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喜劇的イギリスと悲劇的アメリカ

2009-05-28 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 5月28日(木)00時26分44秒

下の投稿で紹介したJames N. Loehlin氏の"Chekhov: The Cherry Orchard"を、千葉大学の内田健介氏が要約されてますね。

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 このようなイギリスでの『桜の園』の上演を見ていくと、どの演出においても喜劇として『桜の園』を捉えていることに気がつかされる。チェーホフ自身は喜劇として『桜の園』を書いたのだから、喜劇として演出されるのは当然だとも思われるが、スタニスラフスキーはそうは捉えなかった。彼にとって『桜の園』は喜劇ではなく悲劇であったためである。そして、それはスタニスラフスキーだけの理解ではない、現在でも『桜の園』が喜劇か悲劇なのかという論争は止む気配がなく、大きな問題として残っている。(中略)

 第4章では、このような 20 世紀前半のイギリスとアメリカの『桜の園』について取り上げられているが、同じ英語圏でありながら2つの国で上演された『桜の園』には、演出だけでなく劇評も含めて大きな差が生じている。モスクワ芸術座が遠征公演を行う前から『桜の園』を上演していたイギリスでは、失敗を経験しつつも上演を重ねて成功に至った。そして、早い段階の劇評から『桜の園』の喜劇性についての批評が見られ、最終的に成功を収めた Old Vic の演出は、笑いにあふれた喜劇として演出された『桜の園』であった。
 それに対して、アメリカではこうした批評の中にも喜劇性についての言及は見られず、観客の笑いを誘うような舞台ではなかった。ここには、やはりモスクワ芸術座の公演が大きく作用していると考えられる。スタニスラフスキーの理解によって悲劇として演出がなされた『桜の園』は、アメリカでもほぼ変わらない形で上演された。当然、初めてモスクワ芸術座の舞台を見たアメリカの観客は、この演出がオリジナルであり、チェーホフの望んだ舞台だと信じていたはずである。また、筆者が指摘するように、当時の劇団の置かれた社会状況も『桜の園』を理解する上で影響を与えていたであろう。
 ところが、モスクワ芸術座の遠征が行われる前に『桜の園』の上演をしていたイギリスでは初期の頃から喜劇として捉えようと試み、劇評の中でも喜劇性について指摘がなされている。そして、20 世紀前半のイギリスで最も成功した Old Vic の『桜の園』は笑劇に近い舞台で、それ以降イギリスでの『桜の園』の解釈に大きく影響を与えたことが指摘されている。1928 年にはイギリスから Fagan の舞台が訪米し、『桜の園』を上演したが、イギリスでは好評だった彼の舞台がアメリカでは全く受け入れられなかった。批評の中では役者の演技などについて言及がなされているが、そこには喜劇として演出された『桜の園』に対する違和感もあったのだと考えられる。

http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/irwg10/jinshaken-18-15.pdf


イギリスとアメリカでこれだけ評価が違うというのも、ずいぶん面白い現象です。
James N. Loehlin氏の本はアマゾンで6,424円と、260ページほどの本にしてはずいぶん高価ですが、どうしても確認したい事項があるので、思い切って購入してみることにしました。

>好事家さん
なるほど。
私は、もしかしたら「観世福田系図」のことを言われているのかな、と思っていました。
コメント
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