学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「支離滅裂」なのは後醍醐ではないか。(その2)

2021-08-24 | 山家浩樹氏『足利尊氏と足利直義』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 8月24日(火)10時43分42秒

中先代の乱以降、確かに尊氏の態度は理解しにくく、『太平記』や『梅松論』を通読していると「支離滅裂」のようにも見えるのですが、しかし、この時期には尊氏以外にも理解しにくい人が大勢います。
例えば直義も、中先代の乱では初戦で次から次へとボロ負けして鎌倉を逃げ出し、尊氏の救援を得てやっと鎌倉に戻れたのだから、偉大な兄に頭が上がらない立場で、ちょっとバツが悪いな、などと思いつつ、暫くは大人しくしていそうなものです。
しかし、直義は、あまり時間を置かずに尊氏に反抗し、一門・家臣を反後醍醐にまとめ上げます。
尊氏が凱旋将軍として鎌倉に戻った僅か二ヶ月ちょっと後には、当主ではない直義が新田義貞討伐の軍勢催促状を大量に発給し、尊氏を差し置いて、まるで自分が足利家の当主なのだ、と言わんばかりに振舞い、更に尊氏を出家騒動にまで追い詰めて行くことになります。
いったい足利家に何が起きたのか。
尊氏は何故に足利家内で孤立し、奇妙な、いわば自発的「主君押し込め」状態になってしまったのか。
その原因を探ってみると、これは尊氏自身に何らかの落ち度があったからではなく、尊氏以外の誰かに足利家関係者にとって絶対に許せない背信行為があって、足利家関係者はみんな激怒、しかし尊氏はその誰かと密接に結びついていたために足利氏関係者の総意を汲んだ強い態度に出られず、結局、あんな人間に追随、ないし妥協する尊氏には従えない、ということになってしまったのではないか。
その誰かとは、もちろん後醍醐ですね。
こう考えると、凱旋将軍尊氏の急激な権威失墜と、直義の地位の急激な上昇がうまく説明できるように思います。
直義にしてみれば、別にずっと前から鎌倉幕府並みの武家政権の再興を虎視眈々と狙っていた訳ではなく、後醍醐の背信行為、即ちいったん約束した尊氏の恩賞付与権限を勝手に剥奪したことを見て、後醍醐には武家社会が全く理解できていない、やっぱり公武一統路線は駄目だ、自主独立の武家政権を樹立しなければならないと決意し、それに殆どの一門・家臣が賛同した、ということではないかと私は考えます。
他方、京都では新田義貞が二年前に鎌倉を追い出された恨みを忘れず、こちらは虎視眈々と足利家への反撃の機会を狙っていたところ、中先代の乱という素晴らしい出来事が起きます。
この乱自体はあっさり終わってしまったものの、後醍醐の軽率な行為により足利家に激震が走り、足利家はごく少数の尊氏派と圧倒的多数の直義派に分裂します。
しめしめ、足利家が分裂した今こそ絶好の復讐の機会だな、と見た義貞は、小さな火種を大きな火事に持って行く方法を様々に検討します。
そして、そこで上手く利用できそうに思えたのが直義による護良親王殺害の情報ですね。
子沢山の後醍醐にとって、護良親王も多くのコマの一つであり、建武元年(1334)十月に逮捕して翌月鎌倉に流したことにより、既にどうでもよい存在になっていたはずです。
もともと自分の軽率な行為が足利家との軋轢を生んだとしても、後醍醐は究極の自己中心的人間なので、約一年後、比叡山で堀口貞満が怒り狂って諫言したような特殊な場合以外は、絶対に自分の非は認めません。

「本物」の「三種の神器」はどこへ行ったのか。(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4a2a2341d0681da234ee543b697d5a51
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/92e2b2d6e03135e2b9912a49fe29f4fb

自分は絶対に正しいという不動の信念を持つ後醍醐は自分の命令を素直に聞かない尊氏に腹を立てますが、しかし尊氏はあくまで自分に忠誠を誓っていて謀叛の意志など欠片もなく、尊氏を非難しようにも説得力のある理由が見当たりません。
後醍醐が、何か良い理由がないかな、と思っていたところ、野心と下心に満ち満ちた義貞が直義の護良親王殺害の情報を持ってきます。
歴代天皇の中でも陰謀家・詐欺師としての才能においては傑出していた後醍醐は、護良のことなど殆ど忘れかけていたにもかかわらず、これは利用できるな、と喜びます。
生きた護良には利用価値が無くとも、死んだ護良に無限の利用価値が生まれた瞬間ですね。
中先代の乱に際して護良が殺害されただけだったら、まあ、あれだけの混乱だったのだから、そういうこともあるよね、で済んでしまったかもしれませんが、足利・新田の確執の中で、歴史的事実として護良の死が重要な問題として浮上し、そしてそれが『太平記』の中で更に大幅に増幅されて、ものすごい重大事件に発展してしまう訳ですね。
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