投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月23日(金)08時16分56秒
都司嘉宣氏は理学博士ですが、古文書・古記録を利用して地震研究を行っている人で、全国各地を実際に歩いて調査している方ですね、
だから、そんなにいい加減なことを書くはずがないと思いたいのですが、大川小学校に限っては疑問を抱かざるをえません。
「ミツカン水の文化センター」のサイトに載っている都司嘉宣氏の「古文書から読み解く地震、津波の正体~地震の癖を知って防災に役立てる~」という2011年12月9日付の文章には、
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石巻にある大川小学校では、108人の生徒さんの7割が亡くなりました。13人の先生の内、10人亡くなった。大川小学校は北上川の河口から4kmほど内陸にあって、小学校の標高は2m半しかない。前には堤防があります。
大地震があって津波警報が出たので生徒たちをいったん外に出した。生徒たちをちょっとでも高い所に連れていくのがいいというので、裏山に上がらせるか、北上川の自然堤防、標高6mの所に上がらせるかで議論が始まってしまった。最終的に、北上川の標高6mの自然堤防のほうに向かいました。ちょうど津波がくる方角に、生徒を一列に並ばせて歩いたわけです。それで前から順番に津波に飲まれてしまいました。
裏の山に上がればよかったのに、とも思いました。しかし、実際に現地に行くと、後ろの山は45度の傾斜で、しかも3月11日の石巻ですから雪が積もっているわけです。私が行ったのは6月ごろですが、道も何もなくて、上がれるような状態ではありませんでした。せめて山道が1本つくってあれば、逃げられた。なんとか裏山に這い上がった数人の先生と生徒は、助かったのですから。
http://www.mizu.gr.jp/fudoki/people/047_tsuji.html
とあり、都司氏の認識は昨年6月の訪問時以降、全く変化がないようです。
ネットで得られる情報で私が一番信頼できると思ったのは、『中央公論』2011年8月号に掲載された菊地正憲氏の「なぜ大川小学校だけが大惨事となったのか」という記事ですが、この記事の中でも、
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「釜谷は三〇〇年以上、津波が来ていなかったと言われた地区で、五〇年前のチリ地震津波でも被害はなかった。津波への警戒心は薄く、実際に地元住民も多数亡くなっているんです。あの裏山は急斜面で、低学年の子では登れないと思います。私も息子も、たまたま助かっただけです。先生も死なせたくはなかったはずです。昔からの顔見知りばかりの集落の保護者の間に、悲しい温度差ができてしまったのは本当に残念です」
http://www.chuokoron.jp/2011/07/post_87_3.html
と言われている人がいます。
しかし、私は「河北総合支所地域振興課の及川利信課長補佐」の見解が一番正確だと思います。
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津波が来る直前、市河北総合支所地域振興課の及川利信課長補佐は、他の五人の支所職員とともに大川小付近にいた。拡声器で避難を呼びかけつつ、海に向かう車一台一台に引き返すよう説得していた。
「地区の人たちは、家の前で立ち話をするなどしてなかなか動こうとしませんでした。『ここまで津波は来ない』と考えていたのだと思います。実際、市の防災計画やハザードマップでも、釜谷での大津波は想定されていませんでした」
しかし、間もなく大津波は襲ってきた。及川課長補佐は大川小のあの裏山にやっとの思いでよじ登り、命拾いをした。六人の職員のうち、一人は津波に流され死亡している。その夜、みぞれが降る寒空の中、一六人が焚き火をして過ごした。大川小の児童三人もいて、ずっと押し黙り、憔悴しきった表情だった。助かった大川小の教員も見かけており、小さくなって疲れ切った様子だったという。
「あれだけの津波は想定していなかったにしても、海沿いに位置し、裏山の斜面も急な、もっと条件の悪い近隣の相川小、雄勝小の二校では、三階まで波を被りながら、学校にいた児童全員が山に登って無事でした。あの裏山は、子供が登れない斜面ではありません。倒木も見当たりませんでした」
http://www.chuokoron.jp/2011/07/post_87_4.html
市役所職員で、現実に津波に遭遇した及川氏が「あの裏山は、子供が登れない斜面ではありません。倒木も見当たりませんでした」とする一方で、地元でも「あの裏山は急斜面で、低学年の子では登れないと思います」と言う人がいる訳ですが、「裏山」の範囲に認識の違いがありそうですね。
木が伐採されている部分を「裏山」と考えれば間違いなく「急斜面」ですが、範囲を少し広げれば「急斜面」でないところはありますね。
(追記)
新聞だと『河北新報』2011年9月8日付記事が一番わかりやすいですね。
http://memory.ever.jp/tsunami/images-NP/0908-shogen_okawa1_NP.pdf
(追記2、2016年10月26日)
本日の仙台地裁判決を受けて「大川小学校」・「裏山」を検索してこちらに来られた方がいるようですが、この記事は中間的なもので、私の見方は下記に出ています。
ご参考まで。
「春の大川小学校」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55492680.html
「大川小学校の裏山再訪(その4)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/54661115.html
