学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

『東アジアの王権と思想』再読

2019-03-15 | 猪瀬千尋『中世王権の音楽と儀礼』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 3月15日(金)10時46分11秒

>筆綾丸さん
>「昭和天皇実録」の誤りは約5千ヶ所

たまたま見かけたツイートで、松沢裕作氏が、

-------
実録の「誤り」が結構なニュースになってますけど、明治天皇記だって奉呈した時のものを刊行時に校訂してるでしょう。原本(?)より刊本の方が正確というの、近代編纂物ではまああるのでは。
https://twitter.com/yusaku_matsu/status/1106038871630835713

と言われているのを知りました。
編纂実務に詳しい人から見れば、これが普通の見方なのかもしれないですね。

私が見つけた「論文の小さな傷」の中では、渡辺浩氏の『東アジアの王権と思想』の「序 いくつかの日本史用語について」は、小さな傷口からここまで話が拡がるのかと自分でもちょっとびっくりしました。

一応のまとめ:二人の東大名誉教授の仕事について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c72b9e6513f8ed3423832948724b2c3b
東京大学名誉教授・渡辺浩氏の勘違い
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/722bac4b55bda795aaf50e39e5765f9d

ただ、『東アジアの王権と思想』が全体として駄目な本かというとそんなことは全然なくて、特に2016年の「増補新装版」で追加された「補論『宗教』とは何だったのか─明治前期の日本人にとって─」は非常に優れた論文ですね。
つい最近、岩田真美・桐原健真編『カミとホトケの幕末維新─交錯する宗教世界─』(法蔵館、2018)を読んで、最新の神仏分離・廃仏毀釈研究の進展を概観することの出来る書物がいよいよ現れたかと喜んだのですが、神仏分離・廃仏毀釈の研究が進めば進むほど、この過渡的な宗教現象の背景に存在する近世以来の無宗教世界が浮かび上がってきます。

『カミとホトケの幕末維新』
http://www.hozokanshop.com/Default.aspx?ISBN=978-4-8318-5555-8

そして、そうした無宗教世界、カミの不在とホトケの不在の幕末維新を最も明晰に描き出しているのが渡辺浩氏の「補論『宗教』とは何だったのか─明治前期の日本人にとって─」ですね。
学問的にはこちらの方が遥かに重要な問題だったのですが、一昨年は小さな傷を追うのに疲れて、この問題に復帰しないまま検討を終えてしまいました。

「Religion の不在?」(by 渡辺浩)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/52635c996a4905b98584c8fff72f46e8
「戯言の寄せ集めが彼らの宗教、僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから行くだけのところ」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4374da95a1226e9bc0ea736416ba2c70

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

閑話 2019/03/14(木) 17:56:38
小太郎さん
https://www.asahi.com/articles/ASM375VR5M37UTIL02Q.html
「論文の小さな傷」ですが、「昭和天皇実録」の誤りは約5千ヶ所だそうですね。ほんとは、もっとあるのでしょうが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする