投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 9月23日(土)10時13分32秒
スターリンとナジェージダ・アリルーエワの娘、スヴェトラーナ・アリルーエワの『スベトラーナ回想録─父スターリンの国を逃れて』(新潮社、1967)の内容を確認したいのですが、まだ入手できていません。
さて、『革命の堕天使たち』の続きです。(p127以下)
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友人は、次の言葉でその話を終えた。「わたしたち三人の医師は、それから何日も何日も眠れない夜が続いた─わたしたちは知りすぎてしまったんですもの、あなたにはきっとわかってもらえると思うわ。」
女医たちは事実をうまく隠蔽しおおせたと考えていたが、その後何日か旧友を訪ね歩くうちに、スターリンの犯罪の噂が人々の間に広まっていることがわかった。たいていの人は、何千万という農民の不幸と飢餓を意味する強制農業集団化政策を妻が非難したことに激怒したスターリンが彼女に手を掛けたと考えていた。噂は、ナジェージダの死後彼女の近親者たちが謎のように姿を消していったという事実によって、強固なものになった。もちろん、そのことについて口にするのはきわめて危険なことであったし、その後少なくとも六年間、それはタブーであった。このことは、二十年間も造幣局で働いて、わたしと同様に、一九三八年にブトゥイルカ刑務所に投獄された年老いた掃除婦の例によって如実に示されている。隣に住む党員が、掃除婦がスターリンの妻はどういう病気で死んだのかとたずねたことを、当局に報告したのである。このような対策をもってしても、噂を消し去ることはできなかった。アリルーエヴァの死から二十三年後の一九五五年、刑務所と収容所で十五年間も過ごしてわたしがモスクワに帰って来た時、この殺害事件は、まだしばしば人々の話題にのぼっていた。
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更に2ページほど関連の話題が続くのですが、省略します。
ナジェージダ・アリルーエワの死因について、ウィキペディアの英語版では、あっさりと、
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On 9 November 1932, after a public spat with Stalin at a party dinner over the effects of the government's collectivization policies on the peasantry, Nadezhda shot herself in her bedroom.
https://en.wikipedia.org/wiki/Nadezhda_Alliluyeva
と書いてあるだけですね。
フランス語版は妙に詳しいものの、これも要するに拳銃自殺です。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Nadejda_Allilou%C3%AFeva-Staline
また、ティモシー・スナイダーの『ブラッドランド(上)─ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』(布施由紀子訳、筑摩書房、2015)には、
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徴発に失敗したという報告が次々にクレムリンに入っていたころ、スターリンの妻が自殺した。彼女は十月革命の一五周年記念日の翌日、一九三二年十一月八日を選び、銃で心臓を打ち抜いた。それがスターリンにとってどんな意味をもっていたか、完全に明らかにすることはできないが、ショックではあったらしく、みずからも自殺しかねないようすだったという。別人のようになってしまったので、葬儀ではカガノーヴィチが弔辞を述べなければならなかった。
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とあります。(p85)
ま、死因はともかく、1932年11月8日というのは本当に微妙な時期ですね。
ティモシー・スナイダーは、
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ポーランドに住むウクライナ人が食糧を送ろうとして募金を集めたが、やがてソ連政府がいかなる支援も拒否していることがわかった。一九二〇年代はじめの飢饉のときには、ウクライナの共産主義者が外国からの食糧支援を求め、ソ連当局もそれを受け入れたが、今回はなんの音沙汰もなかった。政治的理由から、スターリンは諸外国からの援助をいっさい受けたがらなかったのだ。おそらく、共産党トップの地位を維持するためには、最初の主要政策が飢饉を招いたことを認めるわけにはいかないと思ったのだろう。しかし外部の注目を浴びずに数百万人の命を救うことはできたかもしれない。穀物輸出を何ヵ月間か停止し、備蓄穀物(三〇〇万トン)を放出するとか、該当地域の倉庫を解放して農民たちに穀物を分け与えるとか、方法はあったはずだ。遅くとも一九三二年十一月にこうした簡単な措置を取っていれば、数百万人もの餓死者を出すことはなく、せめて数十万人に抑えることができただろう。だがスターリンはそうした対策をいっさいとらなかったのだ。
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と述べており(p87以下)、妻の死はスターリンに反省の機会を与えるどころか、むしろ計画的な殺戮の意志を一層強固なものにさせたようですね。
『ブラッドランド(上)─ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480861290/
