ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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チョー・ヨンピル自伝を読む(1) 「タンタラ」という差別語

2011-02-16 15:20:38 | 韓国・朝鮮に関係のある本
  

「趙容弼 釜山港に帰れ チョー・ヨンピル自伝」と、その原本と思われる「초혼의 노래(招魂の歌)」。

 「趙容弼 釜山港に帰れ チョー・ヨンピル自伝」(三修社)は1984年発行。前年のNHKホールでのコンサート、そして全国17都市でのツアー、「釜山港に帰れ」の大ヒットで、日本でも一気に彼の知名度と人気が高まった年です。

 韓国の国民歌手・趙容弼は1950年3月20日、京畿道華城郡松山面生まれ。中学校に上がった年に一家はソウルに移り住みます。
 京東高校に進学した彼が医者か法律家になることを父親は望んでいました。
 しかし、高校3年の春、校庭に流れるギターの音色が彼をとらえます。木陰のベンチで後輩が弾いていたその曲「ナグネソルム(旅人の悲しみ(寂しき旅人))」を聴いて、「音楽という熱病にかかった」彼は、姉からせしめた金でギターを買います。それからというもの、勉強もそっちのけでギターにのめりこみますが、ある日兄から分厚い英語辞典を投げつけられます。憤りに赤らんだ顔で兄は大声を上げます。
 「この野郎! お前、タンタラ(河原乞食)になるつもりなのか、どうなのだ!」
 「干渉しないでください」と容弼は泣き叫びますが、兄は彼の頬を何度も平手打ちし、最後に転がっていたギターを取って力まかせにふり下ろし、壊してしまいます。しかし、容弼は音楽を断念するどころか、父母にかくして学校の月謝を音楽学校の入学金に流用し、本気で音楽への道を歩み始めます。
 その後、父親との間にスッタモンダもありましたが、彼は音楽学校に通わないという誓約書を書いて、「深く静かに潜伏」します。

 1960年代といえば、日韓会談のような政治的問題がニュースになることはあっても、韓国の社会や人々の生活には日本のメディアも日本人もほとんど無関心でした。しかし、この本によると、日本同様にビートルズ旋風が韓国にも吹きまくっていたといいます。そして彼も友人たちとグループサウンズを結成します。その名はアトキンズ。この本には書かれていませんが、たぶんチェット・アトキンスからとったのでしょう。
 その後の彼には、家出もあり、自殺未遂もあり、後の大スター歌手にもちゃんと(?)苦労した時代があったことがわかります。

 さて、ここまでで私ヌルボが引っかかった言葉が上記の<タンタラ>。実は2010年7月8日の記事で妓生について書いた韓国の文を訳出した際に出てきました。
 「初期大衆音楽界に妓生たちの活躍が目立った理由は、いわゆる「タンタラ(딴따라.音楽関係の芸人に対する蔑称)」という賤視意識によって一般人たちは歌手になるという考えを最初から退けていたので、レコード会社も自然に芸能に素質がある妓生に関心を持つ外なかったのである」という箇所です。

 この言葉は、趙容弼自身にとっても特別な言葉のようで、この本でも冒頭の章に次のように書いています。

 ここで、ぜひ触れておかねばならないことがある。「タンタラ(河原乞食)」という言葉を聞いたり、言ったりしたことがある人もいると思う。俳優に対してよりも、僕 たち歌謡界で働く人にむかって、しばしば使われる、この蔑みに満ちた言葉の中に、なんと根深い誤解と偏見がうごめいていることか・・・・・・。  「タンタラ(河原乞食)」という言葉は、一九二〇年代以降に現れた、役者小屋や劇場、それにサーカス団の門前で囃したてる音楽などをなりわいとする人たちを指して、生まれた。そして、いつからか、歌謡を指す代名詞となったが、現在に至っても、この呼び名が生きている事実に驚かざるをえない。
 また、「風角屋(プンガクチャンイ.チンドン屋)」という言葉もある。この呼び名も「タンタラ(河原乞食)」とどっこいの、なんとも芸能人を見下した言い方である。
 そんな言い方の問題など、気にしなければいいさ、と思いながらも、僕は心の片隅で、こだわっている。この言葉を耳にすると、暗い気持ちがよぎるのは、どうしようもない。こんな話をするのも、僕個人の思いを、ここでぶつけたいというよりも、僕たち芸能界全体の名誉のためにも、芸能という仕事に対する偏見と誤解を、ぜひ一日も早くなくすることが良いと思うからだ。


 この딴따라という語は電子辞書(小学館「朝鮮語辞典」)にはありませんが、NAVER国語辞典には載っています。
 「芸能人(俳優、歌手、舞踊家等をひっくるめて示す語)を蔑視して称する言葉」と説明しています。
 <어원을 찾아서(語源を訪ねて)>という韓国サイトによると、딴따라の語源は英語のtantaraに由来するとのことです。英和辞典にもあるように、ラッパの音の擬声語です。
 また、元来は門付け芸人を指す言葉だった풍각쟁이(プンガクジェンイ)」が、その後ミュージシャン一般を指す言葉となり、そしてさらに「タンタラ」と呼ばれる新式の言葉に変わったと説明しています。

 この本の原本と思われる「초혼의 노래(招魂の歌)」が刊行されたのが1982年。スター歌手となった彼でさえこのように書かずにはいられなかったほど、なお偏見と差別が存在していたということでしょう。

 ここで私ヌルボが思い出したのがドラマ「星に願いを(별은 내 가슴에)」アン・ジェウク演じるカンミンの、歌手になりたいという希望を、父親は頑として認めようとしません。これまで記したような「タンタラ」に対する差別の歴史を知らないと、なぜ父親がそんなにまで息子の意志を強く否定するのか、理解しにくいのではないでしょうか?

 日本でも、かつては本書でカッコ書きで「河原乞食」とあるように、芸能人が差別されていた時代がありました。今では、日本同様韓国でも芸能人はむしろ若い人たちの憧れの職業になっています。しかしほんの近い過去まで、韓国では差別があったことが本書を読んでわかりました。もしかすると、今でもその残滓といったものが日韓ともにまだあるかもしれませんが・・・。
コメント
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