学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「戯言の寄せ集めが彼らの宗教、僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから行くだけのところ」

2017-05-15 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 5月15日(月)20時51分43秒

渡辺浩氏が「Religion の不在?」で挙げている五つの文献のうち、エドゥアルド・スエンソン『江戸幕末滞在記』(長島要一訳、新人物往来社、1989)を入手してパラパラ眺めてみましたが、冒険心と好奇心に満ち溢れた二十代の健康なデンマークの青年が、時にちょっとしたスリルを味わいつつ、東洋の珍しい国の社会と文化を探る知的喜びを表現した記録で、肩の凝らない楽しい読み物ですね。
そもそも何でデンマーク人が幕末の日本を訪問したかというと、長島要一氏の「訳者あとがき」によれば、

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 スエンソンは海軍中将を父に持ち、自らも海軍軍人の道を選んだ。出世街道を歩むデンマークの職業軍人の常としてフランス海軍に修行に出、一八六五年に地中海から東アジアに派遣された。インドシナでの演習を終えるとローズ少将の指揮下、中国経由で日本を訪れることになる。そして一八六六年夏から翌年春にかけてロッシュ公使の近辺で貴重な見聞をし、その記録を『日本素描』と題して帰国後にまとめたのだった。
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という事情があったそうです。(p202)
日本の宗教については「大坂訪問、日本の宗教」という21頁に亘る章の後半に記述されていて、少し抜粋してみると、

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【前略】日本人は無知によるのか無関心によるものか、自らの宗教についてあまり情報を与えたがらない。したがってわれわれの知るところはほとんど、まだ国が鎖されていたころ、適当な期間をおいて出島から江戸まで旅することを許されていたオランダ人の旅行者〔江戸参府のオランダ人〕の語るところによっている。(p151)

 日本の諸々の宗教のうち、もっとも古いのが神道である。その始源は、時の流れをはるかにさかのぼったかなたで消失しており、公式には国家宗教とされているものの、のちに導入されたブッダイズム〔仏教〕よりはるかに信者の数が少ない。神道は太陽の女神〔天照大神〕を最初の神と認めている。この女神から一連の男神女神が系統を引き、その中でミカドだけが地上の家系を存続繁栄させることができて、目下のところ神性の代表者、日本宗教の頭となっている。(p151以下)

 仏教は紀元六世紀の半ばに日本にもたらされるやたちまちのうちに非常な普及を見せ、特に社会の下層階級の間で著しかった。そして時代が下るにつれ元来の教えは諸々の宗派に分岐してしまった。千三百年以上にわたって日本人の魂を一緒に支配してきた仏教と神道は相互に影響を与えあい、信条の一部と宗教的慣習とを共有しているが、その実際を明確にすることは大変困難である。(p153)

 僧侶たちの教養といっても、聖典〔経典〕に関する知識と、暗記して覚えて次々と唱えることができる念仏がいくつかあるぐらいでしかない。仏教がよって立つところの哲学的倫理的根本に関する知識を有していることなどめったにない。にもかかわらず大衆の目には無尽蔵の知恵の持主であって、天地の創造や自然の隠された神秘に通じて知っていると思われている。実際には無知で頽廃しているにしろ、社会の下層部に及ぼしている影響と、公共の慈善団体が彼らに与えている莫大な富を見れば、いかに尊敬されているかが分かる。(p157)

 聖職者には表面的な敬意を示すものの、日本人の宗教心は非常に生ぬるい。開けた日本人に何を信じているのかたずねても、説明を得るのはまず不可能だった。私のそのような質問にはたいてい、質問をそらすような答か、わけのわからない答しか返ってこなかった。時に立ち入って聞き出すと、そのうちの何人かは、戯言の寄せ集めが彼らの宗教、僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから行くだけのところ、などとやっと語ってくれた。諸宗派の間にも驚くべき寛容が成立しており、同じ家族の構成員がそれぞれ別の宗派に属していながら、これといった不和も論争も生じることはない。その理由のひとつは恐らく、大部分の人間が、一体何を信じているのか無知であるからだろうと思う。(p158)
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といった具合で、なかなか辛辣ですね。

Edouard Suenson(1842-1921)

>筆綾丸さん
>「順徳天皇以来」とありますが、なぜ順徳なのか。承久の乱と何か関係あるのか。

これはちょっと面白いですね。
とりあえず藤田覚氏の『幕末の天皇』(講談社、1994)を当たってみます。
ずいぶん昔に読んだのですが、内容はすっかり忘れてしまいました。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

marigot としての宗教 2017/05/14(日) 13:55:42
小太郎さん
日本の風土からすれば、幕末から明治にかけてのキリスト教入信者は異常・異形の人々と言うべきで、なぜそんな珍奇な現象が起こったのか、ということがむしろ問題なのかもしれないですね。
https://fr.wiktionary.org/wiki/marigot
フランス語にmarigot(マリゴ)という単語があり、赤道地方で流れの末が砂に没する末無し川を意味しますが、トッドの本を読むと、宗教はフランスでは marigot のようなものだ、という気がしてきます。

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 十三世紀初期から十八世紀末までの日本には、ある意味で、天皇は存在しない。順徳天皇(在位 承元四・一二一〇年ー承久三・一二二一年)以来、天保十一年(一八四〇)に光格天皇(在位 安永八・一七七九年ー文化十四・一八一七年)の諡号が復活するまで、「天皇」の号は、生前にも死後にも正式には用いられなかったからである。彼等は、在位中は「禁裏(様)」「禁中(様)」「天子(様)」「当今」「主上」等と、退位後は「仙洞」「新院」「本院」等と、そして、没後は例えば「後水尾院」「桜町院」「桃園院」と呼ばれた。前掲『大日本永代節用無尽蔵』(嘉永二年再刻)の「本朝年代要覧」も、光格・仁孝以前は(古代とそれ以降の順徳等少数の「天皇」を除き)、「何々院」と忠実に記載している。江戸時代人は、「後水尾天皇」などとは、言わなかったのである。(『東アジアの王権と思想』(1977年 初版 7頁)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80%E7%95%A5
文中の「正式」の意味がよくわからない。『六国史』『日本紀略』に「天皇」とあれば「正式」ということなのか。正史のない時代における「正式」の基準は何なのか。また、「順徳天皇以来」とありますが、なぜ順徳なのか。承久の乱と何か関係あるのか。・・・脚注の参考文献を確認しようという意欲は湧いてこないのですが。

https://www.shogi.or.jp/news/2017/05/513_nhk_e42.html
昨日の「第42回小学生将棋名人戦」決勝ですが、才能と才能が斬り結ぶ将棋にドキドキしました。
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