投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 9月 4日(金)11時21分43秒
熊谷報告の学説史的な位置づけは大会特集号の翌月の『日本史研究』第548号に掲載された高橋典幸氏の「熊谷報告を聞いて」に分かりやすく整理されていますね。
高橋典幸(1970年生、現・東京大学准教授)
そこから私が重要と思った点を引用すると、
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先に熊谷報告の切口を「広域的支配機関と守護との関係」としたが、より端的に言えば、守護支配に偏した従来の鎌倉幕府地方支配研究を相対化することに熊谷報告の真意があることは、報告レジュメに「守護を指標に東国支配の特質を問う議論は終わりにすべき段階へ」などとあることからも明らかである。(p45)
熊谷報告の提言は、「東国」という政治空間の特殊性・独自性を浮き彫りにする点で大いに意義があると思われ、……(同)
第3章2では得宗専制論に関する既往の諸研究の再検証が行われる。これは、それまでの鎌倉幕府の地方支配の特質の究明にとどまらない、新たな議論の展開と言えよう。ただし、両者は必ずしも単線的に接続する議論ではなく、ある種の飛躍も感じられる。両者を媒介する説明がもう少し必要であると思われた。
議論の要点は、従来得宗による「統制」と見られていた現象を一門による「代替」「分掌」と読み替え、北条氏一門における相互依存関係を重視する点にある。また、相互依存関係は北条氏一門と外様御家人の間でも認めることができ、両者の対立ないし北条氏一門による外様御家人の抑圧がモチーフとされてきた従来の得宗専制論の視角を批判する。
一三世紀後半以降(いわゆる得宗専制期)の政治情勢をどのように評価するかは鎌倉幕府政治史上の大問題であり、熊谷氏は「相互依存・協調関係」をキーワードにそれを読み解こうとするわけだが、前後の時期をも視野に入れた場合、それを強調するのみでは不十分なのではないか(いわゆる執権政治期との違いが明らかにならない)。「求心化と分散化」という視角の導入によるその克服が試みられているが、なぜここでこの視角が登場するのか、これまでの行論との関係が今ひとつよく分からなかった。
また、「代替」「分掌」関係を見出す根拠になっているのが、もっぱら守護職の移動状況という点も気になるところである。ことに地方支配に果たす守護の役割を相対化するという熊谷報告の論調からすれば、そうした守護を主たる分析手段とすることの方法論的問題も感じられた。(p47)
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といった具合です。
正直、私は熊谷報告について、随所に鋭い指摘があるとは思ったものの全体像が理解できなかったのですが、高橋氏の文章を読んで、自分が何を理解できていなかったかを理解することができました。
さて、その上でやっぱり理解できないのは呉座氏による熊谷報告のまとめです。
熊谷氏は「おわりに」の直前、「第三章第二節 得宗専制論と分業論」の最後に「得宗支配の求心化は、列島支配の深化を意味しない。事実は、その逆である」と書かれており(p63)、決して「従来の理解と異なり、時代が下るにつれて鎌倉幕府の地域支配が強化されていることを論じ」ている訳ではないですね。
「討論と反省」でのやりとりでも、熊谷氏は「制度が強化される一方で結果として幕府は滅びる」としていて、地方支配のために幕府が設けた様々な「制度」が複雑化し、精緻になったことを論じただけで、「支配」が強化されたとは言っておられないようです。
また、「討論では「熊谷氏の説明では、なぜ鎌倉幕府が滅びたのか分からない」という批判が起こった」という説明も、小原嘉記氏の「討論と反省」に記された清水亮氏の質問内容とは違っているように見えますが、ま、これは実際に会場にいたであろう呉座氏の記憶違いというよりは、小原氏の記述に若干の「忖度」があったためかもしれません。
小原氏の記述から伺われる範囲でも、清水氏の追及はなかなか厳しいですね。
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