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江戸時代のB級文芸-黄表紙のおもしろさ

2020-04-20 23:50:02 | エッセイ・雑文(韓国・朝鮮関係以外)
  江戸時代のB級文芸-黄表紙のおもしろさ
     = 自分本位の仮想授業記録

 さあ、授業を始めるよー、席についてね。
 今日は学校の試験とか入試とかには関係がないし、みんなリラックスしていきましょう。
 あ、〇〇君、机の下の漫画はしまいましょう。見えなくてもわかるんですよ。君たちが真剣な顔で下を見てるのは漫画を読んでるかゲームをやってる時でしょ。

 さてと、今日のテーマは江戸時代の漫画・・・みたいな黄表紙のこと。たいていの人たちは初耳かな? 江戸時代の読み物のジャンルのひとつなんだけどね。日本史受験の人はもしかして憶えてるか。江戸時代の代表的な小説でたぶん知ってるのは・・・って知らないと困るのは上田秋成の『雨月物語』や滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』あたりかな? これらは読本(よみほん)ね。それから滑稽本の代表が十返舎一九の『東海道中膝栗毛』。しかし、こういうの古文の教科書にありますかねー? ああ、『雨月物語』の中の「浅茅が宿」が載ってる教科書があったか。だけど全般的に江戸時代の文学は芭蕉の『奥の細道』や井原西鶴があるくらいで、ほとんどは鎌倉時代までの、むずかしくてカクチョー高い作品が大半を占めているよね。なぜかというと国語教育の歴史と関係ありそうですが、その話はまた今度。
 で、これから見る黄表紙ですが、十八世紀の後期以降に流行した絵入りの読み物です。内容はいうと、「むずかしくてカクチョー高い」の正反対。だから教科書には載らないよね。でも多くの人に読まれたのは今の漫画と同じです。

 では実際にすぐ読めそうなのをひとつ読んでみましょう。はい、プリントを回してね。
 これは1780年刊行の『虚言八百万八伝』(うそはっぴゃくまんぱちでん)というホラ話を集めた本の抜粋です。「万八」とは、一万のうち八つしか本当のことを言わないほどの嘘つきという意味。「千三つ」と同じです。あ、せんだみつおは知ってる? この本の作者は四方屋本太郎(よもやほんたろう)なんですが、内容に合わせてつけた仮の名前みたいですね。
 万八が語るいろんなホラ話の中で多いのは動物を生け捕りにする方法。
 まず、スズメの捕り方からゆっくり読んでみましょう。原文のままですよ。

 万八がいはく、雀を捕るには、庭のくぼみくぼみへ酒をこぼし、また酒めしを沢山庭の内に散らしておけば、雀おびただしく集まり、酒めしをしたたか食い、さてかの酒を水と思ひ飲むほどに段々酔いが廻って、あまたの雀が足元はよろよろと、立つ事もならぬ様になるのを見すまし、カヤやナツメなどのたぐひを枕にしてこころよくねいります。みな皆いびきをかくのを合図に、高ぼうきにて掃き寄せてかごの中にパラパラパラ。

 どうですか? 笑ってるところを見ると意味わかったよね。君たち、ナマの古文を読んですぐわかったこと、今までにあったかな? 初めてだとしたら、それだけでも感動モノじゃないですか。
 絵を見てください。こんなくだらない(?)話でも、けっこう凝ってますね。当時は木版印刷ですよ。大勢の人が制作に関わって大量に印刷され、世間に出回るんです。カクチョー高くなくてもおもしろければけっこう・・・。しかし考えればたいしたものです。それだけ文字が読める人がたくさんいたんですから。パーセンテージでいえば当時世界一だったそうですよ。ページの大部分が絵で、今読んだ本文はどこだ、と疑問を持った人いませんか? いちばん上に注目。ミミズのはったような文字がありますね。かな文字ですが、今は使われていない文字が多いので読むには少し勉強が必要です。

   

 次もやはり鳥の捕まえ方。今度はワシです。

 鷲のとりやうは、猿の皮を丸むきにして、中へ砂利小石などを一ぱいつめこみ、石のこぼれぬやうに皮をぬひ、岩の下などに置ていきていたやうにうごかすと鷲が来て引き裂き、中の小石を猿の肉と思ひ、無性につめこむと、腹が重く成て、とぶ事もならずうっかりとあきれて「ホンニわしとした事が」と云ふをあいづに、いけどる。

 これまた前の話同様に、いやそれ以上に「そんなバカな!」という話ですね。よくこんなホラを思いついたものです。
 私思うに、なんと言ってもこの話のキモはワシが「ワシとしたことが」というこのオヤジギャグにありますね。しょっちゅうオヤジギャグを飛ばしてはヒンシュクを買っている私としては時代を超えて強い共感を覚えますよ。いいですか皆さん。私のオヤジギャグは過去何世紀にもわたる日本の庶民文化の伝統をちゃんと受け継いだものなんですよっ!

