投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月 3日(火)17時53分36秒
昨日、今年は基本的に日本史よりもヨーロッパ古代・中世史に重点を置く予定と書きましたが、あまりに広大な茫漠たる領域に迷い込んでもまずいので、最初にひとつのテーマを設定しておこうと思います。
それは、日本は古代オリンピックを復活させることができるんじゃないかな、という可能性の検討と、日本は古代オリンピックを復活させるべし、という提案です。
思い返せば去年の「新年のご挨拶」で、「グローバル神道の夢物語」という妙なシリーズを始めるぞと宣言し、森鴎外の「かのやうに」を出発点に日本人の宗教観を検討しました。
神仏分離・廃仏毀釈に悲憤慷慨する松岡正剛氏に対しては、そんなに興奮することもないのになあと同情しつつ、実際に廃仏毀釈に多数の「殉教者」が出たのかを検討してみたところ、「大浜騒動」など浄土真宗関係の「護法一揆」で多少の死者は出ているものの、まあ、実態は酔っ払いの暴動みたいなものが多く、純度100%の「殉教者」は皆無、という暫定的結論を得ました。
また、「真宗王国」の富山藩における廃仏毀釈の経緯が結構面白いことに気づき、これを主導した林太仲と、その養子でパリを拠点に美術商として活躍した林忠正、また富山出身の近代民衆宗教の研究者で、現在でも極めて世評の高い『神々の明治維新』の著者でもある安丸良夫氏等について検討するうちに、安丸氏の「国家神道」論は「ゾンビ浄土真宗」とマルクス主義の「習合」ではなかろうか、などと思うようになりました。
そして、神仏分離・廃仏毀釈の検討と並行して、筆綾丸さんのご教示を得てフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッドの著作を読み始め、最初はフランス近現代史に関する知識不足から『シャルリとは誰か?』『不均衡という病』に少し手こずるも、次第に深みに嵌り、『世界の多様性』『新ヨーロッパ大全』『移民の運命』『帝国以後』『文明の接近』等、邦訳されているトッドの著作の大半を読み、また、速水融氏を中心とする日本の歴史人口学の世界にも踏み込んで、近代化の推進力としてのリテラシーの問題を考えるようになりました。
掲示板投稿保管用のブログ「学問空間」のカテゴリー「グローバル神道の夢物語」にまとめた投稿は最終的に126にもなりましたが、最後の方は殆どトッドの著作の検討だけで、とうとうひとつも「夢物語」と呼べる投稿はありませんでした。
一時、トッドの影響を強く受けすぎたかもしれないなと反省し、バランスを取るためにトッド自身の著作を読むのは暫く休んだのですが、トッドへの関心はフランスの政教分離「ライシテ」への興味に移り、58投稿をカテゴリー「ライシテと『国家神道』」にまとめました。
その後、若干の寄り道の後に、11月後半になって『シャルリとは誰か?』を再読し、また最新刊の『家族システムの起源Ⅰ ユーラシア』も読み始めたところ、「第四章 日本」で、岐阜県「中切」に残された大家族制の問題について訳者の注釈に疑問を抱き、若干の検討を加えてみました。
さて、去年の年初に「グローバル神道の夢物語」を始めたときは、素晴らしい日本の神道を世界に「輸出」せよ、などという話では全くなくてその真逆、世界から多神教の神々を「輸入」すべし、という話に持って行くつもりでした。
実際に神仏分離・廃仏毀釈の検討を進める中で、日本の長期にわたる「宗教的空白」が積極的意義を持つことについて確信を抱き、また、「輸入」が可能であることの見通しはついたのですが、では何のために「輸入」するのか、具体的に何を「輸入」するのかについてはなかなか明確になりませんでした。
しかし、ほぼ一年間、書物を通してエマニュエル・トッドとの対話を重ねた結果、私の現在の結論は古代オリンピアの神々を「輸入」して古代オリンピックを復活させよ、というものです。
これだったらその変てこさで充分に「夢物語」に値すると思います。
そこで、何でこんな結論に至ったのかを暫く論じたいと思います。
新年のご挨拶(2016年)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bd7ebd22440a7d381781be52797bfd0a
日本の宗教的空白(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9c685d9ef8a0773b9b1d90c3465625d5
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5a7c61ab0ad3b0b3e3be33d6adec2dfa
「学問空間」カテゴリー:グローバル神道の夢物語
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/c/8289629ba9e8078a5bc2a95e2694852a
>筆綾丸さん
>オバマの演説
オバマはあれほど頭が良いのだから、別に本気で神を信じている訳ではなく、選挙で勝つには信心深い印象を与える必要があると計算してやっているだけのように感じるのですが、そのあたりはどうなのですかね。
ブッシュ・ジュニアは人生のある時点で宗教的回心を経験したそうで、まあ、本気だったのでしょうが。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
謹賀新年。
本年も宜しくお願いします。
新年にふさわしく、題名は格調高く(?)しました。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM28H37_Y6A221C1000001/
http://japan.kantei.go.jp/97_abe/statement/201612/1220678_11021.html
大晦日は、録画しておいた「半能 絵馬」(於国立劇場、NHK放送)を見ながら、日米首脳の真珠湾演説(英文)などを読んでいました。ちなみに、この能には天照大神が登場します。
両国担当者が原案を持ち寄って推敲を重ねたらしく随所に意図的な照応があるのですが、興味深かったのは、日本のものには宗教用語が念入りに排除さてれいるのに対して、アメリカのものにはキリスト教の用語がふんだんに鏤められている、ということでした。
オバマの演説の末尾にある、May God hold the fallen in His everlasting arms.(戦没者が神の腕の中で永遠に抱かれますように)の the fallen には、真珠湾攻撃における日本人戦死者は含まれないはずですが、 両演説のコレスポンドを考えると、安倍の演説(の英文)にあってオアフ島に眠る「日本帝国海軍士官飯田房太中佐(an Imperial Japanese Navy officer,Commander Fusata Iida)」も含まれるように読めなくもありません。
列席した日本の防衛大臣が、帰国直後、靖国神社に参拝したのは、アメリカの God と日本の神は違うのよ、という毅然たる意思を国内外に示したのかもしれず、狂言というか、寸劇のようでした。
付記
ハワイの式典前に堂々とすればよいものを、帰国直後、寝首を掻くように参拝するという浅ましい行為に、現在の日米の力関係がよく表れています。
なお、日本のもの(英文)の中程に、
And since the war, we have created a free and democratic country that values the rule of law …
という文があり、日本は戦時下においても自由で民主的な国だったのだ、と読めてしまうように思われました。since ではなく after だろう、と。
直後に、
…we have walked as a peace-loving nation over these 70 years since the war ended.
と続くので、誤解はされないはずですが。
英語に堪能な官僚が作成したものであって、たんに私が間違えているだけなのかもしれません。
小太郎さん
「小物界の大物」とは卓抜な表現で、pochette の中に poche が隠れているような可笑しさがありますね。
キラーカーンさん
谷川氏の実家は浄土真宗のお寺ですが、真宗らしく戦闘的な兄ではありますね。
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