都司嘉宣氏は理学博士ですが、古文書・古記録を利用して地震研究を行っている人で、全国各地を実際に歩いて調査している方ですね、
だから、そんなにいい加減なことを書くはずがないと思いたいのですが、大川小学校に限っては疑問を抱かざるをえません。
「ミツカン水の文化センター」のサイトに載っている都司嘉宣氏の「古文書から読み解く地震、津波の正体~地震の癖を知って防災に役立てる~」という2011年12月9日付の文章には、
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石巻にある大川小学校では、108人の生徒さんの7割が亡くなりました。13人の先生の内、10人亡くなった。大川小学校は北上川の河口から4kmほど内陸にあって、小学校の標高は2m半しかない。前には堤防があります。
大地震があって津波警報が出たので生徒たちをいったん外に出した。生徒たちをちょっとでも高い所に連れていくのがいいというので、裏山に上がらせるか、北上川の自然堤防、標高6mの所に上がらせるかで議論が始まってしまった。最終的に、北上川の標高6mの自然堤防のほうに向かいました。ちょうど津波がくる方角に、生徒を一列に並ばせて歩いたわけです。それで前から順番に津波に飲まれてしまいました。
裏の山に上がればよかったのに、とも思いました。しかし、実際に現地に行くと、後ろの山は45度の傾斜で、しかも3月11日の石巻ですから雪が積もっているわけです。私が行ったのは6月ごろですが、道も何もなくて、上がれるような状態ではありませんでした。せめて山道が1本つくってあれば、逃げられた。なんとか裏山に這い上がった数人の先生と生徒は、助かったのですから。
http://www.mizu.gr.jp/fudoki/people/047_tsuji.html
とあり、都司氏の認識は昨年6月の訪問時以降、全く変化がないようです。
ネットで得られる情報で私が一番信頼できると思ったのは、『中央公論』2011年8月号に掲載された菊地正憲氏の「なぜ大川小学校だけが大惨事となったのか」という記事ですが、この記事の中でも、
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「釜谷は三〇〇年以上、津波が来ていなかったと言われた地区で、五〇年前のチリ地震津波でも被害はなかった。津波への警戒心は薄く、実際に地元住民も多数亡くなっているんです。あの裏山は急斜面で、低学年の子では登れないと思います。私も息子も、たまたま助かっただけです。先生も死なせたくはなかったはずです。昔からの顔見知りばかりの集落の保護者の間に、悲しい温度差ができてしまったのは本当に残念です」
http://www.chuokoron.jp/2011/07/post_87_3.html
と言われている人がいます。
しかし、私は「河北総合支所地域振興課の及川利信課長補佐」の見解が一番正確だと思います。
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津波が来る直前、市河北総合支所地域振興課の及川利信課長補佐は、他の五人の支所職員とともに大川小付近にいた。拡声器で避難を呼びかけつつ、海に向かう車一台一台に引き返すよう説得していた。
「地区の人たちは、家の前で立ち話をするなどしてなかなか動こうとしませんでした。『ここまで津波は来ない』と考えていたのだと思います。実際、市の防災計画やハザードマップでも、釜谷での大津波は想定されていませんでした」
しかし、間もなく大津波は襲ってきた。及川課長補佐は大川小のあの裏山にやっとの思いでよじ登り、命拾いをした。六人の職員のうち、一人は津波に流され死亡している。その夜、みぞれが降る寒空の中、一六人が焚き火をして過ごした。大川小の児童三人もいて、ずっと押し黙り、憔悴しきった表情だった。助かった大川小の教員も見かけており、小さくなって疲れ切った様子だったという。
「あれだけの津波は想定していなかったにしても、海沿いに位置し、裏山の斜面も急な、もっと条件の悪い近隣の相川小、雄勝小の二校では、三階まで波を被りながら、学校にいた児童全員が山に登って無事でした。あの裏山は、子供が登れない斜面ではありません。倒木も見当たりませんでした」
http://www.chuokoron.jp/2011/07/post_87_4.html
市役所職員で、現実に津波に遭遇した及川氏が「あの裏山は、子供が登れない斜面ではありません。倒木も見当たりませんでした」とする一方で、地元でも「あの裏山は急斜面で、低学年の子では登れないと思います」と言う人がいる訳ですが、「裏山」の範囲に認識の違いがありそうですね。
木が伐採されている部分を「裏山」と考えれば間違いなく「急斜面」ですが、範囲を少し広げれば「急斜面」でないところはありますね。
(追記)
新聞だと『河北新報』2011年9月8日付記事が一番わかりやすいですね。
http://memory.ever.jp/tsunami/images-NP/0908-shogen_okawa1_NP.pdf
(追記2、2016年10月26日)
本日の仙台地裁判決を受けて「大川小学校」・「裏山」を検索してこちらに来られた方がいるようですが、この記事は中間的なもので、私の見方は下記に出ています。
ご参考まで。
「春の大川小学校」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55492680.html
「大川小学校の裏山再訪(その4)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/54661115.html
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