学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「番場宿の悲劇」と中吉弥八の喜劇(その3)

2021-05-23 | 山家浩樹氏『足利尊氏と足利直義』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 5月23日(日)10時59分53秒

中吉弥八のエピソードが史実ではなさそうなので、歴史学の観点からは価値がないかというと、そんなことはなくて、時代の雰囲気を正確に伝えてくれる点では、こうした笑い話は本当に貴重です。
弥八のエピソードを創作した『太平記』の作者は、生きるか死ぬかのギリギリの境目で敵を騙して危機を脱した弥八を、詐欺師・ペテン師として倫理的に非難している訳ではなく、むしろその機知を賞賛しているのは明らかです。
戦場では騙す方ではなく騙される方が悪いのだ、という武家ならではの実践的な倫理観を表明している、と言ってもよいかもしれません。
そして『太平記』の聴衆・読者も、実際にはこんな展開はないよね、と思いつつも、ゲラゲラ笑って楽しんでいたはずです。
また、この笑い話から、戦場で綺麗ごとを言っていたら犬死するだけ、生きるためには手段を選んではいけない、という教訓を得た武士も多少はいたはずで、『太平記』には「武家生活の知恵」を提供する実用本としての側面もあったはずですね。

百科事典としての『太平記』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5ce0a5f7f0dcc79489204d9c99492d91

さて、笑い話が大好きな『太平記』の作者・聴衆・読者に対して、現代の歴史研究者はいったいどんな人々なのか。
『地獄を二度も見た天皇 光厳院』の著者、飯倉晴武氏の場合、吉川弘文館の宣伝文句を借りれば、この本のテーマは、

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敗者は勝者からすべてを否定され、歴史から忘れ去られるのか。北朝初代の天皇、上皇となった光厳院は、南朝の後醍醐天皇や足利尊氏らの権力争いに翻弄された。味方の裏切りに遭い、護衛の集団自害を直視し、虜囚の身に突き落とされる生き地獄を味わう。明治期の「南北朝正閏問題」をへて、今日も歴代天皇から外された悲運の生涯とその時代を描く。

http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b33751.html

というものですから、光厳院の悲劇を描く大河ドラマ的なストーリーにとって、『太平記』の笑い話は何とも調子はずれで迷惑な存在です。
しかし、飯倉氏は「正直者」なので、笑い話の存在を抹殺するようなことはせず、一応の筋はきちんと紹介されている訳ですが、それは『太平記』の原文を知るものにとっては何とも中途半端な書き方に見えます。
これが東京大学教授の新田一郎氏や遠藤基郎氏あたりになると、『太平記』の原文の引用の仕方はより複雑で巧妙ですね。

「笑い話仕立ての話」(by 新田一郎氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/92c1c8532d6547ef109352121cb419b5
『太平記』第二十三巻「土岐御幸に参向し狼藉を致す事」(その1)~(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a1b1f8e19748a15aea2b63085b4c9593
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/46025f24aba5b546df4fdc2830c7663f
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1f37c4b29b533c855865aab015a35eee

遠藤基郎氏によるストイックな『太平記』研究の一例
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/add15e79ee126d362f65dc1198c31b5b
「「院」 と「犬」 とを引っかけて、光厳院に対して、犬追物よろしく射懸けたあの諧謔の精神」(by 遠藤基郎氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d31d55d77d5ea90305fea39061a66e07

新田一郎氏と遠藤基郎氏では知性のタイプは異なりますが、とにかく職業的な歴史研究者になるためには大変な研鑽が必要で、桃崎有一郎氏が強調されるように、特に「史料批判〔テクスト・クリティーク〕」の訓練には多大の時間を要します。

桃崎有一郎氏「後醍醐の内裏放火と近代史学の闇」(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2378dd0e6f5e4a95c09d816786506cdf

そして、こうした訓練に耐えられる資質の第一は、ものすごく真面目で粘り強いことですね。
結果として、職業的な歴史研究者の方々は相当に限られた特別なエリートであるとともに、一般社会の平均とは異質な、「笑い」に理解のない人々の集団でもある訳です。
ま、それは仕方ないといえば仕方ない話なのですが、『太平記』の時代は、日本史全体の中でも、こうした生真面目で粘り強いタイプのエリート層では見えにくい部分が極めて多い、かなり特殊な時代なのではなかろうか、という感じがします。
戦前はともかく、現在の中世史研究の世界には、別に桃崎氏が主張されるような「近代史学の闇」が広がっている訳ではありません。
しかし、隙があればギャグを挟んで来る『太平記』の作者、隙があればゲラゲラ笑いたい『太平記』の聴衆・読者に対し、生真面目な、笑い話は苦虫を嚙み潰したような顔で避けて通る現代の歴史研究者たちの間には、けっこうな隙間風がひゅるるんと吹いているのではなかろうか、と私は考えています。
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