学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

製糸と紡績の違い─「みのもんた」を添えて

2018-12-08 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月 8日(土)11時39分24秒

>筆綾丸さん
>「栄光の蛸のやうな死」

カギ括弧に囲まれているので三島の小説のフレーズのような感じがしますが、そうであればネットで何か引っかかりそうなのに、「蛸」でも「絹」でも全くヒットしないですね。
松岡正剛氏以外、この謎を解ける人がいるのかも疑問になってきました。

『絹と明察』は「絹」を強調しながら「製糸」工場ではなく「紡績」工場が舞台なので、どうにも落ち着かないですね。
ウィキペディアからの引用ですが、紡績(spinning)は、

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「紡」(紡ぐ/つむ・ぐ)は寄り合わせることを意味し、「績」(績む/う・む)は引き伸ばすことを意味する漢字で[1][2][3]、主に綿や羊毛、麻などの短繊維(最長1.5m程度のもの)の繊維を非常に長い糸にする工程をいう。

のに対し、「長繊維の絹を蚕の繭から繰り出し、ばらばらにならないよう数本まとめて撚る工程は製糸と呼ばれる」(同)のであって、繭から取れる生糸は数百メートルの長繊維ですから、製法が全く違ってきます。
そして、その違いが労働関係にも顕著に反映されます。
即ち、紡績業においては、近代的な紡績工場が設立された当初から工場の主役はヨーロッパ製の巨大で高価な「機械」であり、労働者の仕事は比較的単調です。
従って、高価な機械から効率的に利益を生み出そうとして、二十四時間の連続操業が行なわれ、労働者は深夜労働を余儀なくされます。
他方、製糸業の場合、設備は単純な構造の「器械」であり、個々の女性労働者の技量によって生産量と品質に大きな差が出ます。
製糸工場では長時間労働はあっても、深夜労働などは全くないですね。
それは別に製糸業者が人道的であったからではなく、深夜に働かせても良い糸が取れず、利益は上がらず、全く経済的合理性がないからです。
製糸工場での設備が何とか「器械」からの脱却を始めたのは1904年(明治37)、御法川直三郎という人物が「御法川式多条繰糸機」を発明して以降ですが、様々な事情からその普及はそれほど進まず、本格的に「機械」と呼ぶに相応しい自動繰糸機が登場したのは昭和に入って暫くしてからですね。

「製糸工場を知ろう」(片倉工業株式会社サイト内)

それでは、何故に『絹と明察』の舞台が「紡績」工場かというと、これは元ネタが1954年(昭和29)の「近江絹糸争議」で、彦根の実業家夏川熊次郎らが1917年に設立した近江絹綿(株)(1920年近江絹糸紡績(株)と社名変更)で起きた労働争議だからです。

近江絹糸争議

近江絹糸紡績(株)の社名には「絹」が入っていますが、元々は質の悪い「屑繭」を原料とする絹紡糸の半製品(ペニー)を生産していた会社ですね。
『絹と明察』(講談社、1964)がどこまで「近江絹糸争議」の史実を反映しているのかは知りませんが、次のような描写(p54)は製糸工場ではあり得ません。

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 菊乃は一等湖のちかくにある赤煉瓦の絹紡工場だけは、訪ねるのが辛かつた。そこに飛び散る屑繭の埃と異臭は、建物の古さと共に、陰惨の気を湛へ、驕奢な絹の息づまるやうな出生の暗さがそこに澱んでゐた。下端の針が絹紡糸からじゆんじゆんにごみを取除いてゆく鉄の水車みたいな機械に、中腰でのしかかつて、その鉄輪をゆるゆると廻しつづける女子工員は、姿勢からして拷問めき、吐く息もその蒼ざめた顔から著くきこえた。
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製糸工場ではそもそも「屑繭」を扱わず、従って「絹紡工場」は存在せず、「陰惨の気を湛へ、驕奢な絹の息づまるやうな出生の暗さ」もないですね。
要するに『絹と明察』は製糸業とは関係のない世界を描いている訳です。
しかし、元ネタの「近江絹糸争議」が紡績工場に取材した細井和喜蔵の『女工哀史』(改造社、1925)を連想させるのはもっともで、従って『絹と明察』も「絹」を扱う工場と『女工哀史』を渾然一体化させるイメージを社会に普及させたのではないかと思います。
そして、1964年の大ベストセラー『絹と明察』が、その四年後に出る山本茂実『あゝ野麦峠』の「女工哀史」イメージを増幅させる下地となったのかな、などとも想像されます。
なお、御法川直三郎の名前は司会者の「みのもんた」氏(本名御法川法男、みのりかわ・のりお)を連想させますが、特に親族関係はないようですね。

御法川直三郎(1856-1930)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ニューマフィルとスライバーとブント 2018/12/07(金) 11:53:40
小太郎さん
「栄光の蛸のやうな死」は意味不明ですが、絹の言い間違えですかね。蛸は三島美学にもっとも反する生き物のような気がします。

http://kotobakan.jp/makoto/makoto-1260
憂きことを 海月に語る 海鼠かな  召波
足を欹てて 聴く壺の蛸       綾丸

https://www.youtube.com/watch?v=UO4_boTtDF0
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弘子は顔に似合わない赤味がかった岩乗な手で、管糸を引き出して、糸口を探して、トラベラーに引っかけて、撚りがかかっている糸をつないで、ひねりながらニューマフィルの吸い口へそっと差し込む。(『絹と明察』新潮文庫版66頁~)
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女子工員のこの作業を正確に理解することはできませんが、ニューマフィルは引用の YouTube を見ると、おおよそのことはわかりますね。また、練糸行程にでてくるスライバーも(同書66頁)、YouTube で探すと、大体のイメージが掴めます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%9D%E5%AD%90%E3%81%AE%E5%A1%94
『硝子の塔』の原題は Sliver なんですね(硝と蛸という字は、似ているような似ていないような)。

追記1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%81%AE%E5%9B%9B%E9%A8%8E%E5%A3%AB
『絹と明察』の駒沢紡績の社旗(白馬)は、ヨハネの黙示録の四騎士を踏まえているとすれば、勝利(支配)であるから、駒沢善次郎の家父長主義的な支配のメタファーということになりますね。小説の世界では、絹のような肌をした駒(馬)沢善次郎の象徴ですが。

追記2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E5%90%8C%E7%9B%9F
ドイツの放送を見ていると、Bundeskanzlerin だの、Bundesinnenminister だの、Bundesaußenminister だの、色々な Bundes が出てきますが、この Bund と日本的な手垢のついたブントが同じ語だというのは、なんだか奇異な感じがするとともに、ブントの多言語版をウィキでみると、韓国語と中文しかなく、うら淋しい感じがします。
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