ダンポポの種

備忘録です

旧スナックカー (昭和42年)

2008年02月01日 17時08分15秒 | 近鉄特急
『旧スナックカー』

車両系式:12000系
登場初年:昭和42年(1967年)
全廃車年:平成12年(2000年)
製造両数:20両(2連×10本)


 昭和39年に東海道新幹線が開業したことで、大阪~名古屋間の旅客流動にも大きな変化が生じました。この区間で圧倒的なシェアを握ってきた近鉄の「名阪特急」は、新幹線にごっそりと客を奪われてしまったそうです。これ以降、昭和40年代全体を通して、名阪特急が〝冬の時代〟を送ったことは、近鉄特急の歴史の中で必ず語られる部分です。

 名阪特急の凋落傾向に歯止めをかけようと、近鉄は、昭和42年(1967年)に12000系『スナックカー』を登場させました。スピードでは到底敵わない新幹線に、充実した車内設備で対抗しようという戦略から生まれた特急車両です。

 12000系は新製車両で、2両編成×10編成(計20両)が造られました。
 主な用途を名阪特急に絞り、「新幹線に対抗する」というポリシーを持って生まれた系式なので、それまでの近鉄特急の車両と比べて〝一歩進んだ〟内容になったのが特徴です。
 客室座席は回転クロスシートで、リクライニング式が採用されました。当時、新幹線の普通車は転換クロスシートでしたから、リクライニング・シートの採用は思い切った決断だったのかもしれません。さらに、客室の一角には「スナックコーナー」と呼ばれる小さなビュフェ(軽食コーナー)が設置されました。車体外観では、先頭車の正面デザインが従来のエースカー形から一新され、貫通幌(ホロ)にカバーが付けられたことでスッキリとした顔立ちになったことが特徴です。二階建て構造は採用されず、すべて普通床の車両で構成されました。
 客室設備を充実させることによって、新幹線に流れた利用客を少しでも取り返したい、という近鉄の願いが込められた12000系車両でしたが、何よりもスピードがもてはやされた時代だったか、結局、新幹線に流れてしまった乗客を呼び戻すのは難しかったようです。

 2両編成を1単位としたのは、利用状況に応じた増結を想定したものだったのでしょうが、結果的には2両編成のまま(増結なし)で運行されることが多かったようです。私が子供の頃に見た「電車の本」に載っていた近鉄特急(名阪特急)の写真も、2両編成の短い列車(つまり12000系)ばかりだったと記憶しています。
 
 12000系の特徴だった「スナックコーナー」(ビュフェ)は、個性的なメニューも相俟って乗客に親しまれたようですが、採算面では難があったのか長続きせず、その後に営業休止となって、後年の車体更新工事の際にはスナックコーナーそのものが撤去されるという寂しい結末となりました。

 「スナックコーナー」を装備したのは12000系が最初でしたが、続いて登場した12200系や18400系(後述)にも同様の軽食コーナーが装備されました。これらの系式は、スナックコーナーにちなんで『スナックカー』という愛称名で呼ばれました。系式ごとに区別する意味では、12000系のことは『旧スナックカー』と呼ぶのが一般的です。

 必死の対抗策もむなしく、東海道新幹線の前になす術が無くなった名阪特急でしたが、昭和50年代に入ってから国鉄の運賃・料金値上げが繰り返されたことで、状況が変わってゆきました。どんどん拡大する「国鉄と近鉄の〝金額差〟」を背景に、安くて快適な近鉄特急が乗客に見直され、以後、名阪特急の利用状況は〝奇跡の回復〟を果たすことになります。
 名阪特急の「苦難の時期」を耐えて走り続けた12000系は、その復活を見届けて名阪ノンストップ運用から離脱、後年は伊勢方面への運用にも活躍の場を広げ、平成12年(2000年)までに全車両が引退しました。