スターリンとナジェージダ・アリルーエワの娘、スヴェトラーナ・アリルーエワの『スベトラーナ回想録─父スターリンの国を逃れて』(新潮社、1967)の内容を確認したいのですが、まだ入手できていません。
さて、『革命の堕天使たち』の続きです。(p127以下)
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友人は、次の言葉でその話を終えた。「わたしたち三人の医師は、それから何日も何日も眠れない夜が続いた─わたしたちは知りすぎてしまったんですもの、あなたにはきっとわかってもらえると思うわ。」
女医たちは事実をうまく隠蔽しおおせたと考えていたが、その後何日か旧友を訪ね歩くうちに、スターリンの犯罪の噂が人々の間に広まっていることがわかった。たいていの人は、何千万という農民の不幸と飢餓を意味する強制農業集団化政策を妻が非難したことに激怒したスターリンが彼女に手を掛けたと考えていた。噂は、ナジェージダの死後彼女の近親者たちが謎のように姿を消していったという事実によって、強固なものになった。もちろん、そのことについて口にするのはきわめて危険なことであったし、その後少なくとも六年間、それはタブーであった。このことは、二十年間も造幣局で働いて、わたしと同様に、一九三八年にブトゥイルカ刑務所に投獄された年老いた掃除婦の例によって如実に示されている。隣に住む党員が、掃除婦がスターリンの妻はどういう病気で死んだのかとたずねたことを、当局に報告したのである。このような対策をもってしても、噂を消し去ることはできなかった。アリルーエヴァの死から二十三年後の一九五五年、刑務所と収容所で十五年間も過ごしてわたしがモスクワに帰って来た時、この殺害事件は、まだしばしば人々の話題にのぼっていた。
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更に2ページほど関連の話題が続くのですが、省略します。
ナジェージダ・アリルーエワの死因について、ウィキペディアの英語版では、あっさりと、
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On 9 November 1932, after a public spat with Stalin at a party dinner over the effects of the government's collectivization policies on the peasantry, Nadezhda shot herself in her bedroom.
https://en.wikipedia.org/wiki/Nadezhda_Alliluyeva
と書いてあるだけですね。
フランス語版は妙に詳しいものの、これも要するに拳銃自殺です。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Nadejda_Allilou%C3%AFeva-Staline
また、ティモシー・スナイダーの『ブラッドランド(上)─ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』(布施由紀子訳、筑摩書房、2015)には、
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徴発に失敗したという報告が次々にクレムリンに入っていたころ、スターリンの妻が自殺した。彼女は十月革命の一五周年記念日の翌日、一九三二年十一月八日を選び、銃で心臓を打ち抜いた。それがスターリンにとってどんな意味をもっていたか、完全に明らかにすることはできないが、ショックではあったらしく、みずからも自殺しかねないようすだったという。別人のようになってしまったので、葬儀ではカガノーヴィチが弔辞を述べなければならなかった。
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とあります。(p85)
ま、死因はともかく、1932年11月8日というのは本当に微妙な時期ですね。
ティモシー・スナイダーは、
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ポーランドに住むウクライナ人が食糧を送ろうとして募金を集めたが、やがてソ連政府がいかなる支援も拒否していることがわかった。一九二〇年代はじめの飢饉のときには、ウクライナの共産主義者が外国からの食糧支援を求め、ソ連当局もそれを受け入れたが、今回はなんの音沙汰もなかった。政治的理由から、スターリンは諸外国からの援助をいっさい受けたがらなかったのだ。おそらく、共産党トップの地位を維持するためには、最初の主要政策が飢饉を招いたことを認めるわけにはいかないと思ったのだろう。しかし外部の注目を浴びずに数百万人の命を救うことはできたかもしれない。穀物輸出を何ヵ月間か停止し、備蓄穀物(三〇〇万トン)を放出するとか、該当地域の倉庫を解放して農民たちに穀物を分け与えるとか、方法はあったはずだ。遅くとも一九三二年十一月にこうした簡単な措置を取っていれば、数百万人もの餓死者を出すことはなく、せめて数十万人に抑えることができただろう。だがスターリンはそうした対策をいっさいとらなかったのだ。
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と述べており(p87以下)、妻の死はスターリンに反省の機会を与えるどころか、むしろ計画的な殺戮の意志を一層強固なものにさせたようですね。
『ブラッドランド(上)─ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480861290/
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