ダンポポの種

備忘録です

相合傘の落書き

2008年02月06日 22時01分01秒 | 備忘録
西宮で過ごした小学生時代の思い出については、
「鉄道」との絡みがないエピソードも、いくつかある。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

昭和56年(1981年)3月末、わが家は、広島県から兵庫県西宮市へ引越しした。
ちょうど私が小学3年生に進級する春のことだった。

せっかくの春休みは、引越しの片付けに追われるうちに慌しく過ぎ去り、4月の新学期を迎えると、私は地元のT小学校へ通うことになった。
T小学校は、各学年とも1組から5組まであって、私は3年5組に入ることになった。担任は、学年主任を務める女の先生だった。恐い先生という印象ではなかったけれど、締めるところはきっちり締める、しっかりした先生だった。


T小に通い始めた私が、まず閉口させられたものがあった。

それは、「相合傘の落書き」の流行だった。

3年5組の教室にも、新学期最初からこの習慣は入り込んでいて、いつも冷やかし合いが絶えなかった。休み時間に男子と女子が〝一対一〟でちょっとお喋りしただけで、間違いなくそのふたりはターゲットにされた。

『あのふたりは、アツイ…

と、周囲は言い、黒板に相合傘の落書きをして冷やかすのだった。

何と言うか…、研ぎ澄まされた敏感さだった。

ひょっとすると、これは、西宮に限らず関西の小学校では当たり前の習慣なのかもしれないが、2年生まで在籍した広島の小学校ではそういう空気は全く無かったので、最初、私は大いに戸惑った。

転校生ということで、新学期当初の私は〝お客さん扱い〟によってターゲットからそもそも外されていたようだが、日が経って、お互いの気心が知れるにつれて、容赦なく落書き合戦に組み込まれるようになった。見方を変えれば、クラスの一員として受け入れてもらえた証しでもあっただろう。
その後、学年が上がるにつれて、この習慣は自然消滅していった。そういう〝遊び〟をしなくなった。「オトナになった」とでも言えば良いのだろうか。3年生~4年生の時期に遭遇した習慣だった。

転校生の立場からすると面食らう習慣だったけれども、クラスメートの名前と性格を覚えるのには役立った気がする。