学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

ベルクソンとハイデガー、そして防衛大学の轟教授

2019-03-06 | 猪瀬千尋『中世王権の音楽と儀礼』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 3月 6日(水)21時40分16秒

>筆綾丸さん
北昤吉は『ベルグソン哲学の解説及び批判』・『ベルグソンとの対話』なんていう本も出しているのですね。
この掲示板でも何度か「ベルグソン」に言及していて、堀米康三氏の父親の蔵書には「ベルグソン」があったそうですし、

無名の町工場主・堀米康太郎氏(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3e4e0af9cc5b9a44d1c01065b2f1cfae

原理日本社には「ベルグソン」研究者の広瀬哲士がいて、この人が初めて『笑い』を翻訳したようですね。

原理日本社と慶応大学を繋ぐもの
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c6afdb88d6c04fe2a676983fef053d9e
広瀬哲士
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b364634cf5cd487b3bdaae033690f8f9
中里成章氏「『パル判事』を上梓するまで」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/855889d7a9bb46a1966d49d845f50dd1

もっとも広瀬自身はおよそ面白味のない人だったと西脇順三郎・山本健吉が言っていますが。

広瀬哲士(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ca420ec584ae83a7f4d414ac0cb6da68

細かいことですが、昔はみんな「ベルグソン」と書いていて、林達夫訳の岩波文庫の『笑い』も昭和13年の初版では「ベルグソン」ですが、増補改訂版では「ベルクソン」ですね。

ベルグソンorベルクソン
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/edbb6b686482a6d5e46fc4cae1c626f2

ちなみに自ら特に哲学青年タイプではなかったと言う岸信介も「ベルグソン」を翻訳で読んだそうで、大正時代の流行思想なんでしょうね。

「君達は独逸語をやるために生れて来たと思え」(by 岩元禎)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9960ae78851223fd74c3283c177ed310

>著者はハイデガー一筋の研究者ですから、講義も『存在と時間』が中心になるのでしょうが、

「防衛大学校人文社会科学群人間文化学科」サイトを見たところ、轟教授が担当されている科目は、

人間学、思想と文化、哲学研究、基礎ゼミナール、地域思想論、現代思想、人間学研究Ⅲ、多文化社会論、卒業研究
http://www.nda.ac.jp/cc/jinbun/staff-todoroki.html

となっているので、相当幅広いようですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

防大で哲学を教えています 2019/03/05(火) 13:37:01
関係のない話で恐縮ですが。

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210923
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%82%8C%E3%81%84%E5%90%89
轟孝夫『ハイデガー『存在と時間』入門』に、こんな記述がありますが、北昤吉は知りませんでした。
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 ところで、同時期に三木清はある日本人(北一輝の実弟、北昤吉)から、東京に新しく設立される研究所に招聘するドイツ人哲学者の選任を委嘱されている。彼はその第一候補としてまずハイデガーに白羽の矢を立て、招聘を受けるかどうかを直接打診している。(86頁)
 ・・・この北昤吉は北一輝の弟で新カント学派やベルクソンの影響を受けた哲学徒だが、同時に評論、政治活動なども行い、一九三〇年代半ばから戦後にかけて衆議院議員を務めた人物である。北は平沼騏一郎をはじめとする貴族議員らによって、漢学振興による儒教道徳の宣揚、東西文化の融合を目指すという趣旨で創立された大東文化協会に入り、それが設立する研究所の研究員の人選に当たっていた(なお大東文化協会が設立した大東文化学院は現在の大東文化大学の前身である)。(112頁)
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・・・私がこのような書物を執筆できたのも、哲学を自由に研究する環境を与えてくれた勤務先の防衛大学校のおかげである。「防大で哲学を教えています」というと、「え、防大生に哲学、必要なんですか?」というあまりに率直すぎる返答をされて困惑することがしばしばある。本書によってそうした「偏見」を少しでも払拭できれば幸いである。(あとがき)
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著者はハイデガー一筋の研究者ですから、講義も『存在と時間』が中心になるのでしょうが、防大とハイデガーは、いまひとつ、しっくりしませんね。 

コメント (1)
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