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村民の半分が松本さん

2012-04-08 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月 8日(日)15時01分22秒

昨日は飯舘村の山津見神社拝殿にて参拝後、本殿がある虎捕山の山頂まで往復してきました。
リンク先の「@丸森の巨石伝説!」というサイト内に何年か前の早春の写真が載っていますが、それを見ると少し雪が残っていますね。
昨日の訪問時には雪はすっかり消えていて、ちょっと残念でした。


>筆綾丸さん
>葛尾村
村長さんは松本姓ですが、葛尾村は実に住民の半分が松本さんという珍しい村ですね。
同一姓の比率が高い市町村ランキングを作ったら全国一位かもしれないですね。

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人口約2000人、この住民の約半数は「松本」姓です。
 これはこの村の大字である葛尾地内に、数百年も昔から「葛尾大尽」松本三九郎一族が居り、使用人百数十人といわれた大尽緑氏の人々及び末葉が、明治の初年に「松本」姓を名乗ったものです。
 山村の悪条件の中に旧三春藩は勿論、相馬、棚倉などの各藩に多額の献上金、貸上金をして、藩の経済圏の一部に介入し繁栄を誇った「三九郎大尽」とは・・・。
 松本家の祖は時の左大臣藤原魚名(721~783)の末裔で、信州葛尾城主の系譜で、松本勘ヶ由助親家は村上氏の圧迫により奥州に逃れてきたものといわれております。
 親家の嫡男親照が大永初年の頃相馬顕胤公に仕え、田村の境目押しとして落合村の奥地を与えられ(故郷信州の葛尾に因んでこの地を「かつらお」と名付けたと考えられます)当地に居住6代目好倉より11代目に亘り鉄は勿論山林伐採の権利、酒造米買入株、塩、酒造株繭、糸株等の経営活動を行い栄華を誇った。
(後略)

信州・葛尾城

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