デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

サーカス学校発表会

2008-12-23 14:36:39 | 観覧雑記帳
公演名 「サーカス学校発表会」
出演  沢入サーカス学校生徒及びOB
会場 群馬県みどり市沢入サーカス学校
観覧日 2008年12月20日(土)13時から(公演時間 1時間30分)

冬の恒例となった期末の発表会。今年は夏に東京の劇場で公演したのを見ているのだが、またその時は違った印象を持った。メンバーもあの時から比べるとずいぶん減っている。一番印象に残ったのは、ショーとしてずいぶん洗練されたものができあがっていたということと、なにより演じる生徒たちの表情が内面から自然にでてくるいいものになっていることである。夏の東京公演、秋の神戸公演と場数を踏んだことは大きいのだろうが、それにしてもみんないい表情で演技していた。発表会ということで、いわいる自分の十八番を披露するのではなく、いまやっている芸に敢えて挑戦している生徒さんも何人もいた。健太君はシガーボックスではなく、今回はローリングバランスを披露したし、エイスケはボールジャグリングに挑戦、生徒会長の鶴君は、キュービックを使った演技を披露していた。エイスケのボールジャグリングはあつしのやっていた玉入れジャグリングをやっていたが、オリジナリティには欠けるものの、かなりの高さに見事入れ込んだのはたいしたもんである。健太君はまだ5ツのシリンダーの上に乗るのはちょっと早いかもしれない。確実にシリンダーの上でバランスをとれるようにした方がいいかもしれない。鶴君のキュービックが面白かった。普通は回すのだが、彼は回す前にこのキュービックをつかってアクロバットをやろうとしていた。こういう未知への挑戦は可能性を秘めている。マイちゃんのフラフーブはずいぶん形ができてきた。まだ失敗は多いがもう少しでいいものができるのではないだろうか。マリちゃんはロープとコミックアクロに挑戦していた。ちょっと身体が重そうだったのが気になる。空中ものは自分で身体を支えるということがあるので、その意味でも減量しないといけないかも。
卒業生が三人いたが、そのうちキグレに入団するななちゃんはブランコとクラウニングを披露。泣きながらブランコの練習をしていたことを思い出す。クラウンで行くのだろうが、まだわざとらしいところがあった。もうひとりの問題児だった一馬君はストラップを披露。驚いたのは5つに分かれた腹筋。これだけ鍛えたのだから、ぜひ身体づくりだけは忘れないもらいたい。カナダのサーカス学校にいくヨシの座布団ジャグリングは風格さえ感じる。世界第三位になっただけあって、確実である。芸の組み立て方もよくできていた。
先生はあとは確実性と安定ということをいっていたが、要は芸が身体にしみつくところまではまだいっていないということなのかもしれない。ただそこまで来ているということは、やはりすごいことだと思う。
卒業する三人は、自分もよく現場が一緒だったりということがあったので、なにか感慨深いものがあった。最後に挨拶にたった西田さんが、Jaるカーのふたりが正式に結婚したという報告。来年の夏ごろには赤ちゃんも誕生し、そしてふたりはしばらくはここ沢入で暮らすという。サーカス村と名付けたのは、ここで生きるという意味がこめられているのだが、こうしてここで生まれたカップルが、ここでこどもと共に暮らすということで、その意味で村民第一号が生まれることになってうれしいという西田さんの言葉に実感がこもっていた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間宮林蔵

2008-12-23 14:22:35 | 買った本・読んだ本
書名 「間宮林蔵・探検家一代-海峡発見と北方民族」
著者 高橋大輔  出版社 中央公論新社(中公新書ラクレ) 出版年 2008年

間宮海峡の発見者として、あるいはシーボルト事件発覚の原因をつくった男として、さらにはスパイとしてなどいろいろ評価が分かれる間宮林蔵の北方探険の足跡をたどる著者の方法は、自らも探検家というだけあって、間宮が歩いた北方を実際に自分も歩いてみようということだった。いくぶん誇張気味の表現が鼻につくところもあったが、この実にストレートな手法で、探検家としての間宮を浮かび上げることに成功している。それにしても厳寒のサハリンを言葉も知らず、通訳もつけず実際に歩いていくというその無謀ともいえる行動力はたいしたものである。実際に歩くことで見えてくる世界は確実にあるわけで、それによって北方民族たちと交流した間宮という新しい視点が生まれた。新書にするのが惜しいくらいの力作である。この間宮を追跡する旅というか冒険には相当の資金を費やしたのではないかと余計な心配までしてしまう。推測と思い込みが過ぎるところはあるが、何故彼が上司と約束した東樺太の探険をさておいて、アムール河を遡行したのかというところは確かに興味深いものがあった。デレンという交易の中心地を特定できるところまで訪ねたのは、たいした行動力だと思う。いずれにしてもスポンサーなしで、独力でこうした調査を敢行したところに、探検家としての著者の矜持があるのは間違いない。
満足度 ★★★


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレンダー

2008年12月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

バックナンバー