学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「十年くらいの不更正は・・・」─「窮極の旅」を読む(その16)

2015-09-01 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月 1日(火)14時10分35秒

>筆綾丸さん
>「違法の前法」
清宮は、

(1)上例の如く爾今十年間は更正せぬ
(2)絶対永久に廃止変更せぬ
(3)廃止変更する際には議員の定足数及び議決数において憲法の定めるところより特定の多数を要するとかいう規定を設ける

という分かりやすい具体例を挙げ、極めて明確に「それらの規定は憲法の普通の法律の制定について一般的に設けた規定の例外を成し、憲法の授権の範囲を越えるものではないか」という論点を提示しているにもかかわらず、「説明の便宜上問題の解決を暫く留保しつつ先へ進むことに」し、6ページを費やして lex posterior derogat priori(後法は前法を廃止する)の原理を論じた後、次のように説きます。(『国家作用の理論』、p86)

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 かくして、一般には後法による前法の廃止が認められるとして、しからば、前法において自ら後法による廃止変更を禁ずる旨を明定する場合は如何。ここでわれわれは長い道中の末、わが選挙法の規定に帰って来た。廃止変更禁止の宣言にも永久不変更を宣言するものと、選挙法の例の如く一定の期間を限るものとがあり得る。前者は「永久法」、殊に「永久憲法」の問題であるが、紛糾を避けるため別の機会に譲る。選挙法の例において十年不更正を宣明する条項についていえば、憲法との問題は別として、十年くらいの不更正は法の可変性とも矛盾せず、立法政策の問題はとに角、法の内容としては可能である。さて、かかる条項あるに拘わらず、十年以内に内容の異なる別表をもつ法律を制定する時は、同一立法機関によって成規の手続を経て行われるにしても、後に制定された法律は前の法律に違反する法律、違法の後法になりはしないか。この場合、直ちに lex posterior の原理で説明しようとするのは早計である。
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「長い道中の末」、具体例の(2)は「永久憲法」の問題とごちゃ混ぜにして「紛糾を避けるため別の機会に譲」ってしまい、(3)の「廃止変更する際には議員の定足数及び議決数において憲法の定めるところより特定の多数を要するとかいう規定を設ける」場合については全く説明がなく、行方不明となり、結局、(1)のみ、「十年くらいの不更正は法の可変性とも矛盾せず、立法政策の問題はとに角、法の内容としては可能」ということで、<十年くらい、まあ、いいんじゃないの>で済ませてしまいます。
これが「それらの規定は憲法の普通の法律の制定について一般的に設けた規定の例外を成し、憲法の授権の範囲を越えるものではないか」という問題提起に対する回答かと思うと呆気に取られてしまいますが、清宮博士はこのようにおっしゃる訳です。
しかし、(1)に限っても、Aという時点の議会構成員が、将来のBという時点(例えば十年後)の議会構成員に対して、おまえらはA時点での決定を絶対に守れ、勝手に変更するな、と強要するのは相当おかしい話なんじゃないですかね。
立法権は天皇が掌握し、議会はあくまで「協賛」するだけの立場だった旧憲法下だって、衆議院のメンバーは選挙で選ばれる訳で、十年もたてばメンバーはガラっと変わっていますから、何で十年も前の決定に拘束されなけりゃいかんのか、という話になるのが自然です。
まして、両院とも選挙で選ばれる新憲法下では、民主主義の原理に反し、直ちに違憲・無効と考えるべきではないかと思いますが、これは1934年の清宮論文の射程範囲外ではありますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

フランス革命のような・・・ 2015/08/31(月) 18:08:46
小太郎さん
「違法の前法」・・・そうか、重要な論点ですね。

清宮志郎という綴りから連想するのは、私の場合、忌野清志郎ですね。

http://www.sankei.com/politics/news/150831/plt1508310042-n1.html
国会前が賑やかのようですが、坂本龍一氏のフランス革命説はともかく、奥田愛基氏のクーデター云々は石川説の受け売りなんでしょうね。
コメント
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