 すみません。ちょっとコーフンしすぎちゃいましたかね。
 『虚言八百万八伝』にはまだまだ紹介したい話があるんですが、時間の都合上別の黄表紙作品に移ります。

 今度はもう少し長めの『莫切自根金生木』(きるなのねからかねのなるき)。作者は唐来参和(とうらいさんな)で、刊行は一七八五年です。
 この書名を見て気づきましたか? そう、回文になってますね。君たち何か知ってるかな? しんぶんし、たいやきやいた、わたしまけましたわ・・・。スブタつくりモリモリ食ったブスなんてのも・・・。これ初耳ですか?
 この作品は内容だけ紹介しますね。
 主人公は大金持ちの商人萬々先生。黄表紙の代表作とされる恋川春町の主人公金々先生の隣の隣に住んでいます。ところがお金がありすぎて逆に万事がわずらわしいのが悩みのタネ。で願いはというのが「三日なりとも貧乏せば・・・」なんですよ。うらやましいですねー。そこで最初の絵を見てみましょう。部屋にはさすがに千両箱がたくさん積まれてますよ。中央、柱の向こうで萬々先生が拝んでいるのは貧乏神の絵像です。「をんぼろをんぼろ、貧乏なりたや、そわか」と唱えてます。左手の縁側では、それまで掛かっていた大黒様の絵像を女中が捨てています。右側の妻は「旦那のお顔も、このごろは貧相におなりなされた」とおべんちゃらを言ったりしてます。


 その後の萬々先生はなんとか財産を減らそうとあの手この手と苦心惨憺するんですよ。
 ところが遊郭に行って大金をばらまいたら逆に警戒されるし、その帰りに駕籠に乗ったら運悪く?先客の忘れ物の大金入り財布があるので知らんぷりして降りたら駕籠かきが追っかけてきて無理やり押しつけられたり・・・。
 あるいは米相場に手を出します。損をするのが目的なので、手代たちに命じて高い値で諸国の米を買い置きしますが、やがて大雨が降り続いて米価は高騰し大儲けとは、「こばんだものだ。困ったものだと聞こえるか」と萬々先生も低レベルのオヤジギャグを口にしてます。
 世間には富くじ、つまり宝くじですっからかんになる人もいるそうだからと、今度も手代たちに買いに行かせます。それも当たりそうにない番号を選んで。たとえば同じ数字が並んでるとか。確率的には同じなんだけど、当たる気がしないじゃないですか。ところがこれまたハズレなしで全部当たっちゃうんですよ。手代も「わたくしどもが不働き、申上げようもござりません」と謝ったりしてます。
 これ以外にもいろいろ散財をはかりますが、ことごとく裏目となった萬々先生、最後は蔵の金銀すべてを海へ捨てさせたところ、捨てた金銀が空中に飛び、世界中の金銀も集まって萬々先生の金蔵に押し寄せて来て「ウンウン」「ウンウン」とうなり声を上げたりといった事態となります。・・・って「ありえねー!」って言いたくなるよねー。やむなく萬々先生夫婦は夜逃げ?をはかりますが、先生に以前金を借りた後金持ちになった人たちが見つけて利息つきで返済金を押しつけて行きます。とことん金が入ってくる運命ですよ。妻いわく「ホンニ金持の女房には何がなるか」ですと。
 結局自分の家に帰った萬々先生夫婦、最後のページの絵のように千両箱で一杯の部屋であいかわらずの憂い顔ですよ。

 以上ですが、どうでしたか?
 一応日本史の授業なんで、当時の社会についてちょっと触れておくと、当時は幕藩体制の当初の基本だった「米&農」という時代から「金&商」が主流の時代になっていた、つまり金がモノを言う時代になっていたんですね。だからそれゆえの問題を幕府も諸大名も、そして多くの人々も抱えていたということです。
 ホントに荒唐無稽なホラ話ですが、これをまったく裏返しにしてみてください。すると紛れもない当時の現実が見えてくるはずです。
 じゃ今日はここまで。あ、オヤジギャグには寛容に、ですよ。

※オマケ。向学心旺盛な人のために、『虚言八百万八伝』からもうひとつだけ紹介します。信濃の冬の寒さを伝える「つらら酒」の話です。

 万八信濃の国に二三百年も住みける由。信濃はしごく寒い国にて、冬の内は酒屋で樽の飲み口を抜くとツツと走り出る酒が、ぢきにシャッキリと氷るゆへ、それを山刀にてポキポキと打ち折り、その折れた酒を縄にて五本十本ないし七本づつ編みて置けば、酒を一連取ってこい二連とって来いと買ひにやって、火で溶かして飲むといへり。
 ある時、何者か瀬戸口へよき酒を落とし置きたりとて拾ひとり、火に溶かして飲むに、とんと酒の味にあらず。よく聞けば熱病やみの小便のほこりたるなり。万八胸を悪くしてたちまちその小便を吐きしが、その反吐、下につかぬ内に又氷りついて、大いに困ったとのはなし。


 これはもう、なんともコメントしようがありません。ハハハ。