宗教的な観点から「御成敗式目」を眺めると、冒頭の二条は神仏関係ですね。
『日本思想体系21 中世政治社会思想 上』(岩波書店、1972)では笠松宏至氏が「御成敗式目 付 北条泰時消息」を校注を担当されていますが、これを引用させてもらうと、まず第一条は、
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一、神社を修理し、祭祀を専らにすべき事
右、神は人の敬ひによつて威を増し、人は神の徳によつて運を添ふ。然ればすなはち恒例の祭祀陵夷〔りようい〕を致さず、如在〔によざい〕の礼奠〔れいてん〕怠慢せしむるなかれ。これによつて関東御分〔ごぶん〕の国々ならびに庄園においては、地頭・神主らおのおのその趣を存じ、精誠を致すべ きなり。兼てまた有封〔うふ〕の社に至つては、代々の符に任せて、小破の時は且〔かつがつ〕修理を加へ、もし大破に及ばば子細を言上し、その左右〔さう〕に随ひてその沙汰あるべし。
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ということで(p8)、「神は人の敬ひによつて威を増し、人は神の徳によつて運を添ふ」という表現は有名ですね。
「関東御分の国々ならびに庄園」については、笠松氏の頭注では、
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関東御分の庄園は、いわゆる関東御領(将軍が本所・領家として庄務権を持つ庄園)を指す。御分の国々は、いわゆる関東御分国を意味するのではなく、成立期以来、幕府が特殊な行政権を公的に行使しえた一定政治領域「東国」を意味するものと思われる。本条を含めて広く寺社の修理造営と幕府の関係については、石井進「鎌倉幕府と律令国家」(『中世の法と国家』)第一章に詳しい。
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とあります。
ま、この条文が対象とする地域については今でも若干の議論は続いているでしょうが、幕府と地頭(御家人)の役割は概ね神社の維持運営と修理造営に限られ、通常の修繕は地頭がやるべし、大規模な修繕は事情によって幕府も相応の負担するから報告せよ、という話ですね。
ついで第二条は、
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一、寺塔を修造し、仏事等を勤行〔ごんぎよう〕すべき事
右、寺社異なるといへも、崇敬これ同じ。よつて修造の功、恒例の勤めよろしく先条に准ずべし。後勘〔こうかん〕を招くなかれ。ただし恣〔ほしいまま〕に寺用を貪〔むさぼ〕り、その役を勤めざるの輩は、早くかの職を改易せしむべし。
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ということで(p8)、まず順番が神社の次である上に、分量も少なく、更に「その役を勤めざるの輩は、早くかの職を改易せしむべし」という寺院関係者への不信に満ちた表現が追加されています。
この時代、『愚管抄』や『平家物語』などの資料に「仏法王法両輪論」が見られ、それを受けて学説上も黒田俊雄氏により「王法仏法相依論」が主張された訳ですが、少なくとも「御成敗式目」には「仏法王法両輪論」「王法仏法相依論」は見受けられないですね。
さて、「御成敗式目」の冒頭二条が宗教関係なので、幕府の法制上も宗教が極めて重要な位置を占めているのであろうかと思って続きを読むと、第三条以下は、
一 諸国御家人奉行の事
一 同じく御家人、事の由を申さず、罪科の跡を没収する事
一 諸国地頭、年貢所当を抑留せしむる事
一 国司・領家の成敗は関東御口入に及ばざる事
一 右大将家以後、代々の将軍ならびに二位殿御時充て給はるところの所領等、本主訴訟によつて
改補せらるるや否やの事
一 御下文を帯ぶるといへども知行せしめず、年序を経る所領の事
一 謀叛人の事
一 殺害・刃傷罪科の事(付たり。父子の咎、相互に懸けらるるや否やの事)
一 夫の罪過によつて、妻女の所領没収せらるるや否やの事
一 悪口の咎の事
一 殴人の咎の事
といった具合に宗教とは全然関係のない話が続きます。
強いていえば第四十条が宗教関係ですが、これは、
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一 鎌倉中の僧徒、ほしいままに官位を諍ふ事
右、綱位によつて﨟次を乱すの故に、猥りに自由の昇進を求め、いよいよ僧綱の員数を添ふ。宿老有智の高僧たりといへども、少年無才の後輩に越さる。すなはちこれ且は衣鉢の資を傾け、且は経教の義に乖く者なり。自今以後、 免許を蒙らず昇進の輩、寺社の供僧たらばかの職を停廃せらるべし。御帰依の僧たりといへども同じくもつて停止せらるべし。この外の禅侶は、偏に顧眄の人に仰せて、よろしく諷諫の誡あるべし。
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というもので、名誉欲に駆られた僧侶が引き起こす混乱に対処するための規定であり、仏教への不信感に溢れていますね。
結局、この後も第五十一条まで宗教関係の条文は存在せず、一番最後に起請文が登場することになります。
その原文は既に紹介済みですが、笠松氏による読み下し文も引用しておくと、
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起請
御評定の間、理非決断の事。
右、愚暗の身、了見の及若ばざるによつてもし旨趣〔しいしゆ〕相違の事、さらに心の曲るところ
にあらず。その外、或は人の方人〔かたうど〕として道理の旨を知りながら、無理の由を称し申し、
また非拠〔ひきよ〕の事を証跡ありと号し、人の短〔たん〕を明らかにせざ らんがため、子細を
知りながら善悪に付きてこれを申さずば、事と意〔こころ〕と相違し、後日の紕繆〔ひびゆう〕出
来〔しゆつたい〕せんか。およそ評定の間、理非においては親疎あるべからず、好悪あるべからず。
ただ道理の推〔お〕すところ、心中の存知、傍輩を憚らず、権門を恐れず、詞を出すべきなり。御
成敗事切〔ことき〕れの条々、たとひ道理に違はずといへども一同の憲法なり。たとひ非拠に行は
るるといへども一同の越度〔おつと〕なり。自今以後、訴人ならびに縁者に相向ひ、自身は道理に
存すといへども、傍輩の中その人の説をもつて、いささか違乱の由を申し聞かさば、すでに一味の
義にあらず。ほとんど諸人の嘲りを貽〔のこ〕すものか。兼ねてまた道理なきによつて、評定の庭
に棄て置かるるの輩、越訴の時、評定衆の中、一行を書き与へられば、自余の計らひ皆無道の由、
独りこれを存ぜらるるに似たるか。者〔ていれ〕ば条々の子細かくの如し。この内もし一事といへ
ども曲折を存じ違犯せしめば、
梵天・帝釈・四大天王、惣じて日本国中六十余州の大小神祇、別して伊豆・筥根両所権現、三嶋大明
神・八幡大菩薩・天満大自在天神の部類眷属の神罰・冥罰をおのおの罷り蒙るべきなり。よつて起請、
件の如し。
貞永元年七月十日
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ということで(p35以下)、「御評定の間、理非決断の事」の本文には宗教的色彩は全く存在せず、末尾に諸天・神祇の神罰・冥罰が言及されているだけです。
「御成敗式目」全体では、宗教的色彩はさほど濃厚ではない、というか淡白ですね。
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