投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 5月15日(金)01時20分47秒
今日は『桜の園』つながりで、築地小劇場以来、ラネーフスカヤを200回以上も演じたという東山千栄子(1890~1980)の随筆、『新劇女優』(1958、学風書院)を少し読んでみたのですが、なかなか面白いですね。
東山千栄子について、私は小津安二郎の『東京物語』で笠智衆と共演していた人、程度の知識しか持っていなかったのですが、彼女は下総佐倉藩の家老の家に生まれ、親戚筋の寺尾亨の養女となり、二十歳で原合名のモスクワ支店長夫人となって、ロシア革命直前の8年間をモスクワで過ごしたという面白い経験の持ち主です。
寺尾亨は国際法学者で東京帝国大学教授、対露強硬論の「七博士建白書」で著名な人であり、原合名は横浜三渓園の原一族の会社で、当時の超一流繊維商社ですから、知的な面でも経済的にも非常に恵まれた環境に育った人ですが、モスクワ時代に一人でパリに遊びに行ったときには、あまりの浪費のすごさに夫が驚愕してモスクワに連れ帰ったというエピソードの持ち主であり、有閑マダムの生活に飽き飽きして36歳にして初めて舞台に立ったという経歴も、いかにもラネーフスカヤにふさわしいですね。
『新劇女優』から抜書きしようと思ったら、すでに私が興味を持ったいくつかの箇所を紹介している人がいたので、そのブログへのリンクにとどめます。
http://www.c.kumagaku.ac.jp/blogs/ohta/archives/2009/02/vderhq.html
『東京物語』
http://www.geocities.jp/yurikoariki/tokyostory.html
今日は『桜の園』つながりで、築地小劇場以来、ラネーフスカヤを200回以上も演じたという東山千栄子(1890~1980)の随筆、『新劇女優』(1958、学風書院)を少し読んでみたのですが、なかなか面白いですね。
東山千栄子について、私は小津安二郎の『東京物語』で笠智衆と共演していた人、程度の知識しか持っていなかったのですが、彼女は下総佐倉藩の家老の家に生まれ、親戚筋の寺尾亨の養女となり、二十歳で原合名のモスクワ支店長夫人となって、ロシア革命直前の8年間をモスクワで過ごしたという面白い経験の持ち主です。
寺尾亨は国際法学者で東京帝国大学教授、対露強硬論の「七博士建白書」で著名な人であり、原合名は横浜三渓園の原一族の会社で、当時の超一流繊維商社ですから、知的な面でも経済的にも非常に恵まれた環境に育った人ですが、モスクワ時代に一人でパリに遊びに行ったときには、あまりの浪費のすごさに夫が驚愕してモスクワに連れ帰ったというエピソードの持ち主であり、有閑マダムの生活に飽き飽きして36歳にして初めて舞台に立ったという経歴も、いかにもラネーフスカヤにふさわしいですね。
『新劇女優』から抜書きしようと思ったら、すでに私が興味を持ったいくつかの箇所を紹介している人がいたので、そのブログへのリンクにとどめます。
http://www.c.kumagaku.ac.jp/blogs/ohta/archives/2009/02/vderhq.html
『東京物語』
http://www.geocities.jp/yurikoariki/tokyostory.html