近くにいると感じないものが

距離を置くことで見えてくることはよくあることだ。


恋慕の情がふつふつと湧きあがる。


やはり、恋なのだろう。




【追記】


いま、

恋に異常に慎重になっている自分がいる。


今の自分に恋をする資格があるのか。

タビストという立場で、

恋をしても良いのだろうか。


そう思うとき、

心が萎える。


無意識に恋することにブレーキをかけている。

一方で、

恋は盲目というが、

片目を開けているズルい自分がいる。


それとも、

自遊という禁断の実の味を知ったからなのだろうか。


それとも、

別れることの辛さを嫌というほど味わったからなのだろうか。

出会いは別れの始まりだよ、

という声が虚しく響く。


ペットロスに似た心境かもしれない。

恋に対するPTSDなのだろうか。


恋は束縛を伴う。

執着することになる。


タビストにとって

束縛や執着はアンチテーゼなのだ。

留まることを余儀なくされるから。


束縛されたくないと思いつつ、

相手を束縛しないでいる自信がない。


矛盾との葛藤に苛まれる。


単に身勝手なだけなのだろう。

そう、

恋とは身勝手なもの。


一緒にいたいという恋慕と裏腹に、

一緒にいることで

煩わしさを感じたらどうしよう。


そう想うと、

相手に自分の気持ちを伝えることさえ憚られる。


好きなのに、

好きと言えないもどかしさ。


どうしてこんなに恋に臆病になってしまったのだろう。

いつからこんなに自信を無くしてしまったのだろう。


恋に関して、気弱になってしまった自分に今更ながら驚く。










10月22日(月)のつぶやき

2018年10月23日 | ライフスタイル