学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学の中間領域を研究。

網野善彦を探して(その13)─「国際友党は所感派を全面的に支持し、国際派を断罪した」(by 安東仁兵衛)

2019-01-24 | 「五〇年問題」と網野善彦・犬丸義一
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 1月24日(木)10時26分20秒

学生運動における「国際派」の解体については、私が入手した限られた資料の範囲では安東仁兵衛『戦後日本共産党私記』(現代の理論社、1976)の「第八章 国際派・東大細胞の解体」が一番詳しいのですが、そこには犬丸の言う1951年8月下旬の埼玉大学での「細胞解散総会」は出て来ません。
ただ、

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 こうして事実上の分裂状態に陥りはじめていた国際派に決定的な一撃が下された。八月一〇日付のコミンフォルム機関誌に載った論評、「『分派主義者にたいする闘争にかんする決議』について」がそれである。評論はこともあろうに所感派の四全協で採択された(前掲の)決議「分派主義者に対する闘争にかんする決議」を全文引用して、これを全面的に支持し、「若干の共産党員の分派活動は日米反動を利益するにすぎない」としたのである。何回読み直してみても判決は明白であった。国際友党は所感派を全面的に支持し、国際派を断罪したのである。
 所感派が勝利を呼号し、国際派に対して全面的な屈服を威丈高に要求してきたのと対照的に、国際派は一挙に打ち砕かれ、見るも無残に打ちひしがれることになった。その崩壊はなだれを打って敗走する姿そのものであった。最左派の国際主義者団はいちはやく全面的な自己批判を発表し、臨中と全党の同志が「情報局の論評に接してわれわれが到達した結論と確信とを諒解せられ、……心からの援助をあたえられんことを切にお願いする」とした。次いで団結派は解散大会を開いて、「臨中は日毎に革命的に正しい方向に前進しつつある」とし「吾々の中道派的態度」を自己批判して四全協と臨中の下への復帰を決定した。統一協議会も組織の解散と分派活動の自己批判を表明した。統一会議派で見れば、春日(系)が自己批判と復帰を急いだことは言うまでもない。「この論評の出る直前、私たちはやっと、自らの分派性に気づき、……党中央の指導のもとに復帰する一歩をふみ出すことができました。この論評は、私たちに一層確信をあたえ、全分派の急速な解消を促進しました。」と書きはじめる春日の長文の「私の自己批判」が発表された。宮本系は大いに悩み、内部の議論は深刻にたたかわされたが、結局は大勢に抗し得ず、大部分は自己批判をおこなって復帰を申し出ることになった。宮本は最後まで屈服を拒否していると伝えられたが─そしてそれを私は六全協後も信じていたのだが─、かれもまた党に戻った。*

* 亀山によれば、宮本の自己批判書は二度書き直しを要求されているが、それはついに公表されなかった。恐らく志田が保存したままになったのではなかろうか、ということである。
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とのことで(p174以下)、あるいは犬丸は「解散大会」を開いたという「団結派」なのかなとも思いますが、よく分かりません。
この後、安東らのグループはそれなりに頑張るものの、

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 だがこうした抵抗も五一年の年も暮れ、五二年をむかえる頃には尽き果てようとしていた。グラウンド地下の隣の全学連の部屋はすでに所感派の諸君に占領されていた。吉川勇一が紳士的であったのは例外で、私が"狂犬"と呼んだ駒場選出の都学連委員長・伝をはじめ、そこにたむろする連中に私たちは連日いやがらせを繰りかえされた。その頃、書記局の孤塁を守っていたのは数名の同志に限られてきていた。早大の土本、東大の柴山、二瓶、下村、それに私といったメンバーで、その他は応援に通って来る津田塾、東京女子大、お茶の水の諸嬢たちであった。書き終った部分から紙をちぎって渡し、彼女らがガリ版をカットするといった有様で『全学連情報』を作成して発送した情景を憶い出す。三月三日、この日に開かれた全学連拡大中央委員会で私たちは「国民の敵」と非難され、追放された。
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のだそうで(p182)、「身の置き処」がなくなってしまった安東は、「農学部の針谷明」に誘われて茨城県の山口武秀が委員長を務める「常東農民組合の書記」となって都落ちします。(p183)
ま、それはともかく、犬丸は安東らのようにズルズルと抵抗せず、あっさり「所感派」の軍門に下ってしまったので、1951年8月以降は「所感派」の網野善彦との関係が復活してもおかしくないことになります。
そこで再び犬丸の「私の戦後と歴史学」に戻ってみることにします。

なお、安東仁兵衛と全学連については、既に下記投稿で若干言及しています。

網野善彦を探して(その2)─「民学同」と「全学連」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/86f73711d882c33ce1d34c25ac280d72
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