デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

一枚の写真を追って-アリューシャンを行く

2013-06-21 14:14:09 | 買った本・読んだ本
書名 「一枚の写真を追って-アリューシャンを行く」
著者 杉山正己  出版社 杉山書店  出版年 1987

この本はあのとき私を呼んでいた、これは間違いない。
今度出す本の打ち合わせのため神田神保町を訪れた6月4日のことである。打ち合わせが終わり、古本屋街を歩いていたとき、外に置かれた廉価本の棚の中に、この一冊があった。黄色い背表紙の「アリューシャン」という文字に惹かれ、棚から取り出すと、古い写真、笑っている日本人兵士が子どもをおんぶしている写真が目にとびこんできた。そして表紙を開くと、アリューシャンの地図があった。このとき私は買うことを決め、レジに向かっていた。
私は通勤中に本を読むのを習慣としている。この本は3日間で読み終えたのだが、この3日間電車に乗るのがどれだけ楽しみだったことか。早く電車に乗って本を読みたいと胸をときめかしていたのだ。こんな読書体験はめったにあるものではない。
呼んでいたのはまちがいなかった。石巻若宮丸漂流民たちが漂着したアリューシャンの島、アトカ島を著者の杉山正己は訪れていたのだ。しかも杉山は漂流民たちのことを知り、わざわざ室浜の太十郎の子孫奥田久吉さんにも会いに行っているのである。
興奮して本の感想を書くのを忘れている。書きたいことはたくさんあるのだが、まず読んで驚いたことが三つあったのでその話しを書きたい。
ひとつめ。
日本軍がアッツ島を占領したときに従軍報道カメラマンがアッツ島の写真を撮っており、そのときの一枚が表紙にあった兵士と少年の写真であった。この写真に興味を覚えた杉山正己は、撮影した同じ性をもつ杉山吉良さんをの元を訪ねる。この杉山吉良という名前になにか記憶があった。読んでいて、そうだあのヌード写真の巨匠だということがわかった。その巨匠がアッカ島で写真を撮っていたこと、これがまずひとつ。
著者の杉山はこの一枚の写真に導かれ、アリューシャンに向かうのである。
ふたつめ。
日本が占領したあと、アッカ島の人々、つまりアレウト人たちはみんな小樽に強制的に移住させられていたという事実。これはまったく知らなかった。杉山は小樽で世話した警察官の鹿内さんや看護婦さんを取材して、アレウト人たちの交流を追う。さらに小樽に暮らした人たちは、結局戦後にアッカには帰れず、アトカで暮らすことになる。杉山は鹿内が持っていた写真、さらには杉山吉良がとった写真を手がかりに、小樽にいたアレウトの人たちと出会っていく。
みっつめ。
それは過去のアリューシャンとの日本人のつながりを求め、いろいろ調べていくうちに若宮丸漂流民のことを知り、その漂着地がどこであるかを推測しているのだ。ここでとられている説は、当会の本間さんや加藤九ぞうさんと同じ「アトカ島」説である。
こんなスリリングなエピソードがこの本に込められていたのである。まさに私に読んでくれと、古本屋の棚で私を呼んでいたと私が思っても不思議はないだろう。
アリューシャンを訪れた人ではないと書けない自然や風土が描かれていた。アトカの島にあるロシア正教会とかウナラスカの島の遠景とか、たくさんの写真も収められている。
紀行文ではなく、一枚の写真を追ってということで、かつてアッツにいて、小樽に連行された人たちは、日本と戦争によって人生を大きく狂わされ、しかも故郷のアッツには戻れないでいる。この事実は重い。
ただそうした憎しみや恨みの他にも、小樽でアレウトの面倒を見た鹿内さんとの交流、さらには看護婦さんの思い出が物語る人と人の情の交わりもあったということもしっかりと胸に刻みつけられた。
最後にこの兵士と一緒にいた少年と著者が会うところは感動的であった。
実は、この本はもうひとつ私を呼んでいたと思われるドラマをつくっていたのである。


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